第108話 童貞力は砕けない(6)

 動かなくなったイッサクの頭を抱いて、ミナは歪に微笑む。

 これでイッサクはミナだけしか見ない。

 残骸となったイッサクは、もうミナから逃げない。

 ミナを怒らせない。

 嘘をつかない。

 困らせない。

 恐怖させない。



 ミナはイッサクのぬくもりを感じられることに満足する。

 だがその満足は、ミナの胸の中ですぐに凍えてひび割れていく。

 これから誰が私を脅かすのだろう?

 震えさせるのだろう?

 怖がらせるのだろう?



 イッサク以外の人間全員がミナを女神として崇めている。

 彼らはミナに反対しない。

 ミナを怒らせない。

 嘘をつかない。

 脅かさない。

 恐怖させない。

 誰一人として、ミナの横に立とうとしない。

 ラヴクラフトですら、自分にとって都合のいいミナしかみていなかった。

 だから、怪物になるほかなかった。



 イッサクがいない世界は、平和で穏やかだ。

 だれも語りかけてくれない、静かな世界だ。

 自らイッサクを壊したミナは、暗い砂漠で一人凍えて生きていかなければならない。



 しかしこれは自分で選んだことだ。

 イッサクを手に入れるために、イッサクを諦めた。イッサクから逃げた。

 そうしなければ、このぬくもりすら手に入らなかった。

 だからせめて、イッサクのぬくもりを感じようと、ミナはイッサクに口づけしようとする。



 だが、そのとき、白目をむいていたイッサクが、突然目を見開いた。

 血走り黄色く濁った目がミナを睨んだ。

 そうして、イッサクはミナの鼻頭に渾身の頭突きをかました。

 ミナは鼻血がでる顔を抑え、たたらを踏み後ずさる。



「あー、くらくらする」



 動かなくなったはずのイッサクは、手のひらで、しきりに耳の裏を叩いている。



「どうして!?人格を破壊したはずなのに!?」



 半ば恐慌し、半ば歓声をあげるようにミナが叫ぶと、イッサクは大げさにため息をつき、自分を指差して、大いに声を張り上げた。



「バァーカ!

 俺は童貞だぞ?

 ずっと女に夢を見ているんだぞ?

 夢の中のお前に、あんなことやこんなことをしてきたんだぞ?

 ギッタンギッタンのグッチョグチョだぞ?

 そんな俺が、ずっと愛を囁いてほしいとか、そばにいてほしいとか、そんな甘酸っぱいので、どうこうできるわけねーだろ!

 俺の童貞力をなめんな!!」


 

 イッサクはガキ大将のようにふんぞり返ってミナを見下ろしている。

 ミナはうつむき、肩を震わせ拳を握りしめた。

 イッサクを諦めるという決心をコケにされて、腸が煮えくり返った。

 イッサクが戻ってくれて、凍てついていた心が熱くなった。

 感情が形をなさず、マグマのようにドロドロに沸騰する。

 ミナは泣き顔になり、笑うような声で怒り狂った。



「いい加減にしてよ!

 何が童貞力よ!

 そんなにやりたいたらにすればいいじゃない!

 夢の中の女じゃなくて、をグッチョグチョにしなさいよ!

 このヘタレ!」



「できるわけねーだろ!!

 俺の言うグッチョグチョはただのグッチョグチョじゃね―ぞ!

 原型をとどめているかどうかも怪しんだぞ!?」



「そんなのとっくにわかってるわよ!

 あなたがどうしようもなく、お粗末な欲望を持った男だってのは、6年前、あなたに殺されかけたときから知ってるわよ!」



「……え?」



「あなたが好きなった女を殺したくなる、異常性愛者だってことぐらいバレバレよ。 

 6年前だって、トキハのことを口実に、ああいうふうに私を犯したかったんでしょ?

 あんな童貞みたいにがつついて、バレてないわけないじゃない。

 あなたが私のことを殺したくなるほど大好きだってこと、あのときから知っているわよ!」



「……っ」



 イッサクは、顔を赤くして、なにか言い返そうとしたが、なにを言ってもドツボにハマりそうで、結局何も言えず、ただプルプルと震えているだけになってしまった。




「あれ以来あなたは、わたしから距離を取るようになった。

 それは別にいいのよ。またわたしを殺さないようにしないように、気遣ってくれているのがわかっていたから。


 でもね!私を無視するのはダメ!

 他の女のことを見るのはダメ!

 そんなの許せるわけないじゃない!


 こっちはずっと、あなたのお粗末なものを受け止められるようになろうって頑張っていたのに!

 あなたを殺せるぐらいに対等になれるように、頑張ってきたのに!」



「なにが頑張ってきただ!

 お前は自分に都合のいいものばかり見て、俺から逃げていたんだろが。

 まわりが俺のことを無能だというのを聞いて安心してきただろ。

 俺より仕事ができるようになって、俺を見下していただろ。

 ナメていたたから、わざわざ俺の前でラヴクラフトに抱かれてたんだろ。ああっ!?」



「そうよ。私はあなたが恐ろしかった。

 でも、あなたがなにも言ってくれなくなるのが、こんなに怖いとは思わなかった。

 だから、もう逃げない。


 ちゃんとあなたを愛しているってこと伝えてみせる。

 あなたが殺したくても殺せない女は私だけってことを、命をかけて証明してみせる。 

 私にはあなたしかいないし、あなたには私しかいないってこと、わからせてあげる!!」



「証明って、すでに手も足も出ないじゃね―か」



 するとミナは、下腹に手を当て、祈りを捧げるように呟いた。



「お願い。力を貸して」



 イッサクは目を見開いた。

 なんとミナの魔力が見る間に増えていく。

 大陸最強であるミナの、ただでさえ馬鹿げた力が、10倍、100倍と爆発的に増えていく。



 ミナは腹の中にいる邪神から力を吸い上げていた。

 いやちがう。邪神がミナに力を与えていたのだ。

 

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