合流 9
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ロビーから戻ってきた哀川教授は、皆に言った。
「ありがたい。島田教育長は、山間部の教育施設を視察するために月曜から出張中で、週明けまで戻らないそうだ」
慎太郎がうなずき、
「こちらも準備完了です」
管生は、すでに部屋の中に潜りこんでいる。
ドアノブの奥から、かちり、と解錠する音が響き、続いてこんな声が聞こえた。
「
「了解、クーちゃん」
斎実が慎太郎に目配せし、慎太郎がドアノブに手をかける。
斎実は素早く九字の印を結びながら、つぶやくように唱呪した。
「臨兵闘者皆陣列在前」
一瞬、通路に流れ出そうとする濁った霧に、斎実は両手を突き出して一喝した。
「破!!」
濁った霧は、瞬く間に部屋の奥に退いた。正確には、奥にある別室の開け放たれた入り口に向かって、渦巻きながら消えたのである。
「もう大丈夫です。やっぱり奥に逃げ道がありますね」
斎実に続いて、他の皆も部屋の中に踏みこむ。
慎太郎は、なるべく音をたてずに手早く扉を閉めた。
その肩に、管生がちょろちょろと這い上がる。
「やはり斎実は侮れぬな。あれだけの
慎太郎も異議がない。一瞬の九字に、顔中に玉の汗が浮かぶほど全力を籠められる精神力は、草食系の慎太郎では真似できない。しかも、その汗まみれの顔が、
「今の技は、一般的な
哀川教授が斎実に言った。
「御子神流でも、あれを使うとは」
斎実は困ったような笑顔で、
「実は、私が我流でやってるだけなんです。気合いを入れるのにちょうどいいですから」
「なるほど、我流もありなのか」
そんなアバウトさが『
吉田や兵藤は、教育長室内の、何の怪しさもない様子に拍子抜けしていた。
いかにも高級そうなデスクやソファー、壁に掛かった赤富士の日本画、飾り棚の華美すぎる日本刀、ガラスケースに収まった金彩色絵の壺など、俗物的な意匠ばかりが目について、予想していた
斎実と慎太郎に続いて、一同は奥の一室に踏みこんだ。
奥の部屋の右手はすぐ壁になっており、左手に奥行きのある空間が広がっている。
斎実が右手の壁に触れて言った。
「この後ろが、さっきの通路ですね。向こう側まで
左手の奥に目をやった裕一が、呆れたように言った。
「なんじゃこりゃ……」
入り口付近こそ複数の研修用デスクが置いてあるものの、その奥には人工芝が敷きつめられ、カメラと液晶モニターを備えた、スタイリッシュなゴルフ・シミュレーターが鎮座している。遊戯的な物ではなく、打者のスイングや、細いワイヤーが繋がったボールの反応を詳細に分析表示する、プロ級のシミュレーターである。最奥の壁一面を占める大スクリーンも、手前のシミュレーターに連動して結果を表示する、仮想ゴルフ場投影用のスクリーンらしかった。
「ラーニングルームとか言って、ただのゴルフ練習場じゃないですか」
「島田教育長なら、やりかねないな」
哀川教授も、やはり呆れたように、
「あの人の出張視察は、ほとんど接待ゴルフだと聞いたことがある」
吉田はシミュレーターの後ろに屈みこんで、銘板を探した。
反対側から同じ行動をとる兵藤記者と頭をぶつけ、お互い苦笑しながら、
「犬木興産が納入してますね」
兵藤の言に、吉田は一応うなずいたが、
「正確には、納入ではなく寄贈だな。わざわざ英語表記の銘板で判りにくくしてる」
斎実は「市役所までズブドロなんだ」とつぶやき、人工芝の上を奥に進んだ。
「スクリーンの後ろから
男たちはスクリーンの昇降装置を見つけ、天井に引き上げた。
スクリーンと奥の壁の間には、なぜか数十センチの隙間があり、壁の中央には、二メートル四方ほどの、スチール製の書類棚が据えてあった。しかし棚には何の書類も並んでいない。先入観がなければ、余分な書類棚を仮置きしてあるだけとも解釈できるが、今の状況では、いかにも怪しい。
「どけてみましょう」
大人たちの手で、書類棚を横にずらす。
現れた部分の壁は、周囲同様しっかりした造りに見えたが、吉田はその部分を撫でながら、
「最近、壁紙を貼り直してありますね。しかも素人仕事らしい。あちこちに気泡が残ってます」
一緒に感触を確かめていた兵藤は、ある部分で手を止め、
「このあたりは壁そのものがありません。壁紙で覆ってあるだけです」
哀川教授は、壁紙に剥がせる継ぎ目がないか確かめた。
見当たらないと悟ると、躊躇なく壁紙を破りにかかる。息子を探すのが先決、後始末は後で考えればいい。
他の男たちも、勢いに任せて引き剥がす。
壁紙の奥に、スチール製の扉が現れた。
扉の四方には、梵字を筆書きしたお札が貼られているが、相当古い物らしく、どれも破れて剥がれ落ちそうだ。しかも扉のノブ側が、僅かに開きかけている。
「ここだ!」
哀川教授が飛びつき、ノブを引いて全開した。
内壁の横上に、ちぎれた非常梯子の先が見えた。
その奥の暗がりの、下に向かって叫ぶ。
「拓也! おい、拓也!」
「父さん……」
下に目をこらすと、仄暗い闇の中、ちぎれた下の非常梯子が、穴の内側方向に大きく弧を描いていており、さらにその下の、まだ壁から剥がれていない部分に、大きな荷物を背負った人影があった。
「拓也! 今上げてやる!」
人影がうなずいた。弱々しい動きだが、まだ意識は保っている。
人影の周囲には、幾つかの小さな青い炎が、細い尾を引きながらゆっくりと飛び回っていた。
「陰火まで出ておるな」
慎太郎の肩で、管生が言った。
「しかし妙だ。ただの陰火ではない。匂いが違う」
斎実と慎太郎もそう感じたが、今は拓也を引き上げるのが先決だ。
慎太郎は管生に、
「また伸びて巻き上げるか?」
「あの体勢では巻き辛い。トビメに運んでもらおう。念のため俺もいっしょに行く」
トビメが軽やかに啼いた。
「きゅん!」
やっと出番が回って来た――そんな声だった。
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