陳記室集跋(NotionAI訳)

多分三国志王粲伝附伝のほぼコピペ


初,曹丕為五官將,及平原侯植皆好文學。粲與北海徐幹字偉長,廣陵陳琳字孔璋,陳留阮瑀字元瑜,汝南應瑒字德璉,東平劉楨字公幹,並見友善。


初め、曹丕が五官将となり、平原侯の植も共に文学を好んだ。粲は北海の徐幹(字は偉長)、広陵の陳琳(字は孔璋)、陳留の阮瑀(字は元瑜)、汝南の応瑒(字は德璉)、東平の劉楨(字は公幹)と親しく交わった。


琳前為何進主簿,進欲誅諸宦官,太后不聽,進乃召四方猛將,並使引兵向京城,欲以劫恐太后,琳諫進曰:「《易》稱『即鹿無虞』,諺有『掩目捕雀』。夫微物尚不可欺以得志,況國之大事,其可以詐立乎?今將軍總皇威,握兵要,龍驤虎步,高下在心。以此行事,無異於鼓洪爐以燎毛髮。但當速發雷霆,行權立斷,違經合道,天人順之,而反釋其利器,更徵於他。大兵合聚,強者為雄,所謂倒持干戈,授人以柄,必不成功,祇為亂階。」進不納其言,竟以取禍。


琳は以前、何進の主簿を務めていた。進が宦官たちを誅殺しようとした際、太后が聞き入れなかったため、進は四方の猛将を召集し、兵を京城に向かわせ、太后を脅かそうとした。琳は進に諫言して言った:「『易経』に『鹿を追うのに罠を張らない』とあり、諺にも『目を覆って雀を捕らえる』とある。小さなものでさえ欺いて志を得ることはできないのに、まして国の大事が詐りによって成し遂げられようか。今、将軍は皇威を総べ、兵権を握り、龍のごとく勇ましく虎のごとく歩み、高下を心に抱いている。これをもって事を行うのは、大きな炉で毛髪を焼くようなものだ。ただ速やかに雷霆の如く行動し、権を行使して断を下し、経典に背いても道に合えば、天も人もこれに従う。しかし逆に利器を手放し、他に求めるのは誤りだ。大軍が集結すれば、強者が雄となる。いわゆる干戈を倒持し、人に柄を与えるようなもので、必ず成功せず、ただ乱の階段となるだけだ。」進はその言を受け入れず、ついに禍を招いた。


琳避難冀州,袁紹使典文章,嘗為紹檄,酷詆曹操。袁氏敗,琳歸操,操謂曰:「卿昔為本初移書,但可罪狀孤而巳,惡惡止其身,何乃上及父祖邪?」琳謝罪,操愛其才而不咎。


琳は冀州に避難し、袁紹に仕えて文章を担当し、紹のために檄文を書いて曹操を激しく非難した。袁氏が敗れると、琳は操のもとに戻った。操は言った:「君は昔、本初(袁紹)のために書簡を書いたが、ただ私を非難するだけでよかったのに、なぜ父祖にまで及んだのか?」琳は罪を謝したが、操はその才能を愛し、咎めなかった。


瑀少受學於蔡邕,建安中,都䕶曹洪欲使掌書記,瑀終不為屈。操並以琳、瑀為司空,軍謀祭酒,管記室,軍國書檄多琳、瑀所作也。


瑀は若くして蔡邕に学んだ。建安年間、都護の曹洪が書記として仕えさせようとしたが、瑀は最後まで屈しなかった。操は琳と瑀を共に司空の軍謀祭酒として記室を管理させ、軍国の書簡や檄文の多くは琳と瑀の作によるものだった。


琳作諸書及檄,草成,呈操。操先苦頭風,是日疾發,臥讀琳所作,翕然而起,曰:「此愈我病。」數加厚賜。


琳が諸書や檄文を作り、草稿を完成させて操に提出すると、操は以前から頭痛に苦しんでいたが、その日も発作が起きていた。横になって琳の作品を読むと、突然起き上がって言った:「これが私の病を癒した。」そして何度も厚く褒美を与えた。


操嘗使瑀作書與韓遂時,操適近出,瑀隨從,因於馬上具,草書成,呈之,操掔筆欲有所定,而竟不能增損,琳徒門下督,瑀為倉曹椽屬。


操が瑀に韓遂への手紙を書かせた時、操はちょうど外出しており、瑀が従った。馬上で草稿を作り上げ、提出すると、操は筆を取って修正しようとしたが、結局増減することができなかった。琳は徒門下督となり、瑀は倉曹の椽属となった。


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