第44話


「お母さん? お父さん?」


俺は久しぶりにその名を口にした。


この世の色が溢れ出たようなこの空間で確実な形を保っているその存在。

俺はその2つの形に釘付けになった。


ずっと、ずっと会いたかった存在。


手を伸ばそうとするが、不思議な事に体が上手く動かない。


ピチョン

ピチョン


何かが俺の中に流れ込み、俺という存在を形作っていく。


2つの形がこちらを認識した。

驚いたような、嬉しいような、悲しいような。

色んな感情が籠った笑顔を2つの形は見せた。


少しづつ。2つの形がこちらに迫る。


2つの形は俺という存在と混ざっていく。







◇◇◇◇





「がはっ! けほっけほっ。」


俺は血を吐き出しながら跳ね起きた。

あれ、俺は何をやって…………。

確か凪が出したあの変なでかい口に呑み込まれて…………。


「はっ!? ゆうちゃん!?」


俺はゆうちゃんを放ったらかしにしていたことに気づき、ゆうちゃんを探す。

そこで俺は足に感じる違和感に気付いた。

すぐに下を向く。


ゆうちゃんだ。


俺は胸を撫で下ろす。

良かった。ゆうちゃんは無事の様だ。

ゆうちゃんは変わらず可愛らしい姿をして俺の足に抱きついていた。


周りを見渡すが凪の姿は無い。


「なんだったんだ…………。」


あの時の凪は本当に異常だった。

俺の事も覚えてないしあろう事か俺の事を食べやがった。

俺の体の傷はスキルのお陰で綺麗さっぱり無くなっている。

食われた手も元通りだ。


そこで俺は気づく。

凝血の指輪が無くなっていることに。


「あれ、あれは取れないと思うんだがな。」


あの指輪は付けた時に俺に何かを刺したから、俺の肉にくっついてるはずだ。だからそう簡単に取れるはずはない。


周りを見渡すと白い床の真ん中に一つの指輪が落ちている事に気づく。

凝血の指輪だ。


俺は取りに行こうとゆうちゃんを一旦退かそうとする。


「え…………。」


俺は慄然とした。


冷たい。

驚く程冷たいく、軽い。


俺の頭に死の1文字がよぎる。


俺は慌ててゆうちゃんの手を握る。

うん。脈はある。

弱々しいながらも確かに脈打っていた。


ゆうちゃんの顔色を見るが特に悪いような感じはしない。


【治癒】


俺はすかさずゆうちゃんに治癒をかける。

しかし、ゆうちゃんの体温は冷たいままだ。


「くそっ! どうすればいいんだよ!」


今から戻ったとしても急いだとしても1時間以上はかかる。

しかもこの状態のゆうちゃんを抱えて全力で走る訳にもいかない。


俺が焦っていると抱えていたゆうちゃんの体がぴくりと動く。


「ゆうちゃん!? 大丈夫!?」

「お、お兄ちゃん…………。」


ゆうちゃんはか細い声で話す。


「大丈夫だからな! 俺が必ず助ける!」

「お兄ちゃん…………聞いて。」


ゆうちゃんは辛そうながらも強い力を宿した瞳で俺を見つめる。


「私…………お嫁さんになるのが夢なの。ずーっと前から。お父さんとお母さんの結婚式を見てからずーっと。だから…………お兄ちゃん。」


ゆうちゃんはにっこり笑う。


「私に結婚指輪を付けて。そして私にキスしてよ。」

「…………。」


結婚指輪なんてどこにも…………。


俺は床に落ちている指輪に気づく。


俺が指輪を拾うとゆうちゃんは嬉しそうな顔をする。


「それを私に付けて。」

「だけどこれをつけたら…………!」

「良いから!」


凝血の指輪は使用者の血を使う。

ゆうちゃんのような小さな女の子がこれを付けてしまえばひとたまりもないだろう。

今すぐ引き返せばゆうちゃんは助かるかもしれない。


「お兄ちゃん早く! 私はもう助からないの! だからせめて夢だけは叶えさせてよ!」

「…………分かった。」


俺は泣きそうになる。

俺だって分かってたんだ。

この冷たさは生きている人間のそれでは無いと。


俺は涙を拭き、無理にでも笑顔を作る。

泣いてる結婚式なんて嫌だろう。


ゆうちゃんの指に指輪が通る。


大きさで言えばゆうちゃんの指よりも遥かに大きな指輪だ。

しかし、指輪はゆうちゃんの指に通った瞬間大きさを変える。


「えへへ、ありがとう…………お兄ちゃん。」


ゆうちゃんは本当に嬉しそうな顔をする。


俺はその顔を見るだけで胸が張り裂けるような感じがした。


ゆうちゃんは目を瞑り、一言。


「愛してる。」


こんな小さい子供が言うには酷く大人っぽい響き。

いや、ゆうちゃんは思ったよりも子供じゃないのかもしれない。


「俺も愛してるよ。本当に…………。」


俺はゆうちゃんのすぼまった唇にそっと口を付ける。


キスだ。

初めてのキスだ。


俺とゆうちゃんの唇は離れる気配を見せない。


テクニックなど無い。

ただのキス。

だがそれはただのキスではなかった。


最後のキス。


それだけでこのキスは何処までも苦く、何処までしょっぱく。そして、何処までも甘いキスだ。




ガクン


ゆうちゃんの首が倒れる。

少しの力も入らなくなった証拠だ。


俺はゆうちゃんをお姫様抱っこして立ち上がる。


「ゆうちゃん。帰ろっか。」

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