第18話 王妃ミナは、イッサクの夢を見る(3)
『離婚計画』の日付は4月。筆跡はイッサクのもの。
内容は、王家における離婚の前例、慣例、慣習、法律など、歴史を振り返ることから始まり、現代における離婚の意義や必要事項の検討、さらに実現までの具体的な作業と必要な期間まで網羅してあった。学会で発表したら一級の研究として評価されるであろう内容だ。
「こんな自由研究をするほど、暇だったのかしら」
ミナは呆れた笑みを浮かべるが、レポートを持つ手は震えている。
確かによくできた研究だが、これはあくまで一般論だ。実際に離婚を考えていたわけではないだろう。
しかし、そんなミナの楽観を嘲笑うかのように、レポートいたるところにイッサクとミナの名前が記されている。記載されてる期日や数字も具体的だ。
一般論どころではない。これは作戦指示書なのだ。
ミナは急な喉の乾きを覚えた。
しかし、しかしである。仮にイッサクが離婚を計画していたとしても、実際の行動が無ければ意味がない。
これによると、離婚の成立には、新しい法律の制定や、慣例の改竄など膨大な実務が必要であり、準備には少なくとも1年は必要とある。
そんな大掛かりなことを、国政のすべてに目を光らせているミナに知られずに行えるわけがない。
そのことに思い至ると、ミナは息をついてレポートを机の上に置いた。手の震えも止まっていた。
腕時計を見ると、もう1時間も執務から離れている。
ラヴクラフトは休んでいいと言っていたが、そういうわけには行かない。
ミナはレポートを書架にしまうと、急いでダンスホールに戻ろうとする。
だが、ギクリとして動きを止めた。
離婚計画ついて、ある可能性が頭をよぎったのだ。
ミナは急いで書架に戻った。
そして今度は、レポートが収められていたのとは別の本を、まんべんなく、注意深く見ていった。
すると、やはり背表紙が微妙に凹んだ本が他にもあった。
目についた本を片っ端から取り出していくと、隠されていた書類がいくつも出てきた。
それらの内容にミナは愕然とした。
法律家からの回答、議会への根回し、必要な予算の確保、秘跡課からの宝物持ち出し要請、なかには遺跡の破壊工作指示の写しなんてモノまであった。
イッサクの計画はすでに着手されていたのだ。
なかでもミナを震え上がらせたのが、数々のラヴクラフトとの不倫の証拠だった。
イッサクの寝室で繰り返した密通だけではなく、視察先のホテルや、王城の物陰でのプレイの画像や音声まで保管されていた。
ミナは顔面蒼白になった。
イッサクの離婚計画はあらゆる事態を想定しながら着実に、しかもミナに発覚しないよう秘密裏に進められていた。
激怒してたイッサクは、これらの証拠を突きつけ、ミナに有無を言わせないつもりでいたのだろう。
もしイッサクの身に何もなければ、いまごろミナは為す術なく、離婚の書類にサインをさせられていたに違いない。
イッサクはこの不便な部屋で昼寝をしていたのではない。ここはイッサクの離婚計画の本営だったのだ。
ミナは書類に埋もれるように、ソファに身を投げた。
震えが止まらない。
ショックで考えがまとまらない。
離婚したくない。
イッサクのそばにいさせてほしい。
縋るように左手の婚約指輪を握りしめる。
王妃の地位が惜しいのではない。
自分に非があることもよくわかっている。
それでも、ミナはイッサクの妻でいられなくなることがとても恐ろしい。
イッサクに、他人を見るような目を向けられると想像しただけで、凍る気がする。
ミナはイッサクの特別でありたかった。
だがミナはイッサクを裏切り続けてきた。
ラヴクラフトが与えてくれる快楽に溺れてきた。
挙句にはラヴクラフトのものが欲しいがために、イッサクを刺し殺そうとまでした。
最初から裏切るつもりなどなかった。いまでも裏切りたくなどない。
それでもラヴクラフトの腕から逃れられなかった。自らあの快楽を求めた。
罰が下ったのだろうか。
イッサクの体を傷つけ、命を脅かし、裏切ったことへの罰。
だがたとえ神が、悪魔が、王家の邪神が罰を下そうとも怖くはない。
ミナが恐れるのは、イッサクだけだ。
イッサクはミナになにも言わない。触れようとしない。
いつもヘラヘラ笑っているだけだ。
ふとミナは不安になる。
イッサクは自分を罰することすらしないのではないか。
ミナがいくら不倫を重ねても、体に刃を突き立てても、イッサクはヘラヘラ笑っているのではないか。
離婚計画も、それは激怒していたからではなく、ただミナが邪魔だったからではないか。
自分はイッサクに、一つの怒りも向けられない程度の存在なのではないのか。
ミナはいままでになく弱気になった。
すると、それまで強烈な責任感で抑え込んできた疲労と睡魔が、ここぞとばかりに一気に襲いかかってきた。
いまのミナに、それらに抗う力はない。
ぜんぶ夢だったらいいのに。
ミナは子供のように願うと、指輪を握りしめて、睡魔の手の中へと落ちていった。
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