そうだ、日本国憲法を無視しよう。――離婚した僕と同棲を始める二人の女性、娘がママと呼ぶ二人と結婚するまでのお話――
書峰颯@『幼馴染』12月25日3巻発売!
第1話 父ひとり、娘ひとりに、母ふたり。
妻の……いや、元妻の
「パパ……」
江菜子が居なくなった家の中で、僕の手を握る小さくも最愛の娘の手は、こんなにも温かいのに。なのに、寂しさと悲しさと後悔が、どうしても思い出を美化させてしまい……娘の前なのに、僕は涙を止める事が出来なかった。
まだ四歳だ、まだ四歳なのに、娘の
いつしか怒りっぽくなり、気に入らない事があると直ぐに物に当たってしまって、怒鳴り声が凄くて、家にいない事も多くて。そんな母親の嫌な面ばかりを見て育ってしまった菜穂は、江菜子が居なくなったことに対して、どんな感情を抱いてしまっているのだろうか。
守ってあげたいと思ったんだ、娘も、もちろん妻も。
だけど、僕には出来なかった、その器が足りなかった。
「菜穂、これからはパパと二人、頑張って生きていこうな」
どうしても震えてしまう声で、娘に語り掛ける。
もう終わったことなのだ、今更何をどうしても江菜子は帰ってこないし、帰ってくるはずがない。それらはそこら辺に散らばった紙々が嫌でも証明してしまっている。作ったのも僕だ、用意し捺印したのも僕だ。妙な正義感と共に江菜子に突き付けたのも僕じゃないか。
片付けなくてはいけない、頭の中では分かっていながらも、弁護士からの書類や、市役所からの書類……その他もろもろの終わってしまった
親として、こんな散乱したリビングを見せる訳にはいけないと思いながらも、身体が動かなかった。身体の中の大事な何かが抜けてしまったのか、もしくは夫婦だったから……夫婦だったから、空気の様な関係だったから、居なくなり息苦しくて力が入らないのか。
そんな現実が散乱する室内で、菜穂は踏み絵の様にそれらを踏みつけながら、僕の胸の中に顔を埋めた。
「パパ……パパは、いっちょ、ね?」
うん……ずっと一緒だ、この先なにがあっても、菜穂の事だけは守り続けるからね。
そう思いながら、僕はやっぱり涙を流すのだ。
普通になりたかった、普通を目指したかった。
だけど普通って、とても難しいことなんだと知った。
まだ、春の日差しが初夏の陽気を連れて来る、少し前のころ。
僕、
四歳、幼稚園年中に上がったばかりの、娘の菜穂と共に。
――――の、はずだった。
「俊介さん、朝食の用意が出来ましたよ。今日は私が愛情たっぷりに作ったアメリカンブレックファースト風の朝食ですから、沢山食べていって下さいね。ああ、それと菜穂ちゃん、私と一緒に住んでるのは幼稚園では内緒ね、内緒」
「ないちょ? しょーこてんてーといっちょ、ないちょ?」
「うん、ないちょ。それじゃ寂しいですけど、私先に出ますね、幼稚園で待ってますから」
右の頬に彼女の淡いピンク色の口紅の後が残ると、僕はそれを指で頬になじませた。
名残惜しそうに二度三度振り返っては、眉の下げた笑みを浮かべ小さく手を振る祥子さん。
ガチャンと閉まる扉、運動靴で出勤する彼女の足音は、いつ聞いても軽快そのものだ。
幼稚園の園長先生や父兄にバレる訳にはいかないと、彼女はわざわざ早起きして家を出る。
僕と菜穂の為にそんな苦労をする必要なんてないのに……。
「やっと出て行きましたか。俊介さん、私達も出勤の準備しないとですよ。でもその前に」
言いながら、
それを避ける事もせずに、されるがままに僕は彼女を受け入れる。
絶対に襲わないし、襲われない。
越えてはいけない一線が、今の関係を築いているのだから。
「ふふふっ、こっちの頬は私のものなんだから」
「……僕は誰のものでもないよ」
「ダメですよ、そんなこと言っちゃ。今日は遠越さんと一ノ瀬さんに業務引継ぎしないといけない日ですからね。それが終わったらようやく! 私も退職出来ます!」
「いや、だから琴子さんは退職なんかしたら勿体ないから……」
聞く耳持たず、後輩の彼女は元気いっぱいに僕の手を取り食卓へと向かわせる。
退職して僕とずっと一緒にいるのが、琴子さんの今の夢。
僕を元の古巣へと戻し、世界を飛び回る営業マンに戻してみせるのだとか。
そんな事は一切望んでいないし、願ってもいない。
僕は菜穂と一緒にいる事だけを望んでいるのに……どうしてこうなったのか。
ひとつずつ、紐解いていこうと思う。
それから今後どういった決断をすればいいのか、改めて考えてみよう。
父ひとり、娘ひとりに、母ふたり。
この珍妙奇天烈な、おかしな関係を。
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