第82話 童貞の黒歴史は踊る(4)

 ミナは怯えていた。

 散乱する死体などにではなく、この館と、そしてここにイッサクがいることを恐れていた。

 それでもすべての輪郭をぼかすオレンジの闇の中で、ミナの眼光は、イッサクに向けてはっきりと輝いていた。


 扉の外から、男の気取った声が響いてきた。



「これはひどい!これが王の隠された真実か!」



 ラヴクラフトが、ヒスイと他の側近を引き連れてきたのだ。

 側近たちは、写真を撮り、カメラを回して、春暁の館に封印された惨状を記録している。



「あなたがどうしてここに?」



 ミナが驚き、聞くと、ラヴクラフトはミナの肩を抱いて高笑いした。



「もちろん君を助けるためさ。この無法が国民の知るところになれば、イッサクを絞首台にかけることができる。これで僕たちの勝利は確実だ!」



 ミナは、最初こそラヴクラフトの手から逃れようと抵抗したが、すぐに胸元を赤く染め、身をラヴクラフトの腕の中に委ねてしまう。

 それを見たリリウィは、ラヴクラフトの尻を思い切り蹴飛ばした。



「この子に触らないで。うちが先約なんだから」



 リリウィはミナを奪い取ると、舌を出してラヴクラフトを追い払う。

 ラヴクラフトが床に這いつくばって、なにやら罵ると、リリウィがにわかに気色を不穏にした。



「あんたが大事にするのって、セックスをさせてくれた女だけなのね。マジでショボイ男」



 その言葉と視線だけで、ラヴクラフトはフリーズさせられてしまい黙り込んでしまった。



「あの二人、いつのまに、あんな仲が良くなったのだ?」



 意外な取り合わせにデスノスは驚いているが、いまのイッサクには、デスノスの声も、トキハも、リリウィも、ラヴクラフトも、ミナのことすら意識に入っていない。

 オレンジ色の闇の中に潜んでいるであろう先王を捉えるのに、全神経を集中させていた。



 ミナはイッサクの傍らにいる、黒とピンクに塗られた女に気がついた。

 ミナがその見慣れない異形の女を睨むと、視線に気がついた女はつかつかとミナへと近寄ってきた。



「ご無沙汰しております、お義姉さま……。で、いいのよね?いまはまだ」



 異形の女が皮肉に笑うと、ミナは激しく目を瞬いた。

 このような黒とピンクをゴスとロリで煮込んだような異形に、義姉と呼ばれる覚えなどなかった。



「あらつれない。せっかく地獄からお礼を述べにもどってきたのに。ねえお兄様?」



「ああ?はいはい、そうだな」



 兄とよばれたイッサクはそれどころではなく、適当に女をあしらう。

 だがそのときイッサクがわずかに見せた、気のおけない相手だけに見せる表情に、ミナははっとする。

 イッサクがそんな顔を見せる女を、一人だけ知っていた。



「まさか、トキハ……?」



 ミナは声を失った。

 かつてのトキハはイッサクに寄り添う、可憐で清らかな王女だった。

 イッサクを慕うトキハは、兄の婚約者のミナにも優しさと親愛の情を注いだ。



 だがそれらは激しくミナを苛んだ。

 汚れた自分との、埋めがたい差を見せつけれ、その言いようのない暗い感情は、嫉妬となってミナから狂い出た。

 気がついたときには、ミナはトキハを血の海に沈めていた。

 トキハを殺した。

 イッサクの妹を殺した。

 このことはミナに己の命よりも重い罪を背をわせた。



 そのトキハが、目の前に立っている。

 ミナの驚く顔に、黒とピンクで塗り分けられた顔が歪むように笑った。

 ミナが見えていた世界も、同じようにして歪んだ。




 イッサクは少し離れたところから、そんなミナを見ていた。

 ミナが受けたショックが大きかったことは、容易に見てわかる。

 なにも教えなかったのはやりすぎだったかもしれない。

 また間違えたのか。

 罪悪感が、イッサクの注意をミナに注がせていた。

 他のことから注意をそらさせた。



 だから、ぼんやりとした暗闇の中に、禍々しい影が滲み出るように現れたことに気づくが遅れた。



 イッサクは総毛立った。

 体が飛び出していた。



「ミナ!後ろだ!!」



 ミナ、リリウィ、トキハが振り返ると、人らしき何かの影が襲いかかろうとしていた。

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