第11話 元騎士団長は、妻に捨てられました(4)
「デスノスさんは知ってたの、イッサクのその……」
女主人がデスノスの腹を刺す真似をすると、デスノスは顔をしかめた。
「私が知ったのは事件の翌朝で、どうしようもなかったのですが」
イッサクは鬱陶しそうに手をひらひらさせる。
「そんな顔をするな。何度も不倫現場を見てきた俺ですら、あんなことになるとは想像もできなかったからな」
「何度もって?」
女主人が驚くと、イッサクは両手を上げる。
「寝ている俺の前が、あの二人のお気に入りのプレイエリアなんだよ」
「……それってあんたが起きているのがわかってて?」
「ミナが淹れる紅茶に睡眠薬がたっぷり入っていてな。
味も匂いもない薬を使ってくれる気遣いはありがたいが、残念なことにいつも量が足らない。
だからといって『これからセックスします』って合図が出ている以上、仕方がないからこっちも寝たふりをするんだけど、薬が効いてると信じてる二人はもうすごい盛り上がる。
結局、ミナがラヴクラフトを招き入れるところから、別れのキスをして見送るところまで、まるっとぜんぶお見通しだ」
「うわー、そんな生々しいの聞きたくなかったわ」
女主人が顔に手を当て、デスノスも目を背けている。
「3ヶ月前のあの夜も、途中まではいつもと同じだったんだ。
俺は殺す価値のない王様だ。
それでも、もし殺るというなら、それなりの準備が必要だ。
遺体の処分や、王城内の口封じ、議会への言い訳とか、いきあたりばったりじゃとてもとても。
しかし実際起こったのは、とどめを刺さず、後処理も情報封鎖もしていない、本当に俺をめった刺しただけの凶行だ。
途中までは、本当にいつもと同じ夜だったのに……」
イッサクは天井を仰いで、あの夜を思い出す。
肉食獣の檻の臭いがする寝室で、ラヴクラフトの腕を枕に、白い肌をイッサクの血で染め、静かに寝息を立てていたミナの姿を思い出す。
イッサクの腹を裂き、血を浴びた二人は獣になった。
魔に魅入られたのかとおもうほど、二人の乱れ様はいつもとかけ離れていた。
魔はいつやってきたのか。
ミナの揺れる尻を見おろすラヴクラフトの目には、すでに獣の喜悦が光っていた。
だが魔が来たのはそれより前だ。
ミナが腰を突かれながらイッサクの手に触れたときだ。
あのとき、イッサクの顔を覗き込むミナの目に怪しい光が灯った。
情欲の炎が青く輝いた。
イッサクはしばらく天井を見つめていた。
気がつくと、女主人とデスノスがこちらを見ていた。
イッサクは二人の顔を交互に見比べると、深刻な表情で言う。
「童貞には、不倫セックスは難しすぎる」
なぜかドヤ顔のイッサクに、デスノスの鉄拳が下された。
女主人が聞いた。
「あんたたちの夫婦仲って、はじめからそんなに冷えきってたの?」
「親が勝手に決めた結婚だし、それになあ……」
イッサクが気の抜けた声で答えた。
だがデスノスがすぐに否定してきた。
「バカを言うな。ミナの世話女房っぷりは冷えた夫婦にはありえんものだぞ」
「へぇ、世話女房なんだ。初耳ぃ」
女主人がまたぞろゴシップ好きの笑みを浮かべると、イッサクがバツが悪そうに頭をかく。デスノスは目を閉じて思い出す。
「ミナはイッサクの身の回りのことすべてに目を光らせ、心を砕いていた。
お前はそのうち、ミナがいなくなると生きていけなくなるんじゃないかと心配したぐらいだ」
イッサクもため息を交えて付け加えた。
「あいつが国政を担うようになったのも、俺の仕事の手伝いをしていたのがいつの間にかだもんな」
「普段はどんなこと話していたの?」
女主人に芸能レポーターのように詰め寄られて、イッサクは宙をみあげた。
「フロ、メシ、オチャ、ネル……ぐらいかな」
「昭和のおっさんか」
非難の目を向けてくる女主人に、イッサクは苦笑した。
「それはミナのセリフだよ。俺はハイって答えるだけだ」
女主人は横のデスノスを見上げると、デスノスは黙って頷た。
すると、女主人は確信を得たように言った。
「ミナ様にとってはイッサクは子供みたい思えたのかも。
だから男らしいラヴクラフトに、一発でやられちゃったのね」
女主人のお茶の間推理に、デスノスも唸る。
「言われてみれば、ミナのイッサクへの接し方は世話女房というより、過保護なママといった感じだったかもしれん」
二人はくたびれたイッサクの姿を頭の先から爪先まで見回した。
「母性本能と言うやつでしょうか?」
「単に見てられなかったんじゃない?」
二人は、同じタイミングでため息をついた。
イッサクは二人のため息に吹き飛ばされるように、カウンターのイスに腰掛けた。
「うるせー。女房かママか知らんが、あいつらがあんな無茶しなければ、今頃は、お望み通り、きれいに終わってたんだ。ほんっとに余計なことをしてくれたよ」
イッサクはほうきの柄に顎を乗せてしきりに首をひねる。
その表情は、うまくゲームがクリアできずにいらだつ子供のように無邪気だった。
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