第12話 元騎士団長は、妻に捨てられました(5)
裏切った妻と、妻を奪った男に殺されかけたのに、イッサクの顔には苦悩も苦悶もない。すべてを奪われた者が当たり前に抱くはずの、負の感情がまったく見えない。
女主人とデスノスは、そんなイッサクを、物の怪にでも会ったかのように見ていた。 もしかするとイッサクは、ショックのあまり現実をうまく認識できなくなっているのではないか。二人はそんな危惧すら抱いていた。
女主人がたまらず尋ねた。
「あんたは何をしたいの?」
「ん?ああ、だからもっとガチャを回す時間を……」
「うそね。あんたわざと王城をあけわたしたでしょ?」
「……なんでそう思う?」
「ラヴクラフトが暗躍するのを黙ってみていたからよ。あんたは何をしようとしているの?」
「……」
イッサクは腕を組んで黙ってしまう。
デスノスも、イッサクの考えを聞こうとじっと構えている。
観念したイッサクは、イスに座り直し、二人に向き合った。
「俺はこの国の裏の力を探しているんだ。
権力には力が要る。
表からみれば、それは議会での勢力であり、国民の支持であり、いまミナとラヴクラフトが手にしているものだ。
では、裏の力は何か?
それは大陸最強のミナすら屈服させる、人外の暴力だ。
歴代の王たちは人外の力によって、外に敵国を滅ぼし、内に圧政をしいて、支配を絶対としてきた。
ところがだ。この人外の暴力を、先代がどこかに隠しやがってな。
おかげで俺は名実ともに、玉座の飾りになった。
無能なナマクラ王の時代に、暁の宝剣たるミナが現れてくれたのは、国にとっても、俺個人にとっても幸運だった。
というわけで、俺はその人外の暴力の在り処をさがしているんだ」
女主人が腕を組んで聞いてきた。
「その人外の暴力って、一体何なの?」
イッサクはグラスに水を注ぎ、唇を湿らせた。
「邪神様の怒り……らしい」
「邪神?この国にそんなのいたっけ?」
「いない。この国の神は創世神話の三兄妹神で、
長女の『享楽する破壊神ガルド』、
次女の『微笑む豊穣神ヨール』、
末弟『虚ろな悪魔ヴァ』だな」
イッサクが指を折り神の名を並べると、女主人が冗談めかして言った。
「その邪神って、案外、享楽する破壊神ガルドかも」
「破壊神と邪神はちがうだろ?」
「見方の問題ね。
神なんてものは、人が理解がおよばないことへの呼び名という側面があるから、異名や異聞、異伝がつきものでしょ。
破壊だって、壊す方は楽しいけど、壊された方はたまったもんじゃない。
つまるところ、神の在りようは崇める人間次第なのよ。
唯一絶対神を自称しちゃう中二病みたいなヤツもいるけど、それだって高まった民族意識の産物だし」
滔々と語る女主人。いままで知らなかった一面を見て、イッサクは見慣れたはずの年齢不詳の美しい顔に釘付けとなった。
イッサクの熱い視線に、女主人はいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「どうしたの?もしかして惚れた?」
「感心してたんだ。詳しいんだな」
「昔ちょっとね」
「でも見方の違いというなら、末弟虚ろな悪魔ヴァだって邪神かもしれないだろ」
すると女主人は虫を払うように手を振った。
「あー、ないない。それはない。あれが怒りなんて上等な感情だせるはずないもの」
「まあ、虚ろな悪魔っていわれるぐらいだからなぁ。
それに俺が会ったやつも虚ろという感じでは……」
「会った?神に?」
女主人が慌ててイッサクの言葉尻を捕らえて身を乗り出す。
イッサクはヘラヘラと笑う。
「王城の占い師の話さ。一回相談したんだけど、100を超えた婆さんだから喜んでいるんだか起怒ってるんだか、わかんなくてさ」
「ふーん……。どうやって見つけるのよ?」
イッサクはスマホを取り出した。
そこには男が片手でつかめる程度の大きさの石像の画像があった。
石像はワニと羊を合成したような異形の顔をしている。
「俺のクズオヤジは、この石像を邪神さまの依代にしていたらしくてな。とりあえずはこれを見つけるのが目標だ」
女主人は石像の画像をひと目見ると、興味なさげにスマホから目を離した。
デスノスはじろりと目をスマホからイッサクへと向けた。
「お前はその力を手に入れて、玉座を取り戻すつもりか?」
「いいや。まったく。ぜんぜん」
イッサクはあっさり首を横に振った。
デスノスは身を乗り出してきた。
「お前がその力を振るえばよいではないか。王として、この国に平和と繁栄をもたらせば良いではないか!」
イッサクはすぐそこまで迫ってきているデスノスの目を見る。
この男は金と女にだらしないくせに、こういう国と国民を思う気持ちは熱い。
国のためなら、命をかけて諫言することもためらわない。
イッサクは暑苦しそうにデスノスから距離をとる。
「昔ならいざしらず、今はこんな力はかえって邪魔だ」
「敵は内にも外にもまだまだおるぞ」
「そんなもん、いつでもどこでもいる。
まして殲滅しようと血眼になるのは下の下だ。
だけど大きな力を手に入れると、それをやりたくなるのもまた人間ってやつだけどな」
「おまえは自分の責務を、ミナに押し付けるつもりか?」
デスノスがイッサクの弱心を咎めるように迫る。
イッサクは苦笑いする。
「大丈夫だよ。ミナにはお前もいるし、ヒスイもラヴクラフトだっている。国民も協力する。あいつ一人背負わせるわせることにはならねーよ」
「お前はどうするのだ!」
一喝したデスノスのつばがイッサクの顔面に降り注いだ。イッサクは考えもしなかったというように、つばを拭うのも忘れて目を大きく見開いた。
「俺?」
「そうだ、お前はミナの夫だろ。ミナはお前の妻だろ。
支えてやるのがあたりまえではないか!」
イッサクはまじまじとデスノスの大きな顔を眺めてしまった。
そうしているうちに段々と笑いがこみ上げてきた。
「何がおかしい?」
デスノスは真面目に怒っているが、イッサクは笑いが収まらない。
「すまん。もうすっかり別れたつもりでいた」
デスノスがイッサクの左手を見ると、薬指にあるはずの婚約指輪がなかった。
かわりに、赤い入れ墨を無理やり肌を削って消したような新しい傷があった。
「おい、おまえそれは……」
そのとき店の外から、ドカドカという複数人の足音が響いてきた。
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