第21話 王妃ミナは、イッサクの夢を見る(6)
「大丈夫か?」
「さわらないでっ!」
心配したラヴクラフトが、ミナ肩に触れようとすると、ミナはぎょっとして、ラブクラフトの手をはね除けた。
ラヴクラフトは困惑していた。
ミナが豹変した理由がわからない。
ミナのすべてを手中にしていたという自信が、大きくぐらついていた。
ラヴクラフトはミナの横に膝を付き、ゆっくりと声をかけた。
「なにが怖いんだ?」
「ば、罰が、こんなに、こ、怖いなんて……」
ミナは体だけでなく、声まで震わせている。
ラヴクラフトは「まだ早かったか」と心中で呟いた。
ミナはあの夜以来、まるで責め苦を求めるように、自身に膨大な仕事を課してきた。
責任感の強いミナが、あの夜のことを、そう簡単に消化できるはずなかった。
イッサクの名を出して攻めたのは時期尚早だった。
あの夜のことは、ラブクラフトにも責任はあった。
イッサクに殺す価値はなかった。
それなのに、なぜ殺せと言ったのか、自分でもよく分からない。
何かに魅入られたように、ミナにイッサクを殺させたくて、たまらなくなっていた。
あんなことをさせなければ、もっと容易くミナを手に入れられていたはずだったのに。
だがもう終わったことだと、ラヴクラフトは深呼吸をし、意識を切り替える。
そのとき、携帯電話が細かく振動した。
短いメッセージを読むと、ラヴクラフトは苛立たしげに舌打ちした。
「イッサクが網にかかった」
震えているミナが目を開けると、もうラヴクラフトはスラックスとシャツを着て、ネクタイを締めているところだった。
「君を置いていくのは心苦しいけど、僕は行かなきゃならない。ごめんな」
そう言ってミナの頭を撫でようとするが、ミナは悪魔の手を見るように怯えた。
苦笑いしているラヴクラフトに、ミナは聞いた。
「あ、あの人は、どこに?」
「飲み屋の女のところに転がり込んでいたらしい」
「……女?」
「ああ。でも支払いを渋ったせいで女を怒らせて、その腹いせに通報されたそうだ。馬鹿な男だよ」
「ずっと二人きりだったの?」
「みたいだ。他の客の出入りもなかったらしい」
イッサクの無様を笑っていたラヴクラフトは、この時、ミナの震えが止まっていたことに気がついていない。
「とりあえずヒスイを先行させている。
イッサクのことは、他の人間には任せられないからな。
じゃあ行ってくる。
あ、もう今日はこれ以上仕事は無しだからな。絶対に休んでおけよ」
ラヴクラフトはキザにミナを指差すと、部屋から出ていった。
足音が聞こえなくなると、ミナはゆっくり体を起こした。
まだ微かに震えが残っている。
ミナは捲れたスカートをそのままに、髪も直さず、下着も床に打ち捨てたまま、窓の外を見た。
窓からは万霊祭で華やぐ街の夜景が見える。
あの灯りの下のどこかにイッサクがいる。ミナの知らない女と一緒に。
それはミナが一度たりとも考えなかったことだった。
イッサクの身の回りのことは、ほぼすべてミナが面倒を見ていた。
最も忙しい身でありながら、そんなことをしていたのは、ひとえに他の女を近づけさせないためだった。イッサクを独占するためだった。
だが、ミナはいま初めて、イッサクを盗られる危機を感じていた。
他の女と笑い合うイッサクを思い浮かべて、ミナの心臓がズグンと脈打った。
許せない。
何に対してとかではない。
ただただ、許せない。
そんなことはあってはならない。
心臓が発する灼熱が、凍てついた体を焼いていく。
体の震えは完全に止まっていた。
ミナは下着を履き、着衣の乱れを整え、髪を梳かし、口紅を引き直した。
それから立ち上がって、改めて部屋を見渡した。
部屋にはイッサクの離婚の計画が溢れている。
イッサクは新しい女ができたから、ミナと離婚しようとしているのかもしれない。
そう考えただけで、なにもかも焼き尽くしたくなった。
ミナは右手をかざし、素早く口を動かした。
かざした右手の上に、眩い炎が渦を巻き始める。
ふっ、と息を吹きかけると、炎は一瞬で部屋全体に移り、ソファを、机を、書架を、離婚計画の資料を燃やし始めた。
炎に囲まれながら、ミナはもう一度窓の外の夜景を眺める。
街のどこかにるイッサクを取り戻し、他の女の手から守らないといけない。
また自分だけのものにしないといけない。
ミナは再び右手をかざした。部屋の炎たちが一斉に渦を巻き始める。
「おおおっ!!」
ミナの咆哮とともに、炎は竜巻となって執務室から溢れ出した。
そして勢いを増して東の塔すべてを飲み込み、一気に燃え盛った。
その火災旋風の火力は凄まじく、東の塔はあっというまに燃え尽き、轟音をたて崩れ去った。
周囲に集まってきていた職員たちが悲鳴をあげる。
そして、燃え盛る炎の中から、ミナが金色の髪を熱風に靡かせ、悠然と歩いて出てきた。
驚いて駆け寄ってきた職員に、ミナは支持を下す。
「車の用意を。私も出ます」
そして左の拳を握りしめ、イッサクの奪還を誓った。
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