第二十六話、──異形。
「少しっ! ……はぁっ! 待ってくれっ!」
真昼の太陽の日差しすら遮ってしまうような鬱蒼とした森の中で、俺は前を歩く三人に向かって声を掛ける。疲労から、荷物が尚更重たく感じて、足が前に進まない。
「おせぇぞ、おっさん! もうへたばったのか?」
「うるさい! こんな場所を歩いたのは初めてで……うわっ!」
シータの挑発に言葉を返そうとして、足首くらいの高さまで出ていた木の根っこに足を取られてしまった。ここの森に生えている木は、根が大きくなっていて地面の上まで飛び出て来ている。その根に足が引っかかったり、上に乗ると滑ったりして歩きづらいことこの上ない。
背負っている荷物が無ければ、ここまで酷い有様ではないだろうが、足も上がらない今、何回もひっかり転びそうになっていた。
「つーかさ、おっさん……レベル上げたのか?」
「……あ」
シータに言われて気付いたが、アメリのレベルは38にしたが、自分のレベルは上げていなかったことを思い出す。レベルを上げれば少しはマシになるかもしれない。
「ステータスオープン!」
今自分のレベルを見てみると、レベルが15になっていた。一気に上がっているが、これはジャガーボアを倒したことによる結果だと思う。
「レベルが上がってもパラメーターが増えてないんだが、なんでだと思う?」
「ははっ、おっさん呪われてんじゃねぇのか?」
「……っ」
シータが笑いながら言った言葉に、アメリは暗い顔をした。彼女のスキルがそういった類のものだったことをシータは知らない。
「別に、呪われてても俺にはこのスキルがあるから大丈夫だ。それに、いい使い方を思いついたから試してみる」
俺は『マジックラベル』に400と書き込み、力のパラメーターのところに貼る。これで、俺の力だけが400に書き換わる。
途端に身体が軽くなるのを感じて、予想が的中したことに俺は嬉しくなった。ついでに素早さの数値も上げておく。……同じように400でいいか。
適当に数値を入れ、俺は意気揚々と歩きだす。急に軽くなった身体と、俊敏になった足に感覚が合わず、俺は木の根に躓いて思いっ切り前のめりで顔から転んでしまった。更に、重たい荷物が追い打ちをかけるように俺を押しつぶして来たので、言葉すら出ない。
「ぶわっはっはっは! おっさん何やってんだ!」
「アイテムは大丈夫ですか?」
「り、リッドさん大丈夫ですか!?」
俺はアメリに手を貸してもらい立ち上がる。幸い怪我はどこにもない、鼻を擦りむいただけだ。アメリがほっ、と息をするのを見て思った。俺の仲間はお前だけだよ、アメリ……
後の二人には期待はしていなかったが、どこか悲しい気持ちになる。俺は立ち上がり、もう一度ステータスプレートを開き、今度は素早さを150にして試してみる。元々が70程だったのでこれでも倍の速度だ。
そして、恐る恐る一歩歩いてみると、今度は思うように身体が動く。とりあえず、これで慣らしていこうと思った。
「うん、これなら普通に歩けるな。それに、身体も軽いしかなり楽だ」
最初からこうしておけばよかったと思うことがこれで何回目だろうか? まだまだスキルに対して頭が固いみたいだ。もっと精進せねば……
「ちっ、もっとおっさんが苦しむ姿を見たかったぜ、変なこと言っちまったな……」
シータは頭を掻きながら、助言をしてしまったことを悔やんでいた。くっそ、こんな奴のアドバイスを聞いた俺も俺だが、助かったのは事実だ。
「ありがとう、助かった」
「…………おっさんが足手まといだと困るのはこっちだってだけだ」
シータがぶっきらぼうに言い、さっさと前へと歩いて行く。もしかすると、ガラにもないことを言ったと思って恥ずかしがったのかもしれないな。
「優しいなシータは、いつもからそんな風に目を掛けてやれば皆お前のこと慕うと思うぞ。本当に優しい」
「うっせぇバーカ! 死ね、おっさん!」
ここぞとばかりに俺は追い打ちをかけてやる。こいつの羞恥心に付け込んで攻撃してやる。どうだ、恥ずかしいだろ! 悶え死ね、シータ!!!
「全く、二人は仲がいいやら悪いやら……ッ、敵が前方から三匹!」
周囲の索敵をしてくれていたラルフが敵襲を告げ、腰から武器を取り出す。彼の武器は鞭。真空の魔法を纏わせて相手を切り裂くというのは、ここに来る前に伝えてもらってある。
「おっさんと話すより楽だからいいな、さてどんな奴が出てくるんだっと……」
「シータ、この反応はジャガーボアだ」
「なんだ、猪かよ……」
シータは拳を構える。彼の武器はナックルだ。手甲を嵌めただけの拳一つで敵を屠る。普通なら、剣などの武器を使わないと、不利なはずだ。だが、彼はこの拳一つでギルドのエースまで上り詰めたのだ。
「ジャ、ジャガーボア……」
アメリの声が震えていた。先日戦った時の記憶が蘇ったのだろう。しかし、今回はあの時とは違う。戦闘では、頼れる二人がいるのだから。
「二人共、お手並みを見せてもらうぞ」
「うっせぇ、さっき転んでたおっさんが指図すんじゃねぇ! アメリ、お前はそこで見とけよ。お前の戦い方の先を見せてやるから」
「アメリには俺にやられた姿しか見せてないからな」
「なぁラルフ、猪の前におっさんから殺した方がいいかな!?」
「……あれはお前も悪い」
ぐっ! とシータが言葉を詰まらせるのと同時に、一度聞いたことのある足音が近くまで来た。それも三つ。ラルフが言った通りだ。
その数秒後、三匹の猪が現れた。そのどれもが興奮状態、まるで何かから逃げているように見えた。
「──風よ! 万物を切り裂く鎌となれ! エアーショット!」
ラルフは先制で、鞭をしならせ猪に一撃を撃ちこむ。それは猪の脚を狙った攻撃。その一撃は猪の脚を全て刈り取った。
「ぷぎぃぃぃいい!?」
急に脚が無くなった猪は、空中に投げ出されそのまま地面へと墜落する。あれではもう起き上がることすら出来ないはずだ。
「──うらぁあああああああ!!!」
一方で、シータの叫び声が聞こえたと思うと、地面を蹴りそのまま直線的に肉薄していく。その姿は残像だけ見える程の速さで、一瞬シータの姿がぶれて見えた。
「アメリ、力が無い奴はな、横から相手の急所を突くんだ! こうやって、なぁ!!!」
そう言ったと思うと、シータは猪の横っ腹に拳を突き入れる。血が噴き出したと思うと、猪はバタリと倒れる。あの血の量はきっと、一撃で心臓を打ち抜いたのだ。
「あっ、最後の一匹が!」
残った一匹が逃げだそうとしたのにアメリが気付く。その時にはもうシータは動いていた。近場にある木にダッシュで飛び移り、その木にしなりを加える。木が完全にしなり切ったのと同時に猪に向かって飛んだ。
「逃がすかァ!!!」
それはさながら、大砲の弾。猪の速度を上回る速さでシータは猪の後頭部を殴り飛ばす。それと共に猪の脳漿が辺りに散らばった。
「──こんなもんか。どうだ、アメリ! 俺の戦いは!」
シータはこっちを向く。これが二人の実力か……流石エースと呼ばれているだけあるな。それに、こいつ、まだスキルを使ってないよな?
見せられたのはただの肉弾戦。まだ奥の手があると思っていい。そうでなければ、エースとは呼ばれないはずだ。
──猪相手では使うまでもないってか、まったくウチのエース様は……
「アメリ、聞いてるぞ。なんか言ってやれ」俺は、アメリが何も喋らないことが気になり、声を掛けアメリを見る。
──そこに居たアメリは顔を青くさせている。視線の先は、猪が逃げて来たその奥を向いていた。
俺はアメリが何を見ているのか気になり、視線を追う。そこには……ナニカがいた。異形としか呼べない、初めて見る生物が。
形は大きいスライム。だが、そのシルエットが俺の知るスライムとは大きく異なっていた。
まず一番先に目を奪われるのは、背中から大量に突き出している剣。その姿に、剣の墓場を想起してしまった。
その剣が刺さっている本体は、鈍色の鉛がぷるぷると波打っているように見えた。その硬さは見ただけではわからない。柔らかい鋼、その硬度がどれほどの物なのかを俺は知らない。
──アレがこの森における異常なのは明白だった。
あいつは、この世に居てはいけない存在だと、頭の奥で警鐘が鳴っている。ずり、ずり、とそいつはこちらににじり寄って来ているのが見えた。
「なんだ、あれは……ラルフ、構えろ!」
シータがラルフより早く異変に気付き、俺達を庇うように前へと出る。あんなわけのわからない相手にも戦うつもりなのだろう。それが、エースとしての矜持なのかもしれない。
「あれは、一度引くべき相手では?」
最後に気付いたラルフが提案をする。そうだ、一度引いた方がいい。この場にいる全員が肌で感じているはずだ。──あれには勝てないと。
全員が緊張しながらそいつを見ていると、そいつはぶるぶると身体を震わせ二本の触手を生み出し、それを高く掲げ始めた。
──なんだ、一体何をして? …………ッ!!!
「シータ! ラルフ! この場から離れろッ!!!」
俺は咄嗟に叫ぶ、二人はあの攻撃を知らない。俺の迫真の声に二人は頷き、逃げたのを確認出来た。
「──アメリ!? ⋯⋯くそっ!」
アメリは二人が逃げたにも関わらず、その場所から動かない。立ち竦んだまま恐怖によるものか身体でを震わせていた。俺はアメリへと駆け寄る。
「こっちへ! 早く!」
俺がアメリの手を掴み走り出すのと、それが触手を振り下ろすのは同時だった。その触手は光り輝き、空間を切り裂く。──それはあの伝説の武器と同じ光。
『■■■■■■◼◼◼!!!』
鉄同士を擦り合わせたような不快な音が辺りに響き渡る。──その刹那、光が木々を呑み込んでいくのを見た。
あまりの眩さに目がくらみ、目を閉じる。俺はアメリを庇うように上に覆いかぶさり、地面に蹲るしかない。
胸の中でアメリが震えているのを感じて、俺はアメリを強く抱き締めた。⋯⋯少しでも震えが止まるようにと祈りを込めながら。
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