第83話 童貞の黒歴史は踊る(5)
ミナたちの背後に現れた影は、縦に割れた胴体に、昆虫のように折れ曲がった手足がぶら下がり、空気の抜けたボールのようにひしゃげた頭をもっていた。
だが、その怪物の目だけは人間のものだった。
血走った眼球には、人間だけがもつ、黒ぐろとした欲望が、ドブに浮く油のように光っていた。
ミナはその目を知っていた。
この春暁の館で、ミナに快楽と絶望を植え付けた男の目。
この怪物は、イッサクに殺された先王の、変わり果てた姿だった。
怪物の目がミナに向けられた。
腐臭が湧く欲望をむけられ、ミナの過去の記憶が蘇る。体が動かなくなる。
先王が昆虫のように歪んだ腕をミナへ伸ばす。
陰惨な過去に囚われたミナは、目をむき出したまま、剣を抜くことも、逃げることも、声を上げることもできない。
「どっせい!!!!」
間一髪のところで、イッサクが体当りし、先王を吹き飛ばした。
「デスノス!全員外へ連れだして、扉を閉めろ!!」
「お前はどうするのだ!?」
「なんとかする!」
「いつもそれではないかっ!」
デスノスは舌打ちするも、リリウィとトキハを抱え、ミナの首根っこを掴んで引きずっていく。
引きずられながら、ミナはぼんやりとイッサクの背中を見てた。
先王がナメクジのように体をころがし、それからぬらりと顔を上げ、菌類のようにじわじわと立ち上がった。
かつて自分が殺した父親との対決だが、イッサクには動く汚物を前にしている程度の感慨しかない。
イッサクはナマクラの剣を抜いて構える。
だがクスリで体がしびれているイッサクは、ナマクラを取り落してしまった。
その瞬間、先王は爆発音をたてて床を蹴り、たった一歩でイッサクとの間合いをゼロにした。
「マっ!?」
完全に虚を突かれたイッサクは、慌ててナマクラを拾い、身を固めようとするが、それよりも早く先王の腕はその防御をかいくぐり、イッサクの腹を切り裂いた。
イッサクの腹から血が吹き上がり、ミナの視界に赤く暗い幕を落とす。
パシャ。
ミナの顔に、イッサクの血がベッタリと降りかかった。
そして赤い世界の中で、イッサクが先王の前に膝を付き、倒れ、動かなくなる。
ミナの顔についたイッサクの血が冷たくなった。
「……ぅうわああああああ!!」
ミナが叫んだ。
デスノスを突き飛ばし、剣を抜き、先王に飛びかかった。
一撃目で先王の腕を弾きあげ、二撃目を割れた胴体に叩き込み、目にも止まらない速さの蹴りを入れて吹き飛ばした。
ミナは遮二無二、剣を振って先王を圧倒し壁に釘付けにする。
その間に、デスノスはイッサクに駆け寄り、ミナと先王から引き離す。
イッサクは助け起こそうとするデスノスの胸ぐらを掴んで、喚いた。
「俺よりもあのバカを!早く!」
「貴様こそ、人の心配をできる様ではなかろうが!」
デスノスは着ていた上着を割いてイッサクの腹をきつく縛る。
イッサクは顔をしかめながら、後ろのラヴクラフトに怒鳴った。
「ミナを引かせろ!お前なら言うことを聞かせられるだろ!」
だがラヴクラフトは、小馬鹿にするように、無様に転がるイッサクを見下ろした。
「逃げる?何を馬鹿な。見ろ!僕のミナは大陸最強なんだ。あんな化け物なんて瞬殺さ!」
自信満々に胸を張るラヴクラフト。
だがイッサクとデスノスは、そんなラヴクラフトに、可愛そうな子供をみるような目を向け首を振る。
「お前はベッドの上のミナしか見てないのか?」
「な、なに!?」
イッサクにミナを語られ、ラヴクラフトの顔がカッと赤くなる。
デスノスがイッサクに肩を貸しながら、ミナの戦いを見て言う。
「ミナの強さは、自分の合理を徹底的に敵に押し付けることにある。
だが今のミナは剣は振り回すだけ。間合いは突っ込むだけ。
頭に血が上り、呼吸は乱れ、視野も狭い。まったく合理がない。
そんな状態で、いつまでも持つわけなかろう」
デスノスの言う通り、あっというまにミナの息があがり、ラッシュが止まった。
それを待っていたかのように、先王はボクサーのように小さく早く腕を繰り出し、ミナの剣を弾き飛ばした。
そして無防備になったミナを、先王が両腕でがっちりと捕まえ、締め上げた。
「ミナ!!」
ラヴクラフトが叫び、駆け出した。
先王はミナを締め上げたまま、目だけをギョロとラヴクラフトに向ける。
「ひっ」
それだけでラヴクラフトは魂を吹き飛ばされたような声を漏らし、顔面蒼白となって、床に崩れ落ちた。
先王の目が再びミナに向けられる。
ミナは先王の腕の中でもがき、苦悶の声を上げている。
その健気な抵抗に、先王の目は禍々しさを増していくと、突如、先王のへしゃげたボールのような頭がガバっと裂けた。
その顔は人とかけ離れているにもかかわらず、人間の残虐な笑みにしか見えなかった。
その笑みの奥から、心を押しつぶすような低い声が鳴った。
「ミィいイィ……、Naァアァああ……!」
先王がミナの名を呼び、ミナの顔へと近づいていく。
ミナは、抵抗する気力を失い、ガタガタと震え、なにもできず、固く目をつぶってしまった。
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いつも読んでくださり、ありがとうございます。
最近いただく応援コメントが、どれも鋭い指摘ばかりで、いままでのミナへのブーイングが作者へのブーイングに変わらないか、戦々恐々としております……。
この作品はカクヨコン期間内に完結する予定にしていますので、クリスマス・正月返上で仕上げてまいります。
★、レビュー、応援コメントなどフィードバックをいただけると、本当に、本当に励みになりますので、ぜひお送りください。
下手な書き手ではありますが、今後ともお付き合いいただけますよう、よろしくおねがいします。
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