ネトラレ国王の童貞力は砕けない

梅雨ノ木馬

第1話 いつもと違うネトラレ風景(1)

 月のない、蒸し暑い夏の夜。 



 ランプ一つだけが灯る豪奢な寝室で、国王イッサクが静かに寝息を立てている。

 王妃のミナはベッドに手を付き、イッサクの顔を覗き込んでいる。

 流れるような金髪が、イッサクの胸をくすぐっている。



「あ」



 不意に、ミナの尻が撫でられた。

 イッサクの顔に、ミナの熱い吐息が漏れる。

 ミナの後ろで、愛人のラヴクラフトがニヤニヤと笑っている。

 ミナの声はラヴクラフトの鼓膜を、痛いほど心地よく震わせる。



 ミナの声に遠慮はなかった。

 イッサクが目覚めないことを知っていたからだ。

 自らイッサクに睡眠薬を入れた紅茶を飲ませていたからだ。

 特に今晩はいつもより多めに薬を盛った。

 だからこうしてイッサクの顔の上で、他の男に抱かれて嬉し涙を流してもかまわなかった。

 


 いま王妃は、国王の体の上で寝取られている。

 イッサクは静かに寝息を立てている。



 だがこのときイッサクは、この夜、十数回目のあくびを噛み殺していた。

 イッサクは寝てなどいない。

 睡眠薬など効いていない。

 あくびを噛み殺すのも、眠いのではなく、退屈だからだ。



 イッサクの目の前で、ミナが愛人のラヴクラフトとまぐわるのは、今夜が初めてではない。もう両手で数え切れないほど、二人はイッサクの目の前で抱き合っていた。



 イッサクはこの国の王だ。

 だがイッサクはいままで何も言わないできたし、これからも何も言うつもりはない。

 今夜もいつもとかわらない。

 ずっと寝ているふりをしていればいい。



 ただ、今夜はいつもより寝たふりをするのが難しかった。

 ミナとの距離が近いのだ。

 いままでは、せいぜいイッサクのベッドに手をかけるぐらいだったのだが、今夜、ミナの顔はイッサクの目の前にある。

 紅茶に盛られていた睡眠薬がいつもより多かったのは、もっと強い刺激が欲しくなったからだろうか。



 ともかく狸寝入りがバレていはいけない。

 バレてしまえば、水面下で進めている計画が台無しになりかねない。

 イッサクは、いつもより気合を入れて、鼻の穴の動きにも細心の注意をはらって全力で寝ているふりをしていた。



「あああっ」



 ミナが甲高い声を上げて背中をのけぞらせると、その拍子に、ミナの左手がイッサクの左手に重なった。

 二人の結婚指輪が、儚い音を立てて触れる。

 そのとき、寝たふりをしていたイッサクに、ぞわりとした悪寒が走った。



「殺して」



 ミナの声だ。

 イッサクはぎくりとするも、起きているのがばれないように、静かに呼吸を続ける。



「私を殺してぇ!」



 ミナが叫んだ。

 不倫現場を何度も見てきたイッサクだが、こんな乱れ方をするミナなんて知らない。

 今夜は特別盛り上がっているのだろうか。

 だが悪寒はぞわりぞわりと増していく。

 何が起きているのか?それともこれからなにか起きるのか?



 イッサクはうっすら目を開けた。

 ミナのとろけた顔がぼんやり見える。

 ミナはイッサクを見ている。だがその目は焦点があっていない。

 それでもイッサクに向かって「殺して」と声を上げている。



 このときミナに現れていた異常に、イッサクは声を上げそうになった。

 ミナの目が光っていたのだ。

 紫色に妖しく、まるで息をしているように瞬いていた。

 初めて見るミナの姿に、イッサクは寝ているふりをするのを忘れかけた。



 異変はミナだけではなかった。

 ラヴクラフトの様子もおかしい。

 いつものラヴクラフトは口の端に嗜虐な笑みを浮かべ、ミナの乱れる姿を楽しんでいた。



 だが今夜は違った。

 まるで発情期の獣のような、ゴウ、ゴウという野太い声を上げている。

 相手が誰なのかが、頭にあるのかわからない。

 寝室の空気が変わった。

 臭いが変わっていた。

 まるで肉食獣の檻の中にいるような臭いに、イッサクは息が詰まりそうになる。



 二人の荒い息の音が、人間のものではないように聞こえている。

 ミナの汗と涙と涎が、イッサクの顔に落ち、ミナはイッサクの顔に触れようとする。



 ドサっと、イッサクの耳の横に何かが放り投げられた。 

 細長く、重量のあるなにか。

 イッサクが薄く開けた瞼の奥で、眼球を横にずらしていくと、剣の柄が見えた。



「殺すんだ」

 


 ラヴクラフトが言った。自らの尊大さに高揚しているような声だった。

 ミナが息を止めたのがわかった。



「何を言っているの?」



 獣の陶酔から覚めた声で、強い非難が込められていた。

 だがラヴクラフトは更に高揚して王妃に命じる。



「殺せ」



「できるわけないじゃない」



「だったらしかたがないな」



 ラヴクラフトは嗜虐に笑うと、ミナから体を離した。



「あっ……」



 ラヴクラフトを睨んでいたミナの目が、離れていくラヴクラフトを惜しげに追った。

 ラヴクラフトがミナの尻を撫でると、ミナは歓喜に震える。

 その目には理性もプライドもほとんど溶けて無くなっている。



「僕が欲しければ、王を殺すんだ」



 ミナは食いしばりって最後の抵抗を示す。

 だが尻を、ぬらりと撫でられただけで、わずかに残っていた王妃としてあるべき姿は、完全にとろけてしまった。

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