陳琳詩文素人訳
ほずみ
陳記室集序(NotionAI訳)
電子化計画によれば
https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=3114870
「婁東張溥題」と書いているらしいので、明代の文人、婁東(江蘇太倉)の張溥がこの序を書いたのかなあ
何進謀誅宦官,召兵四方,陳孔璋時為主簿,讜言禍害,其意智豈讓曹操哉!棲身冀州,為袁本初草檄詆操,心誠輕之,奮其怒氣,辭若江河。及窮窘,歸操預管記室,移書吳會,即盛稱北方無異。《劇秦》、《美新》,文人何嘗,惟所用之茂惡爾。矛夷懌相酬,固恆態也。
何進が宦官を誅殺しようと謀り、四方から兵を召集した時、陳孔璋は主簿として率直に禍害を指摘しました。その意志と知恵は曹操に劣らないものでした。冀州に身を寄せ、袁本初のために檄文を草して曹操を非難し、心から軽蔑し、怒りを奮い立たせ、その言葉は江河のようでした。窮地に陥った後、曹操のもとに戻り記室を管理し、呉会に書簡を送り、北方に異変がないと盛んに称えました。『劇秦』『美新』など、文人の常として、ただその時々の主君の善悪を述べるのみです。矛盾した態度を取るのは常のことです。
孔璋詩賦,非時所推,
孔璋の詩賦は当時あまり評価されず、『武軍』の賦も長い間葛稚川に認められませんでした。今では他の賦も完全には残っておらず、群を抜く名声もありません。詩では『飲馬』『游覽』などの作品に多少の寄託が見られます。しかし、建安の文人たちの中では最も寂しい存在で、子桓兄弟とも贈答が少なく、元瑜が寡婦を悼み、仲宣が驢馬の鳴き声を好んだように、死後に思いを寄せられることもありませんでした。
彼所出塵,惟章、表、書、記,孟德善用人長,鼓厲風雲,遂捐宿憾。然魏武奸雄,生死欺人,獨孔璋斥其「奄丑」,士衡笑其「香履」,足令垂頭帖耳。後世即有善詈者,俱不及也。
彼が残したものは章、表、書、記のみです。孟德(曹操)は人材を活用する長所があり、風雲を鼓舞し、ついに旧怨を捨てました。しかし、魏武帝(曹操)は奸雄で、生前死後も人を欺きましたが、孔璋だけは彼を「奄丑(宦官のように醜い)」と非難し、士衡(陸機)は彼の「香履(香りのよい靴)」を笑いものにし、頭を垂れて耳を傾けさせるほどでした。後世に善く罵る者がいても、これらには及びません。
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