第3話 総監の犬 その3

「この女の子らのことは、気にしなくていい。ちょっと、そこで助け出してきたんだ」

 相田が連れてきた若い女らは、二人だけでしゃべっていて、こちらには興味が無さそうだった。


「で、今日の用件は何スカ? この山月くんも、特務職に入るんすか?」

「察しがいいじゃないか、九。その通りだよ。今日は、顔合わせだ」

 山月は、緊張して声が出なかったが、いきなり告げられた辞令に驚き、ジントニックをがぶ飲みする。


「九、一人じゃ、心細かっただろ? 私が、これはと思うヤツをチョイスしたんだ」

 相田は、「よろしく頼むぞ、山月」と言って、ポンポンと山月の肩を叩いた。

「別に、星谷ほしたにさんが戻ってくるなら、それで良かったんですけどね……わざわざ新しい人、任命しなくても」

「なんだ、九? さっき、ダーツで負けたことを根に持ってるのか?」

「負けたことは気にしてないっすよ。ただ、給料が下がるのは、勘弁してほしいっす」

「なんだ、そっちのことを気にしてるのか」


 山月の視界の隅で、入り口のガラス戸が開いた。


「おいおい、やっと、見つけたぞ、お前ら。何てことしてくれたんだ、コラ」


 チンピラ風の男たちが、敵意むき出しの視線を向けてきていた。


 先頭の一番ごつい体格のチンピラは、半そでから入れ墨が見えている。

「何、逃げてんだよ、舐めたことしてんじゃねえぞ、コラ」

 委縮した女の子らの腕を掴み、立たそうと引っ張る。


「オマエ、こいつらをそそのかして、連れ出したんだろ? 表に出ろ」

 咥えたばこのまま、後ろから出てきた金髪の男が、相田の胸ぐらを掴んだ。

 相田は無表情のまま、視線を九に向ける。冷たい流し目は、九に向けられたまま動かない。

「いやいや、ご自分で、対処してくださいよ。勤務時間外ですし、こっちは、給料を下げられて、やる気が出ないっすよ」

「戻してやるから、処理してくれ、こいつらを」

 九が頷く。と、たばこ男の手首を掴み、相田から引きはがした。


「いてててっ。なにすんだ、てめえ、コラッ!」

「まぁまぁ、オレが表に出て、相手になってあげるから」

「ふざけんな、コラッ!」


 たばこ男が、激高するのもお構いなしに、九が、女の子ごと、チンピラ集団を外へと押していく。

 チンピラ集団は、四人いた。女の子と合わせて六人。

 皆、店内に残る山月と相田を睨みつつ、留まろうと抵抗するが、九が触れると、意に反して外へ外へと体が動いてしまっているようである。吸い込まれるように、狭い入口から、全員が、店の外に出て行った。


 不思議な光景だった。九が全員を操っているようにすら見えた。

「す、助太刀に行かないと……」

 山月は、はたと立ち上がり、駆け出す。

「あれは、あいつの能力なんだ。じゅつを使っている」

「術?」

 意外なワードに、思わず山月は立ち止まった。

「そうだ、忍術だよ。九は、その手のプロさ」

「そ、その忍術って……。と、ということは、服部九は……」

 そこまで言って、山月は言葉を飲み込んだ。警視総監と普通に会話していることに気付き、自分で驚いている。

 相田は、偉ぶることも、威圧的になることもなかった。独特のオーラはあるが、敢えてそうしているのか、どちらかというと気さくで、話しやすい。


「九は、伊賀出身の忍者なんだよ」

(伊賀の忍者……)

 山月の脳裏で、ダーツの稲穂が揺れた。店の隅々まで駆け回る玉ベエの姿を想像する。そこには、きっと、マスターしか居なかった。玉ベエは、ミスったのではない……と、腑に落ちるものがあった。

(きっと内偵を察知して、九は、隠れたのか……)


「だから、あの程度のチンピラなら、容易く処理してくれる。心配するな、山月」

 山月は、カウンターでグラスを傾ける相田と目が合った。山月にとって、九は得体も知れず、敵味方かも、はっきりとしていない。ただ、忍術の能力が相当高いということだけは、理解できた。



 山月は、入り口のガラス扉を引き開け、外に出た。

「こ、これは!?」


 四人のチンピラが、路上に倒れていた。ヒクヒクと痙攣している者もいる。血を流している者もいる。


「ああ、山月くん。もう、終わったんで、女の子たちを送ってから、戻るって、相田さんに伝えといてくんないかな」

 九が、女の子らを連れている。息も服も乱れていなかった。




「ほら、対処が早かっただろ? 詳しく説明しなくても、九は私の心を読んで、思い通りに行動してくれる。優秀な部下だ」

 店内に戻った山月の頭の中には、たくさんのクエスチョンマークが浮かんでいる。


「何から聞きたい? まずは、さっきのことからか?」

 何から質問したらいいのか迷っていると、相田がそれを察してくれたらしい。

「そ、そうですね……。な、何があったんですか? 若い女の子と、あのチンピラどもと、トラブルでも起こしたんでしょうか?」

 

 相田は、コースターにグラスを戻し、ナッツに手を伸ばす。

「ここに来るまでに、彼女らを救い出したんだ。あのチンピラたちは、借金しがちな女の子たちを嵌めて、返済不能に陥れて、売春ビジネスをやっていたんだよ」


「違法行為を察知して、すぐにその場で、対応されたのですか?」

「まぁ、そんなところだ。イチイチ所轄に連絡してたら、被害が広がるだろ? 私は、そういうのは、見過ごせないたちなんでね」


 山月は、相田の底知れない正義感に脱帽する。若くして、警視総監に抜擢された理由がわかった気がした。

 世間が噂するような、だから抜擢されたわけではない。


「あの、まだまだ、質問があるのですが、よろしいでしょうか?」

「どうぞ。なんでも聞いてよ」

「あの、その……。先ほどの、私が特務職に入るというお話は……」

「ああ、それな。そうだった、まだ、その話、途中だったね」


 相田が、ウイスキーのロックに口をつけ、カラカラとグラスを振った。

「山月には、明日から、警視総監直属の特務警官になってもらう。異動だ」

「え? あの……その……。と、特務警官って……今日、初めて聞いたのですが、何をするのでしょうか?」

「なんでもしてもらうよ。私が、こうしたいと思うことを、私の代わりに実行してもらう役回りだ。普通の警官は、世のため、人のために日夜働くけど、特務警官は、私だけのために、働くんだ」


「そ、そんなことって……」


「キミは、明日から、私の犬だ」

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