臧洪からの返書

ごぶさたを続けてはおりますが、寝てもさめても忘れたことはありません。幸いなことに、互いの距離はほんのわずかにすぎません。しかしながら、生き方に対する基本的な態度を異にしておりまして、相まみえることのかなわぬのが、痛恨の至り、気にかけないではいられません。せんだっては、私のことをお忘れにならず、かたじけなくも何度も玉簡をたまわって、利害についてご説明くだされ、公私両面にわたってゆきとどいたご配慮をお示しくださいました。すぐにご返事をさしあげなかったのは、浅学鈍才にして、詰門に充分お答えすることができないうえに、あなたは側室をともなって、主人のやっかいになられ、家族を東方の州におかれつつ、私とは仇敵の間柄になってしまわれたからでございます。こういう事情にありながら、他人に仕えられた場合には、たとえ真情を披瀝し、肝胆をさらけ出したとしても、なおわが身は遠ざけられて罪を受け、気に入られるような発言をしても疑惑を招くことになるものです。まったく対処に苦しむことになりますのに、どうして人のことなどかまっていられるのでしょうか。それに、あなたはすぐれた才能をお持ちのうえに、典籍を広く究めておられるのですから、いったい、大道理がわからず、私の意向をご明察なさらぬはずがありましょうか。ところがなお、かくかくしかじかとおっしゃっておられます。私のこのことから、足下の言葉が実際は衷心からでたものではなく、災難から逃れるためのものと判断いたしました。あくまでも損得を計算して是非を弁別しようとなさるならば、是非の議論は天下にみちわたるほど多様であって、説明いたせばいたすほど不明確となり、何も語らなくてもさしつかえがないことになりましょう。また発言すれば絶交状のたてまえを破る結果となり、私にとって、なすに忍びないことでございました。こういうわけで、紙筆を放り出してまったくご返事いたさなかったのです。また、私の心ははるかにお汲み取りくださり、私の気持ちはもう決まっていて、二度と変わらないのだ、ということをご承知くださると願っておりました。かさねてお手紙をちょうだいいたし、えんえん六枚にわたって古今の事例を引用しておられるに及んでは、何もいわずにおこうと思っても、どうしてそのままにしておかれましょうか。


私はつまらぬ人間でございまして、もともと使者として当地にまいった因縁から、大きな州を分不相応にも治めさせていただき、こうむったご恩は深く待遇は手厚かったのです。どうして今日になって、自分のほうから逆に刀を交えることを願いましょうか。城に登って兵を指揮するたびに、ご主人の軍旗と陣太鼓を望み見、旧友のあっせんに心動かされ、弦をさすり矢をつかみつつ、涙が思わずしらず顔いっぱいあづれ出る次第です。なぜならば、みずからかえりみますに、ご主人をおたすけして働いたことには、なんの悔いもございませんし、ご主人の私への待遇も、同輩よりはるかにぬきんでていたからでございます。任務をお受けした当初は、大事をやりぬき、ともに王室に尊崇するものと思っておりました。ところがおもいもかけず、天子のご不興をかって、故郷の州が攻撃をうけ、郡将はユウ里の災禍にあい、陳留太守は暗殺のたくらみに倒れました。計画が遅延すれば、忠孝の名を失うことになり、鞭をつえついて離れ去れば、交友の義理に欠けることになります。この二つのことを比較いたし、やむをえないとなれば、忠孝の名を失うことと交友の道に欠けることとでは軽重まったく異なり、親疎画然と異なります。それゆえ、涙をぬぐって絶交を宣言したのです。もしもご主人がご友人に少しく思いやりを持たれ、止まる者には、席をはずされ、去りゆく者には、自分の感情をおさえられ、離れ去った友人に対してこだわりをもたれず、刑罰をはっきりとされてみずからの補いとされましたならば、私は、季札の志を高くかかげて、今日の戦争をすることはなかったのでありましょう。どうしてこんなことになったのか。昔、張景明はみずから壇に登って血をすすって誓い、命を受けて東奔西走し、とうとう韓馥から牧の印を譲らせることに成功いたし、ご主人は領土を手に入れられたのでした。そののち、ただ任命をうけて天子のもとに参内し、爵位を賜わり子孫に伝える資格を得たという理由だけで、ほんのわずかの間に、過失を大目に見るというお情をこうむることなく、一族皆殺しの災難をうけたのです。呂奉先は董卓を討ちとって出奔してきたさい、軍兵の貸与を申し入れて断られ、辞去したのになんの罪があったのでしょうか。再度にわたって刺客に追われ、あやうく生命を落とすところでした。劉子曠は使者として派遣され、その季節がすぎても、使者を果たすことができず、ご威光を恐れ肉親を恋い慕って、嘘をついてまで帰国を願ったのですから、忠孝の心を抱き、覇道にはなんのさしさわりもない者だと申せます。ところがたちまちみ旗の下に死骸となって横たわり、減刑のご沙汰を受けませんでした。私は愚か者であるうえに、もともとはじめにさかのぼって結末を予測し、わずかな兆候を見て明白な結末を予知したりすることはできない人間ですが、ひそかにご主人の気持ちを推測いたしますに、いったいこの三人の者は死が当然であり、死刑に該当すると申せましょうか。実際、山東地域を統一し、兵を増強して仇敵を討とうと望まれましても、兵士たちが狐疑逡巡して、悪をとどめ善を勧めることにならない心配があります。そのため、天子のご命令を廃して独断専行権を尊重されまして、原則に同調する者は栄達をこうむり、羈絆から脱することを待ち望んでいる者は、処刑を受けることになりました。これらのことは、ご主人にとっては利益でありますが、固定した主君をもちたくない人間にとっては、願うところではございません。それゆえ、私は前人の例を自己の戒めとし、追いつめられながら必死になって戦っているのでございます。私は救いようのない愚か者ではごあいますが、それでもかつて君子の言葉を聞いたことがあります。このような仕儀に立ち入りましたのは、私の本意ではなく、ご主人のせいであります。だいたい、私が、国家にそむき人民を棄て、この城に命令権を行使しておりますのは、まさしく、『君子は亡命しても、敵国に赴かない』からであります。これがために、ご主人からおとがめを受け、三カ月以上にわたる攻撃をこうむっておるのです。ところが、足下はさらにこの道理を引き合いにだされて、私への警告としておいでですが、言葉は同じでも、内容は異なっておりまして、君子が心をゆさぶられるようなものとはいえますまい。

私が聞きますには、義とは親にそむかないこと、忠とは君を裏切らないことであるとか。それゆえ、東の方は郷里の州を本家としてうしろ立てとたのみ、中央は郡将をたすけて国家を安定させんとしているのです。一つの行動で二つの利益、つまり忠と孝の両方を求めていることになります。これのどこが悪いのでしょうか。しかるに、足下は私に、根本を軽んじ、家を破壊させようとするおつもりのようです。同じくご主人を主君と仰いだわけですが、ご主人と私の関係は、年齢的には兄にあたられ、身分としては親友にあたります。道理にもどれば辞去して、天子と両親を安んずることは道義にかなった行動と申せましょう。もしもあなたのおっしゃるとおりだとすれば、申包胥は伍員に生命をさし出すのが当然であり、秦宮の庭先で号泣するのは不当ということになります。いやしくも災いをふりはらうことに汲々としておられ、おっしゃていることが、道理にはずれていることにお気づきではないのでしょう。足下はもしくかすると、城の包囲が解かれず、救援軍が到達しないのを見て、婚戚間の義理に心を動かし、平素の友愛を思い、生き方を曲げて、なんとか生きのびたほうが、義を守って破滅することよりずっとまさっているとお考えかもしれません。昔、晏嬰は白刃をつきつけられながら屈服せず、南史は筆を曲げてまで生を求めませんでした。これがためにこそ、彼らは絵図にその姿を描かれ、名声を後世に伝えたのです。まして私は、鉄壁の城にたてこもり、兵士・市民の力をかりたて、三年分の貯えをばらまいて、一年分の資とし、困窮した者を救済し、貧しい者に補給してやって、天下の人々から喜ばれているのです。どうして兵士を田野に分散して耕作させ、長期駐留しようとなさるのですか。ただおそらく、秋風が路上の塵をふきあげることになると、伯珪が馬首を南に向けて攻めよせ、張楊・張燕が強力をふるってあばれだし、北方の辺境地帯から緊急の知らせが入り、股昿の臣は帰国したいと懇請するでありましょう。ご主人は、まさに私どもの例を反省の材料として、軍隊を撤退せられ、鄴都の守りに兵を配置しておかれるべきであります。どうして、いつまでもくだらぬことに腹を立てつづけ、わが城下で兵威をふるっていていいことがありましょうか。足下は私が黒山賊をうしろ立てとして頼みにしていると非難なさるが、黄巾の賊と連合した事実だけをどうして無視されるのですか。それに張燕のやからもすべて天子の任命を受けているのですぞ。昔、漢の高祖は鉅野から彭越を取り立て、光武帝は緑林においてその基礎を築き、最後はよく中興の主として位につき、帝業を成就されたのです。かりにも、天子を輔佐して教化を興すことができるなら、何を嫌う必要がありましょうや。ましてや私は自身詔勅を奉じて、彼らと行動をともにしているのです。さらば孔璋よ。足下は故郷の外に出て利益をあがえるつもりらしいが、臧洪は天子さまと親より命令を受けているのです。あなたは盟主にその身を託しておられるが、臧洪は長安にお仕えしているのです。あなたは、私の身体が死んだうえに、名前も消え去ると思っておられるだろうが、私のほうでも、あなたが生きていようが、死んでしまおうが、いっこうに名をあげることができないのを笑っているのです。悲しいことよ。根本は同じでも、梢になると離れてしまうとは。一所懸命努力されよ。いったいこれ以上、何をいうことがありましょうや。


参照(https://sangokushi.jp/busyo/detail.php?busyo_id=28)

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