第2話 いつもと違うネトラレ風景(2)

 ミナは鞘を手に取り、剣を引き抜き抜いた。

 暗い寝室で、刃とミナの裸身が、白く淡く光っている。

 寝室の空気は完全に変わっていた。もう獣の臭いしかしない。



 ミナはイッサクに馬乗りになると、剣を高々と掲げた。

 紫に輝く目には、獣の欲望しか残っていない。

 イッサクの全身が戦慄に囚われる。



「(ちょっとま……)」



 声を上げようか迷う暇もなく、王妃ミナは国王イッサクの腹に、深々と剣を突き刺した。



「!!」



 激痛にたまらず呻きをあげ、目を見開くと、イッサクの返り血を浴びたミナの顔が、喜々と笑っていた。



「このっ」



 剣を防ごうと、イッサクは腕を伸ばす。

 だがミナはそれを弾き飛ばして、再びイッサクを突き刺した。

 三度目は右の肺を貫いた。四度目は喉をかききった。それ以降はもう無我夢中だった。

 突き刺すごとに、ミナの喜悦は高まり、瞳は紫の輝きを増していく。

 寝室はイッサク後で染まり、獣の匂いが濃くなっていく。



「はは、やったぞ……ついに、イッサクを!ははははは!!!!」



 狂ったように高笑いしたラヴクラフトが、ミナをイッサクの上に押し倒した。



「あ゛あ゛あ゛!!」



 ミナが上げた咆哮は、もはや人の声には聞こえなかった。

 血の海に沈むイッサクの上で、ミナは狂い、青紫に冷たくなっていくイッサクの顔を抱き、唇を食いちぎろうとする。



「あはははは!!」



 忘我の快楽にミナは再び剣を手に取り、笑いながら、イッサクの体をめった刺しにしていく。

 人の光が届かないくらい寝室に、獣たちの哄笑がこだましていた。



「(どうしてこうなった……)」



 イッサクは、滅多刺しの激痛で、かえって意識を保つことができていた。

 そしてイッサクを殺しながら、他の男に抱かれている妻をぼんやりとみていた。



「(なんなんだ、こいつは)」



 ミナは、白い肌を返り血で飾り、輝く金髪を振り乱し、瞳を紫に光らせて、男たちを貪っている。

 王妃であるはずの女が、化け物にしか見えない。



 ラヴクラフトが一際高い雄叫びを上げ、ミナの官能が極まる。



「あああああ!!」



 絶叫か、悲鳴か、歌声かのような嬌声をあげ、ミナはイッサクの心臓を突き刺し、吹き上がる血しぶきの中で果てた。



「(マジでやばいっ!!)」



 たまらずイッサクは奥歯を噛み砕こうとしたが、まだ早いと、ぐっと耐えた。

 意識が急速に遠のいていく。

 目が見えなくなっていくなかで、ラヴクラフトとミナがぐったりと、血の海となったベッドに沈み、動かなくなった。

 それを見届けると、イッサクは最後の力を振り絞って、上の奥歯を噛み砕き、それを飲み込んだ。








「あー、死ぬかと思った」



 10分後。

 イッサクはベッドの傍らに立って、変わり果てた寝室の有様に呆然としていた。

 寝室は、壁も天井も、イッサクの血で濡れていないところはない。

 獣の臭いが充満した寝室は、猛獣の檻のようだった。

 ベッドには文字通りの血の海ができていた。

 その血の海なかで、王妃ミナが白い裸体を晒して、スースーと静かに寝息を立てている。



 イッサクはぐりんと腕を回した。

 ミナにやられた傷は、とりあえず全部ふさがっていた。

 心臓もなんとか動いている。

 奥歯に仕込んだ虎の子の超回復薬がちゃんと効いたようだ。



「さてどうするかな」



 イッサクはガリガリと髪をかきむしった。

 常識的には、不倫と王の殺害の罪で、ミナとラヴクラフトを一族もろとも殺し尽くすところだ。



 だがここは王の寝室。王城の最奥部だ。

 こういう場所では、往々にして白が黒になり、黒が玉虫色になる。

 明確な法も正義もない。

 あるのは権力のゲームのバランスだ。



 そして国王のイッサクには実権がない。人望もない。

 イッサクが黒と言ったところで、ミナが白といえば白になる。

 たとえ、この現場をみせたところで、イッサクがピンピンしている以上、何もなかったことにされてしまう。

 いや、イッサクが死んでいても、やはり何もなかったことにされるだろう。

 イッサクがそうしてきたのと同じように。



 同様に、なにもなかったことにするのもできない。

 殺したはずのイッサクが生きているのだ。

 またすぐに殺されるに決まっている。



 そうなると、残された選択肢は一つ。逃げるしかない。

 外を見ると、山の端の闇が薄くなっていた。

 夏の夜は短い。急いだほうがいい。



 イッサクは、ボロボロに刻まれ、血で汚れた寝間着を脱ぎ、下着も捨てて、代わりの服を探す。

 そのとき、ベッドで寝ていたミナが、ふらふらと体を起こした。



「げっ」



 イッサクは慌てた。ミナに見つかれば、逃げられなくなる。

 イッサクは、デスクにあった、黒いスマホと、ボロボロの剣だけを掴んで、全裸のまま窓へと駆け出した。

 その気配に、ミナがハッとして振り返る。



「イッサク!?」



 その声が届くと同時に、イッサクは窓を破って、外へと飛び出した。

 ミナも急いで窓に駆け寄り、体を乗り出す。

 だがすでにイッサクの姿も気配も、暁闇の向こうへ消えていた。



「……ここ8階なのよ?」


 

 呆然として呟くミナ。

 夏にしては冷たい風が、血で汚れたミナの体を吹き抜けた。

 ミナは、沸き起こる震えを抑えることができなかった。

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