第110話 童貞力は砕けない(8)

「ぃってえええええ!!」



 イッサクの絶叫が響き渡った。

 脂汗を吹き出し、シャツを引きちぎり、残った腕を縛り上げ止血するイッサク。

 ミナは再び構えを取りながら言う。



「あなたに殺されないということは、あなたを殺せるということよ。

 だから手は抜かないっ」



「やっぱ頭のネジ吹っ飛んでだろ!お前は!!!」



 もう四の五の言っている余裕はなくなった。

 こうなってしまえば、ミナをねじ伏せて、邪神様の封印を解くしかない。

 面倒なことは、ぜんぶ生き残った自分に丸投げだ。



 だが相手は邪神と女神のタッグだ。

 イッサクには、いまのミナの剣を目で追えない。受け止めることもできない。

 力の差は絶望的で、どんな小細工も無意味だ。

 しかし、イッサクには芥子粒ほどの勝機が残されている。

 


 それは、さっきのミナの攻撃に対して見せた、イッサクの反応だ。

 あのときイッサクの体は、頭が指示を出すよりも、早く動いた。

 なぜそんな事ができたのか?

 イッサクが童貞だからだ。



 相手がミナであれば、イッサクの体はその動きを予測することができる。

 考えを読むことができる。

 頭で考えるよりも早く動くことができる。

 もう数十秒、ミナの前に立つことができる。

 イッサクは血まみれになった顔で、力なく、だが傲然と笑った。



「俺の童貞力が伊達じゃないってのを見せてやる」




 イッサクは全神経をミナに注いだ。

 目線、肩の位置、剣の握り、足の捌きに、瞬き、呼吸のリズムまでミナのすべてを全身で感じ取る。

 同時に、頭の中に、これまでの妄想のあらゆるパターンを掘り起こした。

 まさしく、イッサクは全身全霊を注いで、目の前に立つミナと向かい合った。



 イッサクの雰囲気の変化は、ミナにもすぐ伝わった。

 はじめてイッサクからまっすぐな眼差しを向けられて、ミナは歓喜に震えた。

 もっと私を見てほしい。

 もっと私を感じてほしい。

 窮地に追い込まれるほど、イッサクは自分を見てくれる。

 だったら!

 舞い上がった気持ちは、そのまま強烈な殺意に変換された。

 それがミナの口の端から、ほんのわずかに漏れた。



 ミナの仕草に、イッサクの体が反応した。

 考えるよりも早く、イッサクの右足が、一歩、バックステップを踏んだ。

 それとほぼ同時に、断崖のような衝撃波が、イッサクの眼前を突き抜けていった。



 ほうっと、息をつくイッサク。

 目をみはるミナ。

 呼吸数個の間をおき、両者の緊張感がまた高まっていく。



 ミナの肩口が内に入った。

 イッサクの体は動かない。

 だが隠すように握られた小指に力が入ったのを、イッサクの目が捉えていた。

 イッサクの体が咄嗟に重心を落とすと、直後、金色の閃光がイッサクの頭上をかすめいった。

 たった2つの攻撃を交わしただけにも関わらず、血まみれのイッサクが汗だくになった。



 一方、ミナは、一連のイッサクの回避に瞠目していた。

 ミナが攻撃を繰り出すタイミング、スピードは人間の認知限界を超えていて、かわせるはずのない攻撃だったからだ。



「驚け。これが俺の童貞力だ」



「いや、そういうのもういいから」



 ミナは手品の種がわからない子供のように、口を尖らせている。

 対するイッサクにはまったく余裕がなくて、苦笑いするのも力がいるというのに。

 彼我の圧倒的な差に、隠しても無駄だと、イッサクは種明かしをする。



「大陸最強のお前は、合理で敵を押しつぶせばそれで勝てる。

 だからお前は敵が誰であろうとも、いつも同じように勝ってきた。

 反面、それは、行動が予測しやすいってことだ。

 お前がどんな合理を押し付けてくるのかを知っていれば、次になにをするかわかるって寸法だ」



「童貞、関係ないじゃない」



「いやいや。俺が童貞だから、お前がなにをしてくるかわかるんだ。

 言っただろ?俺はおまえに夢を見ていたんだ。

 頭の中で、何度も何度も、延々とお前を殺し続けたんだ。

 だから、俺の体には、お前がしみこんじまってる。

 考える必要もないくらい、俺はお前のことがわかっちまうんだよ」



「ふ、ふーん……」

 


 イッサクの言葉に恥ずかしくなったミナは、赤くなった顔を両手で抑えて身を捩る。

 ダラダラと血を流し、立っているのもやっとのイッサクは、芥子粒ほどの勝機をもう少し増やそうと、ほくそ笑む。



「おまえ、なんか勘違いしてないか?」



「なにが?つまり、あなたが私のこと大好きだって話でしょ?」



「ちげーよ。おまえは夢の中のミナよりも退屈だって、俺は言ったんだぜ?」



「は?」



 少女のように華やいでいたミナの顔が、一瞬で鬼面になった。

 ミナはプライドが高く、そして気が短い。

 安い挑発だとわかっていても、無視できない。

 ましてや、殺したいほど憎い女と比べられたのだ。

 そんなもの真正面から叩き潰さねば気がすまない。



「わかったわ。乗ってあげる。そのかわり死んでも知らないわよ」



「結局、おまえも俺を殺したいだけなんじゃねえの?」



「あとで何とかするからいいのよ!」



 イッサクは苦笑いした。死んだ人間をなんとかする手段が、そう安々と見つかってはたまったものじゃない。



 ミナが、再び剣を突く構えをとった。

 またあの金色の閃光が飛んでくる。

 だが剣先に集約されていく魔力は、前とは比べ物にならない。

 ミナは言っているのだ。

 予測したければすればいい、それでも殺してみせる、と。



 イッサクは、大量の出血とともに失われていく気力を奮い起こして、全神経を最高度に集中し、ナマクラを構えた。





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