為曹洪與魏文帝書

※集英社『文選』の訳をほぼそのまま流用しています


十一月五日、洪が申し上げます。先に蜀の将、張魯を破ったときは、気持ちがおごり高ぶっていて、事情の説明が事実以上のものになってしまいました。九月二十日のお手紙を賜り、読んで楽しく、いつまでも手にして飽きることがありませんでした。陳琳に返書を作らせようとも思いましたが、陳琳はそのころ多忙でして、作ることができませんでした。今、はるかに思いを通じたいと思って、ことさら老いぼれの思いをつづる次第でございます。ことばが多くなるので、詳しくは述べられませんが、あらまし大要を挙げて、お笑いぐさにいたします。

蜀の地形は誠に険しくて、四岳や三重さえもみな及びません。張魯は精兵数万を有し、高所に陣してかなめを守り、一人が矛を振り同せば、万人も進むことができない状況でした。ですが、我が軍がここを突破することは、荒れ狂う鯨が細網を破り、奔走する野牛が魯の薄絹に触れるかのようであった、と表現しても、その容易であったことを例えるには不十分です。ところで、王者の軍には、征使はあっても戦うことはないといいますが、不義であっても強い者は、古人にその例は少なくありません。堯や舜の世には、蛮夷が中国を乱し、周の宜王の盛時においても、大国を敵としました。『詩経』や『書経』に、嘆きつつ記録し、その討つことの難しさを述べています。これらはみな、険しさに頼り、隔たっていることを頼みにしており、これが彼らを討ちがたくしております。そこで蜀の地勢を考えてみますに、普通の才能の者がここを守っていたなら、急に攻め破ることは難しいのではないかと思います。

お手紙には人をだます政の罪を説明し、天子の軍は寛大であるという徳を記しておられますが、誠にそのとおりです。これが、夏や殷の滅亡した原因、三苗や有扈氏の倒れた理由でありますし、こちらの勝利を得た原因、あちらの減亡した理由です。そうでなかったら、殷の紂王と周の武王とは同じ立場に立ってしまうでありましょう。

昔、匈奴は道理に暗く、紂の臣の崇侯虎はよこしまであり、殷の紂王は暴虐であり、三者とも下等な人物でした。それでも、殷の高宗は匈奴を討つのに三年を要し、周の文王は崇虎を一度で降伏させず、退いて徳を修め、再び討ちましたし、武王は、紂を討つのに盟津に二度も出かけて行きました。こうしてはじめて、匈奴を倒し殷に勝って、あのような武功をあげたのです。今日の我が軍のように、星のようにすばやく散り、日影のようにすばやく集まり、つむじ風のように激しくふるまい、稲妻のように激しく撃って、山河を遠くはせ、朝にそこに至り、夕方には勝利を収めるといり例はありません。以上のことから考えますと、張魯はもともと下愚の者にさえも及ばなかったのです。もし、普通の才能の者が守っていたならば、このように速やかに滅亡しなかったことは明らかです。

普通の才能の者がいたなら、このようにはいかなかったと思いますのに、お手紙によれば、あちらの悪行は積もっており、たとえ孫武・田単・墨翟・禽滑釐がいても、やはり救う方法はなかったということですが、私は少し疑問に思います。なぜかと申しますと、昔、戦いをするのに、たとえ敵国が乱れていても、なお賢人がその国にいれば征伐はしませんでした。このようなわけで、紂王の臣の、箕子・微子・比干が殷の国を去らなかったので、武王は軍隊を引き揚げましたし、宮之奇が虞の国にいたので、晋は虞を討たなかったし、季梁がまだ随の国にいたので、強国の楚も計画を中止しました。これら賢人たちが国を去るに及んで、殷・虞・随の三国は滅亡したのです。これらのことは、たとえ国に道がなくても、賢人がおれば、まだ国は救えることを明らかにしております。

さて、墨子の守りは、帯を巡らしてかきとしても、高くて登ることができず、はしを折って武器としても、堅くて攻め入ることができませんでした。もし、張魯が陽平関で守り、石門によって八種の陣法を敷き、火牛の計画を用いたならば、崩壊することはなかったでしょう。もしお手紙のように、守りの巧拙にかかわりなく、すべてよじのぼることができるのであれば、公輸盤は宋の城に乗り込み、楽毅は即墨を攻め取ったでありましょう。もしそうなら、墨翟の街はどうしてたたえられましょうか。田単の知恵はどうして尊ばれましょうか。私は愚か者ではありますが、今までこんなことは聞いておりません。

さて、私は、高唐を通りすぎる者は王豹の歌に習い、睢や渙の川に遊ぶ者は、彩色の模様を学ぶと聞いておりますが、近ごろ蜀に入りましてから、司馬相如・楊雄・王褒らの遺風を仰ぎ、子勝のように身を伸ばし、あでやかな文章に心を向けております。そのため、文章の書きかたが以前とは違っております。しかし、人々は怪しんで、昔、孔子を隣家の丘と呼んだ人のあったごとく私を侮り、他人に代作してもらったものであろうといっておりますが、いったいこれはどうしたことでしょうか。

駿馬が野の果てに耳を垂れ、大鳥ががたまりで翼を休めておれば、これを見慣れた人は、当然、庭国に住む凡鳥であり、厩舎にいる駑馬ぐらいに思うものです。しかしそれが、蘭筋を整えたり、強い翼を振るって、高く上がりみごとに飛び立ち、誇らかに千里を走ったときになって、これは晨風(はやぶさ)の翼を借り、六駮の足を借りたのだということができましょうか。しかし、あなたは、私の大言をお信じにならないで、きっと大いに笑われるのではないかと心配しております。洪、敬具

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