第2話 総監の犬 その2

「オレは、服部九はっとりきゅう。幼い頃は九ちゃんって呼ばれていたよ。そのせいかわかんないけど、ずっときゅうりが苦手なんだよね。臭いし、味も嫌い。きゅうりなんて、この世から無くなって欲しいって、七夕の短冊にまで書いたほどなんだよね。ま、どうでもいいことだけどさ」


(ホント、どうでもいいことだな……)

「そ、それで? どこの部署なの?」

 山月は、宙に舞う九のフケを手で払いながら訊いた。

「警視総監直属の特務警官さ」

「特務警官?」

「そう。簡単に言えば、警視総監の意のままに、手足となって動く部下。いわば、総監の犬だよ」

「い、犬って……」(意外に、自虐的だな……九……)

「さぁ、名乗ったからいいだろ? 早く、ダーツしようぜ」

 山月をダーツに誘った九は、笑顔に愛嬌が溢れていた。



 先攻の山月は、二本目までで、中心のブルに一本、僅かにブルを外した13点のゾーンに一本。

 口を噤んで放った第三投は、ブルに刺さった矢に擦れながら、中心円の中に刺さった。


「よしっ!」

 いきなりの高得点をたたき出した山月がドヤ顔で戻ると、九の目は三日月のように湾曲していた。

「ふふふ……」

 九が驚いているのか、喜んでいるのか、山月には読めない。


「やるじゃん」

 九がマイダーツを手に取り、立ち上がる。

「勝てるかな……」

 スローイングラインに立ち、俯いて目を閉じた。念仏を唱えているのか、口先だけがブツブツと動いている。

 山月は、口元の動きから、言葉を読み取ってみたが、意味不明で文章になっていない。

(なにかの呪文か?)


「九! 負けるなよ。負けたら減給だからな」


 突然の声に山月が振り返る。いつの間にか、店内に入ってきた客が立っていた。濃紺のジャケットを腕に掛けた面長の中年が、水商売風の若い女を二人従えて、薄ら笑いを浮かべている。


「あ、け、警視総監……、お疲れ様です」

 山月は、立ちあがって、席を譲るように、後退る。

 警視総監の相田は、山月のあいさつに軽く手を挙げて返すと、若い女らをカウンター席に座らせた。



 九が、スローイング姿勢に入った時、山月は息を飲んだ。九は、矢を三本とも、右手に握っている。

 素早く腕を曲げたかと思うと、九は、第一投をブルのど真ん中に刺し、立て続けに、第二、第三投を放った。


「九! バカか、お前は。お前の負けだ。ハハハ」

 相田が笑い、水商売風の女らは、目を丸くしている。

「いやいや、コレ、オレの方が点数、高くないっすか?」

「高くねえよ。ボードに矢が刺さったのは一本だけだろ? 五十点だ。九、お前の負けだよ。今月給料カットな」

「そ、そんなぁ……」


 山月がボードを見ると、真ん中に刺さった矢のお尻に、矢が刺さり、その矢のお尻に三本目の矢が刺さっている。


 ブルの真ん中から、稲穂が垂れるかのように三本の矢が垂れ、揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る