第十六話。討伐。
「──ぐぅっ!」
俺は猪の突進を寸での所で避けようとした。しかし右腕が牙に引っ掛かり、大きく裂けてしまう。少しかすっただけでこれだ。直撃を喰らった時のことは考えたくもない。
俺はそのまま地面へと転がり込み、呼吸を整える為に肩で息をする。
「ぜぇっ……ぜぇっ、くそっ、痛ぇなぁ!!!」
人生で初めて受けた激痛に俺は怒りを覚える。
全身に感じる疲労のせいで、もう半ばヤケクソになってしまっていた。武器もない防具もない。あるのは己の身一つで自分より格上に戦えってなんだその無茶ぶりは! ふざけんな、くそったれ!
こいつのステータスが見れれば、まだ勝機はあるのだけど、そんな隙は今まで一度たりとも与えてもらえていない。
「ブォォォォォォォ!」
猪は怒りの咆哮を上げていた。俺程度を倒せないことに苛ついているのかもしれないな、ざまあみろ! 俺は心の中で悪態づくことで、安寧を得ようとした。
こいつの攻撃が単純なものしかなくて助かった。今まで、突進による攻撃で周りの魔物を蹴散らしてきたのだろう。搦手が無さそうなのは、僥倖だった。
「まだやるか!?」
俺は立ち上がり、猪を睨む。諦めてくれると助かるのだが……
「ブルルルル!!!」
そんな希望は、敵わない。相手はやる気満々に地面を蹴って、こちらを威嚇している。俺はそれを見てげんなりとした。
「あ、そう……ならまた鬼ごっこの再開ってことで……」
そして、突進してくる猪の攻撃を見て、また横に避けようと試みた。しかし、右腕がついてこずにバランスが崩れてしまった。
「ぐぅっ!」
無理矢理身体を地面に倒し、地面を転がる。なんだ……何が起きた?
そこで、ようやく右腕の感覚がないことに気付いた。さっき怪我をした時に、麻痺をしてしまったらしい。
──よく考えれば、先程感じていた痛みが無くなっている。あの牙には麻痺毒が仕込まれているようだ。それがあいつの搦手ってわけか⋯⋯
俺は痺れつつある身体を、気合で無理矢理立たせる。身体がふらつくのを必死に抑えた。
そのうち俺の身体全体に麻痺が回るかもしれない。それまでにアメリが来てくれないと、草原に死体が一個転がることになってしまう。
……それを彼女が見たらどう思うだろうか? 自分のせいだと思い込み立ち直れなくなる可能性がある。
「はは、あいつにそんな顔させるわけにいかないよな……気張れよ、リッド!」
──ラベルを書く時間が欲しい。そうすれば、スキル欄に『状態異常無効』が貼れるのに。敵はそんな時間を与えてはくれない。
猪は、俺の状態に気付いたのか間髪入れずに突っ込んでくる。それを見て、俺はまた地面を転がって避ける。足が震えて走れそうにない。
相手の突進を見てから転がって避ける、それが今の俺に残された唯一の回避方法だった。
徐々に身体が動かなくなってくる。タイムリミットはもう近くまで来ていた。
「……アメリ、待ってるからな」
俺の命はここにいないパートナーに賭けた。なら俺のやることは、精一杯命を尽くして粘ることだけだ。
「さぁこいよ、デカブツが! 俺はまだ死んでないぞ!」
地面に這いつくばったままの姿で、俺は相手を見据える。口だけはまだよく動く。相手を冷静にさせないのが唯一俺の出来ること。
──そう言ってから笑みを作ると、猪の怒号が辺りに響き渡った。
「ぐ、ぐうっ⋯⋯はぁっ⋯⋯」
⋯⋯あれからもうどれくらいの時間が経っただろう? もしかすると、俺が思っているより時間が経ってないかもしれない。わかるのは、死がそこにあるということだけ。
力を入れて上体を起こそうとするが、身体が動かない。ついに麻痺が全身に回ったのか、息すらもまともに出来なくなってしまった。息を吸おうにも喉が震えてむせてしまう。
左手だけがかろうじて動かせる。だけど、腕一本動かせたところで何の意味もない。
のし、のし、と俺の耳に猪の歩いてくる音が聞こえた。俺が動かなくなったから、確実にとどめを刺すつもりなのかもしれない。
俺は目を瞑る。恐怖が心の中を埋め尽くしていく感覚に身が凍る。でも、自身が死ぬことよりも、アメリに俺の死体を見せる方が怖かった。
彼女の心は確実に傷を負うだろう。⋯⋯それだけは絶対に阻止しないといけない。
彼女は彼女のままで居て欲しいと思う。これは俺のわがままだ。でも、わがままの何が悪い!
そう思うと、まだ生きていたいという気持ちが溢れてくる。かろうじて動く左腕に力を入れ、身体を這いずらせる。
「う……ううう……」
口からはうめき声しか出ない。情けない姿を見せることしか出来ない、それでも、俺は……まだ生きていたい!
「──リッドさん!!!」
俺の耳に、今一番会いたい人物の声が耳に届いた。それはもしかすると幻聴かもしれない。俺のアメリに会いたい気持ちが起こしたかもしれないと。
……しかし、その後に続く言葉を聞いてその考えは一瞬で吹き飛んだ。
「ありゃりゃ、リッド死にかけてるじゃん。ほんじゃま、いっちょやったりますか~」
──なんでカミラがここにいるんだ!?
俺がアメリに頼んだのとは違う奴がそこにはいた。それは『歩く爆弾魔』の忌み名を持つ魔法使い。出来れば、今一番会いたくない人物。
「はい! カミラさんお願いします!」
──アメリ、お願いしないでくれ! 俺を殺す気か!!!
心の中で叫ぶ。確かにカミラの能力は高い、この猪すら倒せるだけの力はあるに違いない。ただ、周りが無事かどうかと言われると話は別である。
「ほいほい、じゃあいくよ! ──炎よ獄炎となりて」
カミラは詠唱を唱え始める。頼む、ちゃんとやってくれ! 俺は心から願う。だが、願いは叶うことはなかった。
──いきなりカミラは叫ぶ。俺に対しての絶望を。
「よし、一番から七番まで破棄! いくよー、なんちゃってエクスプロージョン!!!」
──破棄するな、バカあああああああああああ!!!
──瞬間、世界が滅んだかと思う程の爆音が鳴り響いたと思うと、猪を中心に爆炎が巻き起こる。
突然の出来事に言葉すら出す事が出来ない。わかるのは、どんどん、視界が地面と離れていくということだけだ。
身体には重さを感じない。ははは! 俺は今、空を飛んでいる! ⋯⋯って、笑ってる場合か馬鹿野郎!!!
「──きゃああああああああああああああ!?!?」
「わははははははは、すごいわこれ!!!」
宙に浮きながら、アメリの悲鳴とカミラの爆笑を聞く。くそっ、後でアドルフにチクってやるからな!!!
俺は宙に飛びながら、左手を使ってラベルに文字を書いていく。それは『浮遊』。このまま落ちると死ぬのは間違いないので、それをスキル欄に貼った。
貼った途端、空で身体が停止する。それを見て一息ついた俺は、スキル欄の『短剣術』と『投擲術』を剥がし、『状態異常無効』のスキルを貼った。
「……なんとか身体は動くようになったな」
身体に痛みは感じるが、力が入らないということはない。ただ、疲れからか身体に倦怠感を感じた。
「⋯⋯で、どうやって降りればいいんだ、これ?」
俺は下を見る。今の俺は城の屋上に近い位置で止まっていた。
『浮遊』の効果は本当に浮くだけで、ゆっくりと降りる効果はなさそうだ。空中で泳いでみるも、空気を掻き分けるだけで一向に進まない。
仕方なく俺は、スキル欄の『浮遊』を外し自由落下することにした。ギリギリでもう一回貼り直せば問題はないはずだ。
「リッドさん! リッドさんどこですか!?」
地上では、アメリが俺のことを探している。泣きそうな声になっているのは、俺の身体が見えないことで消し飛んでしまったと思っているのかも。
その横でカミラはしきりに十字を切って祈っている。それ、猪に向けてじゃなくて俺にだよな? お前は絶対に許さん!
「おい、カミラ!」
俺が空からカミラに向けて声を掛ける。すると彼女は「り、リッドの声……まさか天から私達の事を……」なんてわざとらしすぎる演技をしている。
「り、リッドさんごめんなさい……私のせいで……」
アメリはそれを真に受けて泣き始めた。おい、お前! 純粋な子を騙すんじゃない!
やがて、俺は地面に降り立ち、つかつかとカミラの方へと近寄っていく。それを見たカミラは「り、リッドの幽霊だ!!!」とぬかしやがる。
とりあえず無言で一発頭を殴ってやると、カミラは「ぐぇっ!!!」といい声で鳴いた。
「ゆ、幽霊が私に暴力を……」
「幽霊が殴れるか、バカ!」
俺はカミラを怒鳴り、次にアメリを見た。アメリは俺の姿を見てびくっと、恐怖から震える。
「なぁ、アメリ。なんでこいつを連れてきたんだ?」
アメリに詰め寄ると、彼女は泣きそうな声で「だ、だって⋯⋯行きたい! リッドのやられてる姿を見たい! とか目をキラキラ輝かせるんです……」と小さい声で言った。
どうやら全面的にカミラが悪いらしい、アメリはむしろ被害者だ。
「そもそも、なんで二人が一緒にいるんだ? 店で会ったのか?」
俺は少し気になったことを聞いてみる。それを聞いて、アメリは目を伏せる。その身体は微かに震えているように見えた。
俺はそれを見て首を傾げると、代わりにカミラが答えてきた。
「街の前で彼女が男に襲われそうになってたのよ、それを私が助けたって感じね」
彼女にしては珍しく真面目な声だったので、本当にあったことだとわかった。男、まさか……
「──アメリ、あの男か?」
俺には思い当たった奴が一人だけいた、それはアメリの後ろに隠れていた男。俺の問いにアメリは頷く。
それを見て、俺の心には怒りが湧いてきた。アメリの良心を食い物にする奴は絶対に許せない。
「──ブォォォォォォォォ!」
怒る俺の耳に、死んだと思っていた奴の声が聞こえてくる。
煙の中から、猪の姿がゆっくりと現れる。その顔は見るからに怒りに充ちていた。
猪は、あの爆炎に巻き込まれてなお傷を負っていないように見えた。
「まさか、死んでないなんて!?」
「まずいねー、もしかしてあいつと私相性悪いかも?」
二人が驚愕の声をあげる。しかし、俺の頭は別の事を考えていた。
「──こいつがいなければ、アメリがあの男と会うこともなかったんだよな」
「……リッドさん?」
俺は沸々と煮えたぎるような怒りを抱えたまま、二人の前に立って猪と対峙する。時間が出来た今なら、やれることがある。
──俺は、猪に向かって『鑑定」をした。こいつのスキル欄が目の前に映る。
『麻痺牙』自身の身体に麻痺毒を持った牙を生やす。
『亜種の身体』全ての属性に対する耐性がアップ。
──こいつの能力、これを入れ替えてやればいい。俺は、ラベルに文字を書いていく。それは『猛毒を与える』。それを、怒りをぶつけるように相手のスキルの上から被せた。
これで相手のスキルはこうなる。『麻痺牙』自身の身体に『猛毒を与える』。
更にもう二枚に、『状態異常に』『ダウン』を書き、それを貼る。
『亜種の身体』全ての『状態異常に』対する耐性が『ダウン』。
これを貼った瞬間、目の前の猪からは牙が消失し、崩れ落ちるのが見えた。
【レベルが上がりました】脳内で敵を倒したことを告げる声が鳴り響いたのを聞いて、俺はようやく一息を吐くのであった。
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