第3話 バーの女主人とのワイドショー談義(1)

 王都の片隅の、蜘蛛の巣のように広がる路地の奥にある薄暗いバー。

 そこのずんぐりとした古びたテレビが、美男美女が並んで手をふる姿を、毒々しいほど明るく映している。



 イッサクはそんなテレビには目もくれず、カウンターに両肘を着いて一心にスマホの画面を叩き続けていた。

 店の女主人はあきれて、イッサクの手からスマホを取り上げた。



「そのうち廃人になるわよ」



「ついこの間まで死にかけてたんだから、たいして変わらんよ」



 イッサクは右手の指でスマホの画面を叩く真似をする。

 女主人はため息をつくと、ずんぐりとしたテレビを見た。



「あんたのお嫁さんは、あんなに元気そうなのに」



 女主人が意地悪そうに、無関心を決め込んでいるイッサクの顔を覗き込んでくる。

 イッサクは女主人の黒くウェーブした髪の中の年齢不詳な美しい顔をじとっと見て、彼女の手からスマホを取り返した。



「『元』をつけろよ。こんなデコスケ野郎とはもう関係のない雲の上の人なんだから」



「でも指輪しているわよ?」



 女主人の言う通り、ミナの左手の薬指にはまばゆいダイヤをあしらった指輪が、まるで体の一部かのようにそこに収まっていた。



 かつてのイッサクの妻でこの国の王妃だったミナはいま、王国にかわって生まれようとしている新しい国のリーダー候補に、腰を抱かれながらうっとりと微笑んでいる。

 リーダー候補は、あの夜、王城の寝室でイッサクの目の前でミナを抱いていたラヴクラフトだった。



 ラヴクラフトは健康に日焼けしたたくましい体を濃紺のスーツで包み、白い歯を輝かせて爽やかな笑顔を振りまいている。

 ミナと並ぶ姿はまさに国民が思い浮かべるベストカップルそのものだ。

 まもなく行われる議員選挙の応援に駆けつけた国民も熱狂的に手をふっている。



「やっぱ顔がいいと国民ウケもいいな」



「みんな新鮮なんでしょ。あんたは王様だったくせに、こういう場にはめったに出てこなかったから。最後にあんたが出たのってなんのイベントだっけ?」



「俺の家族の国葬。おかげで葬式の出し方だけは上手くなった」



「病気だっけ?」



「そう。強力な感染症で、俺以外の王族と、王城の中枢の家臣のあわせて数百が逝った。下手に触れなくて、遺骸は王城に封印されたままだ」



「景気のいいイベントにも出たら良かったのに、なんで出なかったのよ?」



「国民が見たいのはミナだからな。俺が横にいても引き立て役にもならん」



「あんた影うすいもんねー。知ってる?小学生の95%がミナを国王だって回答した話?」



「知ってるも何も、会議でその報告がされたときの乾いた笑いと、それすら出なくなったあとの、ひんやりとした気まずさは笑えたな」



 その会議ではラヴクラフトもミナの後ろに控えていた。

 人前ではいつも笑顔を絶やさない彼ですら、この報告を聞いたあとでイッサクに向けた笑顔が引きつり気味だった。

 そのことを思い出してイッサクは苦笑した。

 半年も経っていないのに、もうだいぶ昔のことのようだ。



「あの男になにもかも奪われた感想は?」



「俺はなにも奪われてなんかない」



「負け惜しみ?」



「ちがう。ラヴクラフトはミナの信頼と愛情を勝ち得た。国はそのおまけだ」



「あんたはミナ様を奪われて、玉座も失ったんじゃないの?」



「初めからミナは俺のものなんかじゃないよ。玉座も同じで俺のほうが飾りだ。だから俺は何も奪われていない」



 イッサクが王城の寝室でめった刺しにされてから3ヶ月が経っていた。

 命からがら王城から逃げ出したあと、裸のままこのバーに転がり込み、ここの女主人に匿われていた。


 

 政府は国王が行方不明になったと発表。

 イッサクが唯一の王族だったこともあり代役も立てられず、王政は事実上機能を停止した。

 突如訪れた政治権力の空洞化。

 なにか間違えれば内戦や国の分裂すらありえる危機的状況だったが、国民はあまり心配していなかった。



 その理由の1つ目が、消えた国王というのがもとより存在感がなく、いてもいなくてもどちらでもいいような男だったので、いまさら消えたところで誰も困らなかったこと。



 理由の2つ目はミナの存在だ。

 ミナは王政時より事実上の国の中心だった。

 内政においては清廉さと柔剛合わせた政治手腕により、不正を摘み取り、複雑な利害関係のなかに最良の妥結点を見出し、国民を鼓舞してその活力を発揮させることでおおいに富ませてきた。

 また外交においては、見た目の麗しさと洗練された話術で、脂ぎった他国の要人たちを手玉に取ってきた。



 だがミナの能力で特筆すべきはその武力だ。

 ミナは大陸最強の剣士だった。

 国を犯そうとする敵が現れれば自ら軍の先頭に立つ猛将であり、その超絶の剣技は敵に死か降伏かの選択しか与えず、その天をも穿つ魔力の前には、如何な大軍も蟻の群れと変わらなかった。



 国の平和と繁栄はミナの名のもとにこそあり、いつしか国民はミナのことを敬意を込めて「女神」や「暁の宝剣」と呼び、尊崇に近い感情を抱くようになった。

 ミナが笑っていれば、国は平和で民は豊かに暮らしていけると真面目に信じられていた。



 そのミナが国王イッサクの行方不明の後、すぐに陣頭に立ち政治の混乱を最小限に収め、議会選挙を行うことを指示した。

 そして議会で最多数の信任を得たものを王の代行として政治を取り仕切る首相とすることとした。



 国民は当然ミナが新しい国のリーダーになるものと思い込んでいたが、ミナは王妃であることを理由に立候補を固辞。

 かわりに、ミナの補佐を務めていたラヴクラフトを推薦した。



 ラヴクラフトとはいったい何者なのか。国民は困惑した。

 ただの一官吏で、どこの馬の骨とも知れない男が国を率いるかもしれないことに、国民は少なくない不安をいだいた。



 だがラヴクラフトの爽やかで健康そうな見た目と、親しみがありわかりやすい言葉に不安は薄らいでいった。

 前国王の影の薄さと胡散臭さとのギャップもラヴクラフトにプラスに働いた。



 そして決定的だったのはやはりミナだった。

 ミナがラヴクラフトにかいがいしく寄り添い、励まし、幸せそうに笑う姿がメディアに流れると国民の不安と不信は消し飛んだ。

 ミナの笑顔なんてもの、国王がいたときにはありえないものだった。

 ミナを幸せにできる男なら信用できるだろうと、ラヴクラフトは国民から絶大な支持を得て、新首相の最有力候補となった。



 テレビではラヴクラフトがかつての国王の執務室で横にミナを座らせて、選挙への意気込みを語る映像が繰り返し流されていた。

 選挙が始まる前から、もうこの国の実権と女神はラヴクラフトのものだと言わんばかりだが、これに疑問を抱くのものはほとんどいない。



 いかに言い繕おうとも、イッサクがラヴクラフトに何もかもを奪われたというのは、どうしようもない事実だった。

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