第5話 特刑 その2
山月は、引き出しからノートパソコンを取り出して立ち上げ、メールボックスを開く。元同僚や同期から、メッセージが届いていた。
『心配している』
『なにかあったのか?』
全部、似たような内容である。
『ご心配をお掛けして、申し訳ございません。実は、この度』
そこまでキーを叩いて、止める。
山月は、返信しては、いけないことを思い出した。
特務警官に任命されると、元の部署には、私的理由で退官したと一方的に告げられ、二度と関りを持つことを許されない。つまり、引き継ぎはおろか、あいさつすら、させてもらえないのだった。
「そういえば……」
ふと二年前のことが、頭に蘇った。同じ部署の先輩が、突然出社しなくなり、数日後、辞職したと上司に聞かされたことがある。
星谷慎吾――辞職した理由に興味が湧かなかったのは、普段から、それほど親しくしてなかったから。
「なんだ、九はまだ来ていないのか? 不真面目なヤツだな」
事務所のドアが開いて、相田が入ってきた。
「おはようございます、警視総監。昨晩のミッションは、明け方までかかっていましたので……」
相田は、片目だけ伏せた。「だから、なんだ」と言いたげな目を山月に向けている。
九を庇ったつもりだったが、山月は出勤しているので、効果は薄かったらしい。
「まあ、いい。突然で悪いが、今日もミッションだ。九がいないなら、山月だけでやってくれるか?」
山月は、昨日のミッションが、脳裏に蘇る。
「えっ!? わ、私だけで、ですか!?」
法律で裁けなかった犯罪者に対し、被害者や被害者の遺族が望むように罰を与えることを『特刑』と呼ぶらしい。
「き、今日も、特刑でしょうか?」
「いや、今日は違う。単なる尾行だ。山月だけでも、大丈夫だろう」
相田からの指示は、今日の便で羽田に到着する、バッグパッカーの格好をしたアメリカ人を尾行し、どんな行動をしたのか報告せよ、というものだった。
山月は、その男の素性を質問したが、相田は答えなかった。
「そいつの名前は、カール・シンプソン。髭面の長身だが、変装もうまいので、注意して尾行してくれ」
羽田空港――
山月は、スマホの画面に映るカールと、出口から出てくる旅客を見比べていた。そして、流れが途切れる。
「あれ? この便じゃなかったのかな……」
山月がため息をついた時、スモークのかかった自動ドアが開き、長身の白人が出てきた。髭面である。
(やつだ!)
山月は、スマホをポケットに押し込み、見失わないようにカールを尾行する。
(ん? どこに向かってるんだ?)
バッグパッカーと聞いていたので、てっきりバスか電車で移動するのかと思ったら違った。
一般車両の送迎用のレーンで待っていた執事のような男に、あいさつしている。
(しまった! まずい)
山月は、急いでタクシー乗り場を目指して走り出したが、カールは日本人に促されて、黒い車に乗り込んでいる。とても間に合わない。
山月は立ち止まり、唇の右端を上げ、上の歯に舌を当てて、空気を切るように息を吐いた。
路上にいた鳩が、一斉に飛び上がった。
人間には聞こえない高周波の音が響いている。
電線へと昇る鳩と逆行して、緑色の小鳥が下りてきて、山月の肩にとまった。
この辺りでは珍しい、メジロである。
綺麗な黄緑色をしたメジロが、山月の肩の上で、首を傾けている。
「ミカサ、頼む。あの黒いハイヤーを追ってくれ」
山月がミカサと呼ぶメジロが、天高く飛び上がった。
山月は、タクシーに乗った。ミカサには、GPSを取り付けている。
「運転手さん、次の交差点を左へ。渋谷方面へ向かってください」
スマートフォンでミカサの現在地を確認しながら、ミカサを追いかけた。
ミカサの動きが止まる。どうやら、渋谷の雑居ビルに入ったようである。
ビルの近くで山月はタクシーを降り、ミカサを呼んで、餌を与えた。
「サンキューな、ミカサ」
ミカサが飛び立つと、山月は、自販機の陰に隠れて出口を見張る。
しばらくして、中からカールが出てきた。一人である。
(中で何をしていたんだ? 執事風の男は、どこだ? 黒い車は?)
山月は、カールが出てきたビルの写真を撮り、カールを尾行する。
表通りに出る前に、黒いキャップを目深にかぶった男が前から歩いて来た。
男は、肩から掛けたカバンを開け、中から何かを取り出した。
キラリと日光を反射する。
「やばっ!」
山月が駆け出すが、間に合いそうも無い。
キャップの男は、カールに体当たりして、押し倒す。そして、その勢いのまま、カールに馬乗りになり、ナイフを頭上に掲げる。
「や、やめろっ!」
声の主は、山月では無かった。反対側から飛び出してきた、九が、キャップ男に飛びかかった。
寸でのところで、九がキャップ男の手首を掴む。
山月は、路上でもみ合う九に加勢し、キャップ男の首を上腕筋で締め上げた。
カラン、とアスファルトにナイフが落ちる。
「ま、マジかっ!?」
ナイフには、べっとりと血のりがついていた。
見ると、カールは、路上で悶えるように、顔を歪めている。
カールの着ている白いTシャツは、お腹の部分が真っ赤だった。
「山月くん、コイツ、頼む」
九は、山月にキャップ男を託し、カールに近寄った。
傷の具合を確認し、どこかに電話している。おそらく、救急と警察だろう。
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