第114話 祭りのあと。そして童貞へ……(2)

「そういえば、ミナが退院したぞ」



「……そうか」



 イッサクのぼそっとした答えに、デスノスは意外そうに聞き返す。



「驚かんのか?ほとんど死んでおったのに?」



「そのためにGGレアのお宝を使ったからな」



 すると、女主人が聞いてきた。



「でも体を治すだけなら、超回復薬ってやつでもよかったんじゃないの?」



「体を治すだけじゃなかったってことだよ」



「どういうこと?」



「ミナを俺と出会う前の状態にもどしたんだ」



「ああ……。ミナ様の中からあんたを消そうとしたんだ」



「俺たちが、あいつとラヴクラフトとを引き離さなければ、そもそもこんなことにはならなかった。だからあいつもラヴクラフトについていったと思ってたんだけど……」



 イッサクが首を傾げていると、リリウィが席を立ちながら言った。



「あの子、いまここに来ているわよ」



「へ?」



 リリウィがドアを開け、店の外に顔を突き出した。



「ちょっと、いつまでそこで化粧直しているのよ」



 そう言って、リリウィは店の中にミナを引っ張り込んできた。


 ミナは。ジャケットに、ニットとデニムという、カジュアルな服装でそこに立っていた。ちぎれた腕も、潰れた足も、眼球も、焼けただれた金髪も、美しい顔もすべて元通りに治っていた。



 イッサクはミナがここにいることが信じられないでいる。

 ミナはイッサクのことを知らないはずだ。

 イッサクはミナの体を治したのではない。

 ミナをイッサクと出会う前の状態に戻したのだ。

 そうなるようにGGレアの万能薬を使ったのだ。

 だからミナがここにいる理由はない。

 リリウィか、もしくはデスノスが呼んだのかと思った。

 だがミナは、顔を赤くし、ちまちま髪を直しながらイッサクを見ている。



「えっと……、俺のこと、わかるのか?」



 イッサクが恐る恐る聞くと、ミナは柳眉を吊り上げて、怒鳴った。



「当たり前でしょ!よくも私の記憶を消そうとしてくれたわね!!」



 いまにも殺しそうな迫力。ミナはまちがいなくイッサクのことを覚えている。



「……まさかっ」



 イッサクはよろけながらミナに駆け寄ると、ミナが履いていたデニムを下着ごと引きずり下ろした。ミナの腹と下半身が丸見えになり、デスノスが「ヒュ〜♪」と口笛を鳴らす。



「あれ……ちゃんと治ってる……」



 ミナの肌に傷もシミもないのを確かめてイッサクは首をひねる。



「な……なにするのよ、このバカー!!」



 涙目になったミナがイッサクの顔に正拳突きを繰り出した。すると、ミナの拳が、包帯でぐるぐる巻きにされたイッサクの顔を、突き抜けてしまった。



「「え?」」



 女店主以外の全員が声を上げた。



「あ、ヤベ」



 イッサクはあわてて包帯を治そうとするが、うまくいかずに包帯はどんどん解けてしまう。そして包帯の下から現れたイッサクの顔に、一同は声を失った。

 イッサクの顔に、まるで巨大なパンチであけたように、不自然に幾何的な大きな穴が空いていたのだ。



「イッサク……それ……」



 ミナが手で口を抑え、絞り出すように聞いた。

 イッサクはやっちまったと舌打ちをする。そして他の包帯も解いて見せると、パンチで空けたような穴は、イッサクの体の至るところに空いていた。



「ガチャの対価だよ。透明になって消えるのかと思ったら、急にこんなになった」



「消え……ちゃうの?」



 青ざめて震えるミナ。イッサクは残っていた片腕で頭をかきむしる。



「こういうめんどくさい空気になるのがいやだったんだよ」



 デスノスたちも言葉がなく押し黙り、店の空気が重く沈む。

 イッサクはそれらに背を向け、カップに手を伸ばして中の黒い液体に口をつける。

 そしてわざとらしく大きな声で言った。



「このコーヒー。なにを入れても、やたらと苦いままなんだけど、どうなっているんだ?」



 いくらミルクや砂糖を入れても、味どころか、漆黒の色すら変化しないコーヒーに、イッサクがジトっとした文句を言うと、女主人はふんと胸を張る。



「あんたの舌が貧しいから、その超超高級GGコーヒーの味がわからないのよ」



「なんだそのネーミングは。こんなの店で出すのか?」



「お気に入りの客にしか出すつもりはないわ」



「そりゃ光栄なこって」



 そういうのはもう、あれだ。ぶぶ漬け的な嫌がらせではないのか?

 イッサクがあきらめて苦い液体をすすると、そのとき、隣のリリウィに抱かれていたヨールが、小さな手でイッサクが持つカップをテシと叩いた。

 カップの中からコーヒーがこぼれ、イッサクは「熱っ」と声を上げる。



「……あれ?熱い?」



 イッサクは自分で上げた声に違和感を感じて、コーヒーがかかった腕を見つめた。

 そこもパンチで空けたような不自然な穴が空いた、悪魔に持っていかれた箇所で、肉体はもちろん、痛覚も触覚もない。なのに熱いと感じた。



 すると、イッサクは驚きのあまり、目を痛いほど見開いた。不自然に空けられた穴が、徐々にふさがっていっているのだ。

 ガチャを回した以上、対価は支払わなければならない。悪魔との契約は絶対で、もっていかれたものが帰ってくる道理はない。そのはずだ。



 ふと見ると、女主人がイッサクの顔を覗き込んでいた。驚きと困惑でイッサクが固まっていると、女主人の年齢不詳の美しい顔が笑った。



「それこそが、本物の神の恩寵よ」



「恩寵?」



「ありえないことを実現する本物の奇跡。頑張った人間に神が与えるご褒美。だいたい悪魔がGod,s Graceを騙るなんて、笑えない冗談だわ」



 女主人は美しい顔で、悪魔を嗤ってみせる。イッサクにはその美しい顔が、どんどん恐ろしいものに見えてくる。



「じゃあこのコーヒーは……」



「あんたの存在を取り戻す薬みたいなものよ。あんたと悪魔との取引は取り消したから」



「取り消した?じゃあミナの体はもとに戻っているのに、記憶はそのままなのは……」



「そうよ。悪魔のまがい物で全部なかったことにするなんて無粋よ。だから、あんな薬は悪魔に突き返して、私がミナを治したの」



 目眩するほどの衝撃の事実を、女主人はあっさり言いってのけた。

 イッサクの全身から嫌な汗が吹き出す。



「……あんた、いったい何者だ?」



 長い付き合いの女主人に、イッサクは初めてこの質問をなげかけた。すると女主人は、恐ろしいほどに美しくイッサクを見下ろしていった。



「私が誰だか、もうわかっているんでしょ?許すわ、言ってご覧なさい」



 たしかにイッサクは女主人の名に心当たりがある。というよりもそれしか思い当たる存在がいない。

 虚ろな悪魔ヴァとの契約をなかったことにしてアイテムを突き返し、死にかけだったはずのミナを治し、存在を奪われたイッサクの体をもとに戻すコーヒーをふるまう女。

 そんなふざけた存在、一つしかない。



「創世神話の三姉弟神の長姉、享楽する破壊神ガルドっ……」



 名を呼ばれた女主人、いや破壊神ガルドは満足気に微笑んだ。

 そのこの世ならざる美しさに、イッサクは気が遠くなった。


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