第1話:琴という鬼

 琴は夜行バスの座席で目を覚ました。

 カーテンの隙間から覗くまだ夜が明けていないことが分かる。

 手に握られた父からの手紙を読んでウトウトとしてそのまま寝てしまったらしい。

 父は日本各地や海外を飛び回り、ここ数年顔を合わせていなかった。携帯電話やパソコンを持たない、現代人らしからぬ父からの数少ない便りだ。珍しく便箋で綴られた父からの手紙は封筒の厚さから手触りで数枚入っていたので、じっくり読もうと夜行バスの中での時間潰しにしたかったのだが、一枚で内容は完結し、残りの三枚は白紙だった。

 良く言えば遊び心、悪く言えばいい歳をした中年の父親の痛々しいボケである。

 列車の中で書いたというのは本当なのだろう。元々綺麗な字を書く人ではないが、ガタガタと文字がずれていた。

すっかり肩がこってしまい、琴は後部座席に迷惑にならないよう小さく伸びをした。

東京で催された就活セミナーと二つの企業のインターシップに参加した帰りで、スーツから着替えることが億劫になったのが良くなかった。

あと一時間程で目的地に着くから、もう少しの辛抱だ。

 夜行バスでは約四時間半。

東京駅から新幹線で一時間半。更にそこから電車を乗り継いで約二時間でようやく最寄り駅に辿り着くことができる田舎町。

温泉の町、釜業市釜業町。

豊富な湯源を持つこの町は、ウィンタースポーツが流行った二十年近く前には、温泉宿泊として盛んだった。しかし数年前に東京駅から直通の夜行バスも廃止となってからどんどん廃れて行き、シーズンでも閑散としていた。

 褪せた商店街のアーケード。

漂う硫黄の匂い。

無人の駅。

 可愛くない地元のゆるキャラ。

 一時間に一本しか来ないバス。

 山と川。

 錆びた観光マップの看板。

 バブル崩壊と共に廃れていったよくある観光地の一つだ。

 駅の近くには新設された市民プールとファミリーレストランだけは地元民の小学生から高校生の利用が増えて賑わいを見せているが、若い人はどんどん地元から離れて行っている。

 地元民ですら更に電車を乗り継いで一時間程度で行けるショッピングモール施設ができてからは、レジャーとして楽しむ場所も移り変わっていく。

 故郷の田舎事情を嘆く程、琴は暇ではなかった。田舎だから時間がゆっくり流れるなんてことはない。

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