第30話 バケモノの正体 その3

 ナインとの生活は、平穏を取り戻した。

 朝昼晩と、食事を終える度に、山月は地下室に下りる。


「なんだよヤマヅキ、寝ぐせくらいなおしてから、来いよ」

「いいじゃないか、めんどくさいんだよ。こんな島じゃ、誰に会うわけでもないし」

「私と会ってんじゃん」

「ナインならいいじゃん。気心知れた仲なわけだし」

「なんだよそれ。親しき仲にも礼儀ありって言うのに。礼儀を重んじる日本人の魂は、どこに行ったんだよ」

「ナインだって、ちょっと、毛並み乱れてない? ちゃんと、ブラッシングしてるのか?」

「私は、日本人じゃないから、いいんです。もっといえば、人間ですらないもん」


 そんな、とりとめのないやり取りの日々。

 たまには、盛り上がることもあった。


「ナイン、ナイン。おい、聞いてくれ。朗報だよ」

「何事よ、朝っぱらから」

「ナインが、調べてくれた新宿事件なんだけどさ、捜査が再開されたんだよ」

「うっそっ!? 本当か? なんで、今頃?」


「ナインに聞いた情報を、匿名でリークしたんだよ。警視庁のホームページに。そしたら、動いてくれたみたいで、今、犯人を事情聴取してるってさ」


「やったじゃないか! 妹さん、千佳ちかちゃんって言ったけ? 千佳ちかちゃんも、きっと天国で喜んでるよ!」

「そうだよな! 喜んでくれてるよな……。よかったよ……本当に、よかった……」

「なんだ、ヤマヅキ、泣いてるのか?」

「……すん……ナインのおかげだよ……。ありがとな……ホントにありがとな、ナイン……」

「なに…何言ってんだよ、ヤマヅキ……水臭いな……」


 山月が泣けば、ナインも泣く。

 心は通い合い、性別も種別も超越した特別な関係。

 シェアハウスというよりは、同棲に近い生活だった。


 しかし、そんな、生活は、長くは続かなかった。


 ある朝、山月が地下に下りると、ナインの姿が無かった。

「なんだよ、ナイン。朝から旅でもしてるのか?」

 独りごちながら、檻に入ると、ソファの陰にナインが倒れていた。


「ナ、ナイン? なんだよ、こんなところで……。寝てるんだろ? なあ、起きろよ」

 山月は、ナインの体を揺する。

 ナインの体は、マネキンのように固く、氷のように冷たかった。

「ちょっと、冗談はやめろよ。寝たふりか? 起きろって、早く」

 ナインを激しく揺らしていると、涙がこみ上げてきた。覚悟はしていたが、実際に目の当たりにすると、感情が抑えられない。

「冗談じゃねえよ、全く……死んだふり、するなって……」

 頬を伝う涙がポタポタと、ナインの体に落ちる。

「死んだふりすつなって! なあ。なあって! なあ、ナイン! 起きろよっ!」


 山月は、ナインの頭を膝にのせ、抱え込むようにして泣き咽んだ。


「ナインッ! 起きてくれよっ! ナイン、置いていくなよ! なぁって!」


 近いうちに、こんな日がくるということは、なんとなく気付いていた。

 だから、一日一日、ナインと過ごす時間を大切にしてきたのだった。


 後から、思い出せるように、一分、一秒を噛みしめて、ナインの笑顔を目に焼き付けて。



 山月は、小屋の裏庭に穴を掘り、ナインを埋めた。こんもりと盛った土に、シャベルを挿して墓標に見立て、手を合わせる。


 山月は、ついに、本当に、一人になってしまった。


 一人やもめで、将来が不安になって、自分の未来を見てきて欲しいとナインのお願いしたことがあった。

『過去は変わらないし、変えられないけど、未来は、どんどん変わっていく。未来を知って手を打てば、その瞬間から、未来は変わってゆくんだ。だから、次に同じ未来に旅すると、全然違った風景に出会うことも多いんだよ』


 あの時のナインの顔が浮かんでくる。ナインは、時の旅のことを例に出して、励ましてくれたのだった。


『つまり、未来は、とても不安定で、不確実なものなんだよ。今、この時からの行動で、なんとでも変えられるんだ。よかったな、ヤマヅキ。頑張れよ』


 ずっと一緒にいるのは、ナインでよかった。いや、ナインがよかったんだ。


 だから、そうなっている未来を見てきて欲しいと頼んだのに、ナインは、見に行かなかった。


 ナインは、きっと、自分の運命を知っていたんだろう。

 そうに違いない。

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