第15話 告白。
子供の体力は無限だって、どこかで聞いた事がある。
赤ちゃんの頃から菜穂は泣き虫で、昼夜問わず大泣きする子だった。
どこにそんな体力があるのかなって疑問に感じる程に、元気な子だったのだ。
「菜穂、何回滑り台行くんですかね」
「多分、疲れ果てて眠るまでだと思いますよ」
「疲れ果ててですか……それってどのぐらいなのでしょう?」
「幼稚園での菜穂ちゃんを見る限り……多分、まだ十回は余裕でしょうね」
向井さんが教えてくれた公園は、とても大きい公園だった。
サマーボブスレーという長い滑り台もあるし、子供の城という大きい遊具もある。
前者の方は菜穂と一緒に乗るも、怖いからもう乗りたくないと二回目は拒否されてしまった。
子供の城の方もそれなりに大きい滑り台や、つり橋があったりするのだけど、菜穂はそれらがいたく気に入った様子。とはいえまだ四歳、一人で遊ばせる訳にもいかず、僕と向井さんとで延々と交互に面倒を見ている形になっている。
そして数えること六回目、大きな滑り台をきゃーきゃー言いながら菜穂と向井さんが滑り落ちてきたのを、僕は笑顔で出迎える。
「はい、パパの所に戻ってきましたよ~、菜穂ちゃん、そろそろお昼ご飯にしよっか。もう先生お腹ぺこぺこになっちゃった」
「うん! なほもぺこぺこだおう!」
戻ってきた菜穂を見る限り……これは、ご飯の後も頑張らないとかなって、ちょっと苦笑い。
「向井さん、本当にありがとうございます。これを一人でって思うと、ちょっと僕には厳しかったかなって」
「あはは、そうなんですよ、子供ってかなり体力ありますから。私も幼稚園で子供たちのこと見てますけど、やっぱり親御さんたちって凄いなぁって思います。二十四時間ずっとですもんね、休みなんか無しで育児をしなきゃいけない……とても大変なことだと思います」
今回のお誘いを受けて、失礼かもしれないけど、僕は心のどこかで向井さんには違う目的があるんじゃないのかなって、そんな気がしていた。僕の願望も混ざっているのかもしれないけど、もしかしたら僕とのデートが目的なんじゃないのかなって。
だけど、全然違った。
向井さんは菜穂のことだけじゃない、僕のことも考えて今回のお出かけを考えてくれていたんだ。
一人だと公園で遊ぶのも厳しい、子育ては二人でやらないとダメなんだって。
それと共に、やっぱり僕は思うんだ。
僕が江菜子にした事は、とても酷い事だったと。
家庭の全てを放棄して、仕事を言い訳に家事育児から逃げる。
そんなのと結婚してしまった江菜子が、他の男に逃げてしまうのも――
「高野崎さん、どうしました?」
「――、すいません、どうでもいい事を考えてしまいました。お昼、どうしましょうか? 近くに売店とかレストランもあるみたいですけど」
悪い癖が出てきそうになったのを、向井さんが止めてくれた。
気持ちを切り替えないと、前妻のことなんか考えててどうする。
周囲を見渡すと、ちょっと古ぼけたレストランと、売店が遠くに見える。
一応お客さんはちらほらと見えるから、営業はしているはず。
売店の方はホットスナックがメインみたいだから、あそこは無しかなって眺めていると、向井さんが僕の服をちょんちょんって引っ張った。
「実は、お弁当作って来たんです」
「え、お弁当、ですか」
「はい、これでも一応、幼稚園の先生ですので」
幼稚園の先生だとお弁当を作れるのだろうか? 一瞬疑問に沸いたけど、向井さんが言うのだから、きっとそうなのであろう。
菜穂と遊んでいる時には交換しながら持っていたバッグ。
随分と大きなバッグだなとは思っていたけど、どうやら保冷バッグだったらしい。
とても小さいお弁当が二つと、大きいのが一つ。
園内の原っぱに小さいブルーシートを敷いて、三人でくっつきながら座り込んだ。
とても準備がいい、僕なんか手ぶらで来てしまっているのに。
「こっちが菜穂ちゃんので、こちらが高野崎さんのです。中身は、あんまり期待しないで下さいね」
「なほのー!? あいがとう! しょーこてんてい!」
「ふふふっ、そうよ、これは菜穂ちゃんの。さーって、先生も食べちゃおうかなぁ」
菜穂のお弁当は、小さいけど物凄く凝ったキャラクター弁当だった。
ゲームのキャラクターで、黄色い電気攻撃をする人気のモンスター。
ご飯の上に玉子焼きと海苔、目の部分にはゴマ塩が振ってあって、とても可愛らしく見える。
小さいのにきんぴらごぼうとかも入っていて、栄養は抜群だ。
「きゃー! チュウチュウ! かあいいねー!」
「菜穂ちゃん、その子大好きだもんね。先生頑張っちゃった」
「あいがとうてんてー! どうしよう、なほ、たえられないおー!」
鼓舞している菜穂の次に、僕もちょっとわくわくしながらお弁当の蓋を開ける。
黒い二段のお弁当、どう見ても男物のそれを開けると、中には真っ黒な海苔弁が。
「下は海苔弁で、上はおかずになってますから。パパのはキャラ弁じゃないですけど」
「あはは、ちょっと期待しちゃいました」
「ふふふっ……じゃあ、次はキャラ弁にしておきますね」
「お、本当ですか! じゃあ楽しみにしよっかな! ……美味しい、やっぱり手作り弁当って本当に美味しいです。この前職場の人も家に来て作ってたんですけど、やっぱり作ってもらう料理って違うなって思います!」
★向井祥子視点★
……なんですって? 家に来て作った?
え、その女、高野崎さんの家まで行ってるってこと?
そういう関係なの? どういう関係なの?
「あの、高野崎さん、つかぬ事をお伺いしますが……その職場の人って、洋服を買った?」
「ああ、そうです。四個下の後輩なんですけど、僕と菜穂が前妻が選んだ洋服ばかりを着ているのはおかしいって言って、半ば無理矢理に買い物に行ったんですよ。お恥ずかしながら、僕その時寝坊しちゃいまして、気づいたら後輩が家の中に居たんですよね。まぁ、菜穂が勝手に入れちゃったんですけど」
その考え方には賛同するけど、勝手に家の中に入るって相当に非常識じゃない。
私だって今日は菜穂ちゃんが開けてくれるまで待ってたし、中には入ってないのに。
「……随分と勇ましいというか、凄い人なんですね、その後輩さんは」
「ええ、この前なんて一緒に営業に行ったんですけど、突然車内で洋服着替始めたりして、気が気じゃなかったですよ。セクハラで訴えられたら負けるなーって覚悟してましたから。なんでも営業用に着替えたかったとか? 営業先に色仕掛けでもするんじゃないのかって、ちょっと焦りました」
その色仕掛け、多分相手は高野崎さんですよって言いそうになるのを、ぐっと堪える。
狙ってる人がいるんだ。神崎先生の言う通りだったけど……まだ、間に合うよね。
話を聞く限りでは、その人は後輩としか見られてないし、私の入る隙間はどこかにあるはず。
って……なんで私こんなに必死になってるの?
確かに一緒にいて楽しいし、お弁当だって高野崎さんの喜ぶ顔が見たくて作ったけど。
のり弁の下にあるハートマークとか、気づかれたらどうしようとかなって思う。
はっ……そういえばあるんだった、ハートマーク。
なんか朝テンション高くて作っちゃったんだけど、見つかったら何て言おう。
え、重い女とか思われないかな、メンヘラみたいとか。
やだ、そんな風に思われたら生きていけない。
幼稚園で顔を合わすたびに「重い女」とか思われてたら無理、絶対に無理。
あ、ご飯食べてる。
よし、そのまま食べて、桜でんぷんとか気づかないで、絶対に――
「あ、なんか甘いと思ったら、桜でんぷん入ってるんですね! 懐かしいな、昔母さんが入れてたっけ。菜穂、ほら、桜でんぷんだよ」
「あうあでんぷん?」
やめて、海苔をぴろっと捲らないで! そこに描かれたのは見たら一撃で想いが伝わっちゃうヤバいのだから! ああああ、どうしよう、今になって物凄い後悔してる! 昔から私こうなんだ、勢いだけでいっちゃって、大失敗して死にたくなるいつものパターン!
「ああいね! なほ、これしゅきー!」
「あ、菜穂!」
その時、世界はスローモーションに見えた。
飛び込んだ菜穂ちゃんがお弁当箱を叩き落とし、それはそれは見事に反転しながら地面へと落下する。ピロピロと捲れた海苔から見えるハートマーク、うん、今はサヨナラしておこうね。告白とか思いを伝えるのは、ちゃんとしたいからさ。
「あ……」
「あ、お弁当……」
死んだ様に真っ青になる二人、けど、個人的にはちょっと一安心。
「ご、ごめんなさい、お弁当が」
「ごえんなちゃい」
「いいんですよ、また作ればいいんですから。それよりもどこか痛いところとかない? 菜穂ちゃんもパパも大丈夫でしたか?」
言いながら、早業でお弁当箱を拾い上げる。
もう逆さまになっちゃったし、このお弁当を食べる事は不可能だ。
次はハートマークなんて絶対に描かないでおこう、あれは自傷行為に等しい。
「よいしょ……え」
拾い上げた瞬間、私の目には地面にくっつく海苔が見えた。
そしてあるはずの白米が見えない。
海苔が剥がれ弁当箱の中に白米が残っている。
それが意味するもの……それは。
「あー! はーちょ! なほ、はーちょすきー!」
「あ、ああ、あ、ああああああ、ああああああああ!」
み、見られたー! 完全に見られちゃった! ど、どどっどど、どうしよう、何て言い訳しよう!? 宗教上の理由とか!? 白米の上にハートを作らないと死ぬ病気とか!? 間違ってハートになってましたとか!? ダメだ全部苦しい! どうやっても言い訳にすら昇華しない!
耳が熱い、ジンジンしてる。
やっちゃった、また失敗しちゃった。
月曜日からどうしよう、幼稚園に行けない。
「……本当に、優しいんですね」
「……え?」
「菜穂がハートマーク好きだから、サプライズで描いてくれたんですよね? 本当にありがとうございます。桜でんぷんも美味しかったですし、ハンバーグとか、総菜とか、全部美味しかったです。もうお腹いっぱいで、何だか嬉しい気持ちでいっぱいです」
……どう受け止めればいいのだろう。
菜穂ちゃんの為って高野崎さんは言ってくれてるけど、それはそれでちょっと悔しい。
全てを丸く収めようとしているのだから、敢えてそれを受け入れれば良いだけなのに。
「……違い、ますよ」
どうしてかな、私って、昔から自分を抑えられないんだ。
「そのハートマークは、高野崎さんを想って描きました」
だから、何でも打ち明けてしまう。
直ぐに答えを欲しくなってしまう。
安心を……求めてしまう。
この胸の高鳴りが私だけじゃないって、そう、信じたいから。
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