第9話 元騎士団長は、妻に捨てられました(2)

「デスノス、おまえさ、あれから借金増やしてないだろうな?」



「……」



 デスノスは沈黙している。イッサクからは表情は見えない。

 だが、デスノスの首筋に脂汗が滲んでいるのがよく見えた。



「言ったよな、ミナやラヴクラフトが目を光らせているから、これ以上は俺でもどうしようもなくなるって、念を押したよな」



「お、男はどうしても金が必要なときというものがあってだな」



「どうせまた女に貢いだんだろ?」



 途端に、デスノスの首が真っ赤になり汗が大量に吹き出した。

 イッサクはやれやれとため息をつく。



「いままで貴族の身分を盾に、返済を伸ばしていたのを、この政変で貸し剥がしされたな。あの額だともう屋敷も残ってないんだろ」



 デスノスがプルプルと震えだした。

 イッサクは騎士団長の職にあるはずのものが、現場の警察官をやっている理由にも思い至る。



「せめて騎士団長の身分があればどうにかなったろうに。無理したのが裏目に出たな」



「な、なんのことだ!?」



「お前が、騎士団長のポストを金で買ったことぐらい知ってるっつーの」



「なっ!?」



 デスノスはイッサクを抱えたままやじろべえのようにぐらぐら揺れ始めた。



「お前の実力と人柄は、女癖を除けば問題ないから黙認してたんだよ。

 もちろんミナも知っている。

 だけどおまえ、騎士団長になった後、持ち金ありったけを女につかって、騎士団内への根回ししなかっただろ?

 前任者の急死で空いたポストに飛びついたのはいいが、金で買った人間関係というは脆いもんだ。

 こんな使い走りをさせられているのは、そのツケだな」



 デスノスの冷や汗が、汚れたシャツの襟をじっとりと濡らしている。



「なんでミナに泣きつかなかい?あいつもラヴクラフトも鬼じゃないしなんとかするだろ?」



 するとぐらぐら揺れていたデスノスはピタリと止まり、両手を怒りに震えさせて言った。



「それだけはできん!俺にも男の意地というものがある!」



 デスノスの意固地さに、イッサクは首をひねった。

 デスノス夫妻はミナの古くからの、そして数少ない友人だ。

 女癖の悪いデスノスはともかく、デスノス夫人が困っているなら、ミナは喜んで手を差し伸べるだろう。

 デスノスもそのことはわかっているはずだ。

 なのにどうして。男の意地とは?



 ふとイッサクはさっきテレビでみた映像を思い出した。

 特設舞台の上で演説するラヴクラフトと、横に控えるミナ。

 そして後ろに並んだ女性の側近たち。

 その側近の一人にデスノスの妻がいたのだ。



「デスノス、おまえ妻を、ヒスイをラヴクラフトに盗られたのか?」



 デスノスの震えが凍ったように止まった。そしてものすごい雄叫びが上がった。



「うーおぉぉぉー!!!ヒースーイー!!!」



 女主人も、外でスマホをいじっていた若い警官も、大音声に驚いて、思わず耳をふさいで床に伏せた。

 デスノスは泣き叫びながら、イッサクを担いでグオングオンと回転し始める。



「デ、デ、デス……落ち着けー!」



 イッサクは命の危険を感じた。

 デスノスの目はイッてしまっている。



「許さんぞー!ラヴクラフトぉぉぉ!!!」



 デスノスは叫ぶと同時に背面に飛び上がると、イッサクを真っ逆さまに床に叩きつけた。



「ぐはぁっ!」



 イッサクの背骨と首が聞いたことのない音を立てた。意識が飛びかけた。

 怒りで我を失ったデスノスは、なぜか、さらに、イッサクに襲いかかった。

 動けないイッサクの背後をとると、うつ伏せにさせて馬乗りになり、両手を顎にかけて、思い切り引き上げた。

 えびぞりになった体は、角度が90度を越えようとする。これ以上は背骨が持たない。

 イッサクは女主人に向かって「ゴング!ゴング!」と叫んだ。



「はあっ!?そんなの、うちにあるわけないじゃない!?」



 女主人は慌ててカウンターに入っていくと、フライパンとお玉を手にとってきて、ガンガンガンガンと思い切り叩いた。



 そうするとデスノスはイッサクを開放してゆっくりと立ち上がった。

 両手を突き上げて「うぉー!!!」と勝利の雄叫びを上げ、涙を流した。



 いったい何に勝ったというのか。

 ただ体を痛めつけられただけのイッサクは、呆れてうめき声も出ない。

 だがこの虚しい勝者との再会が、なぜかイッサクには神の差配のように思えた。

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