第113話 祭りのあと。そして童貞へ……(1)

 王都の片隅の、蜘蛛の巣のように広がる路地の奥にある薄暗いバーで、ずんぐりとした古びたテレビが、にこやかに手をふる新首相の姿を、毒々しいほど明るく映している。



「どうしてこうなった……」



 全身を包帯でぐるぐる巻きにされたイッサクは、女主人が淹れてくれたコーヒーを片手に、まるで悪い夢を見ているように呻いた。



 野外公開セックスの混乱と、イッサクとミナの乱闘があったにもかかわらず、選挙はその数日後に予定通り行われた。

 結果、トキハたちの真王党がラヴクラフトたち共和党を圧倒し、そしてなんと、新首相にデスノスが指名されたのだ。



「どうしてこうなった……」



 イッサクが再び呟くと、目の前にバサバサと新聞の束が放り投げられた。どの新聞の一面にも、破壊されたした市街で、陣頭に立って国民を避難させているデスノスの写真がデカデカと掲載されている。



「災害から国民を守った英雄だそうよ」



 女主人がニヤリと笑っている。この場合、災害とはイッサクとミナが暴れたことだが、それは国民一般の知るところではない。



「でもそれだけで、無名の新人が首相になるって、おかしいだろ。なんで国民は文句を言わない?」



「真王党が買収したからでしょ」



「買収?誰を?」



「だから国全体をよ」



「はあ?」



 女主人が一つの記事を指差した。

 そこには真王党の公約が並べられていて、曰く、大規模な減税、産業界への多額の補助金、無償の奨学金、国民全員への現金給付などなど、いわゆるバラマキ政策の大盤振だ。

 しかも、国民への現金給付は、なんと選挙前に実行されていた。



 こんな露骨な票の買収など、もちろん明らかな選挙法違反だが、なぜか問題になっていない。その最大の理由は、これを批判し取り締まるべきラヴクラフトの陣営がグダグダだったことだ。



 ラヴクラフトは、大広場での乱交とミナへの裏切りによって、誹謗、中傷、嘲笑を向けられ、さらには公開セックスという暴挙によって、完全に立場を失っていた。

 


 真王党からすれば、やりたい放題の状況だった。そしてラヴクラフトたちの失策と、国民たちのもらえるものはもらっておけという庶民感情を利用して、まんまとデスノスを首相に仕立て上げてしまった。



 こういう本音と建前、倫理と犯罪を融通無碍に駆使して実益をせしめる手腕、現実性、もといエゲツなさはデスノスには無い。 

 イッサクがゆっくり後ろを振り返ると、そこではデスノスとトキハが高々と祝杯を上げていた。トキハはイッサクの生暖かい視線に気がつくと、黒に塗りたくられた顔でニコっと微笑んだ。



「それにしても、なんでデスノスなんだよ?」



「お兄様の王政を支えるのに、これ以上の適任者はいません」



「いや、俺、もどるって言ってないんだけど」



「だめですよ。私はまだお兄様の魔王化をあきらめていませんから」



「えー……」


 

 黒いマントでも着て「フハハハハ!」とでもすればいいのだろうか。魔王イッサクの姿を思い浮かべて、イッサクは無性に背中が痒くなる。



「あと、これだけのバラマキをする金はどこから引っ張ってきた?」



 そのイッサクの質問にはデスノスが答える。



「お前からの報酬を処分しただけだ」



「……ああ、ジイさんのへそくり」



「俺にはこれだけあれば十分だからな」



 デスノスは懐から羽をかたどった首飾りをのぞかせて、呵呵と笑う。

 首飾りを見て、イッサクは聞いた。



「ラヴクラフトはあれからどうしている?」



「やつには地方の少子化対策を任せようと思っとる」



 デスノスがあまりにさらりと言ったので、イッサクは反応が遅れてしまう。



「おまえ、あいつを使うのか!?」



「使えるのだから使わんとな」



「少子化対策とかいって、アイツの子供ばかりできるかもだぜ?」



「心配いらん。ヒスイがついておる」



 イッサクは驚いてデスノスの横顔を伺うが、気負ったなどはまったくない。



「おまえ、それでいいのか?」



「諦めたわけではないぞ?首相となった俺が、如何にできる男かということを見せつければ、ヒスイも戻ってきてくれる。地位さえあれば、俺がラヴクラフトに遅れを取るわけがない」



 金をばらまいて得た地位なのに、その自信はどこから来るのか。デスノスはもう勝利したかのように、ガハハと笑う。

 それからイッサクは、なにかを聞こうとして口を開いたが、何も言わず口を閉ざしてしまう。目ざとくそれを見ていたデスノスがニヤと笑った。



「なにか聞きたそうだな?」



「べつにぃ」



 イッサクが目をそらし、またコーヒーをちびちびと飲んでいくと、勢いよく店のドアが開かれた。



「ただいまー。やっと泣き止んでくれた」

 

 

 リリウィが赤ん坊を大事そうに抱いて店に入ってきた。リリウィはイッサクの隣に座り、女主人が差し出したお茶を受け取っている。



 この赤ん坊は、イッサクがミナの腹から引きずり出した嬰児であり、封印されていた邪神、微笑む豊穣神ヨールの受肉した姿だった。

 どうして人間の赤ん坊の姿になったのかはわからない。

 だがヨールと再開したリリウィは、



「ちゃんと私を叱ってくれる、立派な子に育てる」



 そういって、この赤ん坊のヨールを育てることに決めた。

 イッサクは不安だった。自分を叱ってくれるようになど、そんな倒錯した愛情で子供を育てて大丈夫なのか?それはヨールを抱くたびに懺悔するようなもので、リリウィの精神に大きな影響を与えないわけがない。



「(もしかして、それが狙いか?)」



 イッサクはリリウィの胸を枕に、すやすやと寝ているヨールを見やる。すると、寝ていたはずのヨールがすっと目を開き、イッサクに笑ってみせた。まるで「黙っていなさい。さもないと……」とでもいうように。



「(神様、こわっ)」



 イッサクはなにも見なかったように、ヨールから目をそらして、またやたらに苦いコーヒーをちびちびと飲んでいく。 




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