第17話 王妃ミナは、イッサクの夢を見る(2)

 王城の廊下には、こんな時間にも関わらず、まだ多くの職員が走り回っていた。

 職員達はミナの前で立ち止まり、一礼して、また走っていく。

 いま、彼らにかかる負担は大変なものになっている。

 国をこんな状況にしたのは自分だ。 

 職員の一礼を受けるごとに、ミナの心に申し訳なさが積もっていく。

 


 3ヶ月前のあの夜に、イッサクを殺そうとしなければ、いや、そもそもラヴクラフトとのセックスにのめり込まなければ、国が混乱することも、イッサクが姿を消すこともなかった。

 ミナの体はラヴクラフトに触れられ、求められるだけで、自分の心を裏切ってしまう。

 イッサクが去ってからずっと、ミナは自分の体を呪っている。

 帰ってきてくれればと思わない日はない。

 それがあまりに身勝手で、恥知らずだということもわかっていた。



 ミナは自責の念にかられていた。

 だから、せめてもと、自らに苛烈な仕事を課した。

 忙殺されることで、ラヴクラフトの誘惑を遠ざけた。

 そんなことで、イッサクが帰ってくるわけではない。

 だが、いまミナは、仮とはいえ、この国の頂点に一人でいる。

 罰してくれる者はいない。

 自分で自分を責めていなければ、正気を保っていられないのだ。



 ミナは渡り廊下を行き、蔦で覆われた古い建物に入っていく。

 そこは東の塔と呼ばれていて、ほとんど誰も近寄らない、王城の中で忘れられたような建物だった。

 ミナは無人の廊下を、明かりをつけずに進んでいく。

 そうして荘厳な装飾が施された黒い扉の前で立ち止まり、扉を押し開けた。

 部屋に入り、テーブルの上の灯りをつけると、壁を埋める書架と、窓際の大きな机と、質素な応接セットが、夜闇の中から浮かび出た。

 


 ここはかつてイッサクの執務室だった。

 イッサク失踪のあと、ラヴクラフトが使おうとしたが、この部屋ではまったく仕事がはかどらなかった。

 ここは客を招くには質素すぎで、資料を広げるには狭すぎた。

 なにより王城のあらゆる施設からのアクセスが絶望的に悪かった。

 まるで王城全体が、国王イッサクを遠ざけているような場所だった。

 ミナが休憩のためにここへ来たのも、誰も近寄らず、静かだからだ。

 イッサクがこの部屋を使っていたのも、居眠りをするためだったのかもしれない。



 ミナはロッカーから小さなほうきを取り出して、溜まったホコリを落とし始める。

 ミナはできるかぎりイッサクの身の回りの世話をしていた。この部屋の掃除もその一つで、いまも休憩に来るとつい掃除を始めてしてしまう。



 だが、主を失った部屋の掃除は、あっという間に終わってしまった。

 手持ち無沙汰になったミナは、書架の本の背表紙を一冊一冊眺めはじめた。

 どの本も見栄えはいいが、中身は読者を無視した無味乾燥な歴史書で、記念撮影の背景にする以外の使い方が思いつかない。

 現にどれも新品同様で、手に取られた形跡がなかった。



 ミナは、その中の一冊に小さな違和感を感じた。

 背表紙の上の端が、何度も指を引っ掛けたように歪んでいたのだ。

 500年前の中世について書かれた本だ。

 イッサクは、この時代に興味があったのだろうか。

 


 手にとってみると、コトンと、本の中で何かが動いた。

 開けると、本の中身がくり抜かれており、分厚いレポートが隠されていた。

 見覚えのある手書きの文字で、びっしりと書かれたそのレポートのタイトルは『離婚計画』。



「……」



 ミナは何も見なかったかのように、レポートを元通りにしまい、本を書架に押し込んだ。

 それから小さなほうきを手にとって、たまったホコリを落としていく。

 しかし、主を失い、さらにはつい先程掃除をしたばかりの部屋にホコリは残っておらず、ミナはすぐに手持ち無沙汰に戻ってしまう。



 ミナはソファに腰を掛けて、テーブルのライトを見つめていた。

 腕時計の針がチチチと動く音が聞こえる。

 少しして、ミナはビクッと体を震わせて、慌ててあたりを見回した。



「わたし、ここで……そうか、休憩……」



 腕時計をみると、ダンスホールを出てから30分経っていた。

 もう戻らないといけない。

 ミナは立ち上がってドアに手をかけた。

 手をかけたまま、動きを止めた。



 すると今度は回れ右をして、書架へと歩いていった。

 それからさっきの本を再び手に取り、ソファに腰を下ろすと、『離婚計画』の一枚一枚に目を通していった。

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