阮瑀元瑜(げんうげんゆ)
阮瑀元瑜(げんうげんゆ) 三国志巻二一 魏書二一など
一六五?~二一二
兗州陳留郡尉氏県
(現在の河南省開封市尉氏県)
・後漢末いちの学者・蔡邕の門下生。
一度は曹操への出仕を固辞したが、曹操が司空の時代(丞相になる前)から仕えた。
はじめ曹洪が召し寄せようとしたが応じず、続いて曹操が召し寄せようとすると阮瑀は山に逃げ込んだ。すると曹操は山を焼き討って阮瑀を炙り出した。曹操は阮瑀を処罰しようとするが、ある祝いの席で阮瑀は筝を弾き朗々と歌い、その素晴らしさに曹操は阮瑀を許すことにした。
裴松之は以上の記述を引用し「ぜってーウソ」と言っているが、火のない所に煙は立たないしドラマチックだし、折角だから本当であってほしい。少なくとも筝は本当に上手かったのだろう。
・陳琳と共に軍謀祭酒、記室を勤めてのち、倉曹據属(穀物の貯蔵の管理)となった。
子は後の大詩人・阮籍であるが、阮籍がまだ幼児の頃に阮瑀は死去している。
・地方豪族に生まれ、大学者蔡邕に奇才と言わしめた。蔡邕死後は、田舎学者として雌伏する。しかし蔡邕と同じように権力者に引き摺り出され、乱世に身を投じる事になった。
165年(延熹八年)阮瑀誕生?
176年(熹平五年)阮瑀約十二歳、この頃蔡邕に師事したか。
177年(熹平六年)阮瑀約十三歳、讒言により蔡邕が揚州へ亡命。これに従ったか。
189年(中平六年)阮瑀約二五歳、蔡邕が董卓に強制的に招聘される。これに従ったか。
192年(初平三年)董卓を暗殺した王允により蔡邕が刑死。阮瑀約二八歳、廟を作る。
204年(建安九年)阮瑀約四〇歳、曹洪と曹操からの招聘を拒んだことで怒りを買い脅迫され、
無理矢理仕えさせられる。司空軍謀祭酒となる。
208年(建安十三年)曹操が丞相に就任。記室となる。
211年(建安十六年)曹丕が五官中郎将に就任。倉曹掾属に異動となる。
212年(建安十七年)阮瑀約四七歳、病により死去。
○作品紹介
「為曹公作書與孫権」
濯鱗清流、飛翼天衢。
鱗は濯ぐ清流に、翼は飛ぶ天衢に。
今まさに鱗は清流(時流)にすすぎ、鳥の翼は天道(正道)に羽ばたくときだ。(劉備と縁を切る好機である。)
赤壁後、孫権と劉備が再び手を組まぬよう孫権に送った手紙。綺麗な言葉で書かれているが、内容はそこそこ脅迫じみている。いにしえぶぶ漬けメソッドである。
「失題」
常恐時歳月盡、魂魄忽高飛。
常に恐る時歳盡きて、魂魄忽ち高飛せんことを。
いつも恐れている、歳月が尽きて、魂がそのまま高く飛んでいってしまうだろうことを。
「人間の終末の姿が詩の題材になる」by鈴木修次『漢魏詩の研究』
激情をうたう当世において異色の詩風であった。
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