第10話 元騎士団長は、妻に捨てられました(3)

「あ、ご主人、これは私がやりますのでどうぞ休んでいて下ださい。いや本当にご迷惑をおかけして申し訳なく……」



 冷静を取り戻したデスノスは、壊れたテーブルに釘を打ち付けながら、女主人にひたすら平身低頭している。

 イッサクは、ほうきでデスノスの頭を小突いた。



「そんなに泣くなら、借金してまで他の女に貢ぐなよ」



「うーむ、それはそうなのだが……」



 デスノスは巨躯を縮こませてうなだれる。

 一緒にきていた若い警官は逃げだしたのか、姿が見えない。



「本当に奥さんを盗られたの?」



 女主人がデスノスの前で足を組むと、デスノスは釘を打つ手を止めて、声を絞り出す。



「いや、まだ、そうと決まったわけではなく、選挙応援で帰ってこれないだかかもしれないので……」



 イッサクが横から口を挟んだ。



「盗られたっつーより、逃げられたんだろ」



「知っているの?」



 イッサクはデスノスの頭を小突きながら話す。



「こいつの嫁さん、ヒスイって言うんだけど、本当にいい人でさ。

 借金で破綻寸前の家計を、自分が着る服や化粧品を全部我慢して、どうにかして回してきたんだよ。

 こいつが曲がりなりにも貴族面できてたのは、ヒスイの支えがあったらこそだ。

 それなのにこいつときたら、ヒスイが工面した金で他の女に貢いでさ」



「最低ね」



 女主人はデスノスに軽蔑の眼差しを送る。



「あんないい人が、どうして、そこまでこいつに尽くしたのか、さっぱりわからん」



 デスノスは小突かれながら、抗弁する。



「だ、だからといってラヴクラフトのしたこと許すわけには……」



「馬鹿野郎。この件でラヴクラフトを責めるのは筋違いだ」



 納得いかない顔のデスノスに、イッサクは畳み掛ける。



「さっきテレビにヒスイが映っていたけど、すぐに気がつかなかった。

 なぜだと思う?

 以前とは比べられないほどキレイになってたからだ。

 髪も肌も艶がよく、化粧もバッチリ決まってた。

 なにより笑顔だった。

 ヒスイのあんな笑顔を見たのは結婚式以来だ。

 はっきり言うぞ。

 国王としてお前らの結婚式を見届けておいてなんだけど、デスノス、お前にヒスイの夫を名乗る資格はない」



 情け容赦ない非難に、デスノスはうーむと唸って倒れ、そのまま床のシミになるのではというほど意気消沈してしまった。

 流石に気の毒に思ったのか、女主人がデスノスに優しく声をかけた。



「そんなに尽くしてくれた奥さんなら、ちゃんと謝れば許してくれるかもしれないわよ」



 デスノスは地獄で女神に出会ったように顔を上げたが、イッサクは再びデスノスを地獄に叩き落とす。



「ヒスイはいつ出ていった?」



「それは忘れもしない、8月最後の火曜日だ。ヒスイが用意してくれた金をもって銀行に向かう途中に、馴染みの店の女に新作のかばんを買った次の日だったからよく覚えている」



「ほんとに最低だなお前は……。

 ええっと、ヒスイはまずミナに相談しただろう。それでミナのところに避難しているときに、ラヴクラフトの手伝いをはじめて、会計の腕を見込まれて陣営の中心メンバーになって……。

 ラヴクラフトと『お付き合い』をはじめて1ヶ月というところか。うん、手遅れだ。あきらめろ」



 イッサクは弔事を述べるように、デスノスの肩に手をおいた。



「手遅れというのはどういうことだっ?」



「ヒスイはもうラヴクラフトの手に落ちている。体の方は間違いないな」



 デスノスはかっと怒りの形相に変わり、まるでイッサクがヒスイを汚したかのごとく睨みつけた。



「お前はヒスイを侮辱するのか?!」



「俺が侮辱したいのはお前だよ!

 ヒスイがだらしない女だと言ってるんじゃない。

 ラヴクラフトの手練手管が異常なんだよ。チートなんだよ。

 女にとって、奴に抱かれる以上の幸せはないんじゃないかってぐらいな」



 やたらラヴクラフトを評価するイッサクに、デスノスが怒りを抑えきれなくなるが、そのまえに女主人が驚きの声を上げた。



「そんなにすごいの?」



 イッサクは大きく頷く。



「一度抱かれれば夢心地。二度抱かれれば心が惑う。三度抱かれれば離れられなくなって、四度抱かれるために、どんなことでもするようになる。

 あいつのセックスはそういうもんだ」



「危険薬物みたいな男ね」



「あいつの手にかかって落ちなかった女なんて、一人しか知らん」



「一人はいたんだ」



「あれは相当変わりもんだからな」



「ふーん。じゃあ、ヒスイさんは……」



 女主人とイッサクは、ヒスイとラヴクラフトが肌を重ねただろう夜を指折り数えると、デスノスに向かって深々と合掌した。



「お前に何がわかるというのだ!」



 デスノスは二人の合掌を払い除け、怒鳴る。だがイッサクも負けじと声を張り上げた。



「分かるさ!3ヶ月前の夜、俺の身に何が起きたのか知らないわけじゃないだろ?」



 デスノスは言葉に詰まった。イッサクは続ける。



「あのミナですら、ラヴクラフトに抱いてほしいがために情けなくも淫らに腰を振り、言われるがまま俺を滅多刺しにしたんだ。

 この世界で俺以上にラヴクラフトの恐ろしさを知るものはいないと断言してやるよ」

 

 イッサクが勝ち誇るようにデスノスを見据えると、 デスノスは「すまん」と小さく詫た。





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お読みいただきありがとうございます。

しばらくの間、更新時間は夜の9時頃にしようと思います。

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