第102話 バカップルは斜め上を落ちていく(9)

 会場にいた者たちのなかで、ステージで何が起きているのか、理解できた者がどれだけいただろうか。

 ほとんどの人々は、黙って見ているだけだ。

 理解できないのだから、反応も対処もしようがなかった。



 それは、デスノス、トキハ、リリウィとて同じことだった。

 目には見えている。音も聞こえている。

 だが理解ができない。

 ステージの上のあれが、一体なんなのかわからない。

 だから、呆然とそれを見ているだけしかできずにいた。

 


 だがイッサクだけは違った。

 イッサクは腹を抱えて悶絶しながらそれを指差していた。



「ち○ぽだ!あいつ、ち○ぽになりやがったぞ!!」



 イッサクが指差している先で、ラヴクラフトの男性器が象の鼻のように巨大化し、うねうねと蠢いていたのだ。

 イッサクが床を転げ回り、叩き、息も絶え絶えになって大爆笑している横で、デスノスは呻くように言った。



「なんなんだ、あれば……」



「見たらわかるだろ、ち○ぽだよ、ち○ぽ。やっぱ、ちん○がデカいと自信も湧いてくるよな!」



「連呼するな!小学生かお前は!」



「いやだってよ、邪神様の力で、全力の下ネタかますなんて、やっぱあいつはただもんじゃねーぞ」



「邪神だと!?ラヴクラフトが!?」



「ああ。どうやったのかわからんが、あんな馬鹿げたこと、それ以外に考えられん」



 イッサクの言葉を裏付けるように、リリウィが食い入るようにステージから目を離さない。



「おい、ミナが襲われるぞっ」



 デスノスが声を上げた。

 巨大化したラヴクラフトの男性器が、ミナの体に伸び、まとわりつこうとする。だがミナの微笑みは悠然として変わらない。



「ハッ!あれ1本じゃ足りないってよ」



 イッサクが下卑に笑うと、その声が届いたのか、ラヴクラフトが怒ったように雄叫びをあげ、股間が輝いた。

 そして次の瞬間、象の鼻のような男性器が4本になった。



「増えたー!!!」



 またもやイッサクは爆笑した。笑いすぎて涙すら流している。

 ラヴクラフトの変化は男性器の増加だけではなかった。

 体は2倍に肥大化し、腕と足は先端が亀の頭のような触手になった。

 ラヴクラフトは、両手両足と股間から触手が伸びる、人間の原型を失った怪物になってしまった。




 ラヴクラフトの触手はミナに絡みつき、腕を拘束して吊し上げ、体全体を這いまわる。

 会場にいた観客すべてが、怪物に蹂躙され、ミナが辱められいるさまを固唾を呑んで見守っている。 



 会場からは観客たちの息づかいしか伝わってこない。

 ステージを見ているもので、怪物に怯えるものはいない。

 自分たちの女神を憐れむ者もいない。

 理解をしてそうしていたのではない。

 彼らはミナの微笑みを信じていた。



 そう。自由を奪われ、辱められ、犯されようとしていながら、ミナは美しく微笑んでいた。

 ミナが微笑んでいる限り、この国の平和は約束されている。

 国民はミナの微笑みを信じている。

 考えることをやめ、理解することを捨ている。

 このとき国民の中に、淫猥な女神への信仰が、生々しい現実として誕生した。

 まさに宗教の秘儀のなかのような異様な空気に、イッサクの舌打ちが聞こえた。



「ミナも国民も、思ったよりヤバいことになってんな」



― ミナを信仰し、盲従し、恩恵に群がるだけの、笛の音に乗せられて群れ歩くネズミと同じです。 ―



 かつてトキハと交わした議論が頭をよぎる。

 目の前で、首相候補が怪物となり、その恋人を犯そうとしているのに、誰一人逃げようとしない。叫ぼうとしない。

 神様ごっこもここまでくると、もう笑い飛ばせない。


 リリウィがステージから目を離さないままで言った。



「あそこに、ヨーちゃんがいる」



「だな。邪神様を解放できれば、このバカなイベントもそれまでだ」



 イッサクがナマクラの剣を担ぎ、会場に降りようとする。

 その腕を、リリウィが掴んだ。



「あそこにヨーちゃんがいる!」



 リリウィはステージ上のベッドを指差す。



「わかってる。だからこれから……」



「ちがうっ!」



 リリウィが頭を振り、イッサクの肩を掴んで叫んだ。



「ヨーちゃんは、ミナのお腹の中に封印されているの!」



 ギョッとしてイッサクは、触手に弄ばれ悦ぶミナを振り返る。

 ギリと歯を鳴らし、抑えられぬ怒りを吐き出した。



「あんの、クズオヤジっ!!」 

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