錯綜 2-1


     2


 そして同日、少々時を遡り、正午を三十分ほど回った頃、峰館の滝川村――。

 山室夫妻の隠居屋敷にいた面々は、三台の車に分乗して、森の細道を集落に向かっていた。

 先頭は、慎太郎がレンタルしたFJクルーザーである。ただし、今は吉田が運転し、慎太郎と斎実はリアシートに並んでいる。いざとなったら管生くだしょうとトビメの双方を使えるよう、二体ともすでに竹筒から放たれ、管生は慎太郎の肩で、トビメは斎実の肩で待機していた。

 哀川教授のジムニーが後続し、民治老人が運転する大型ワゴンが最後尾――途中で犬木興産の三台に遭遇するのを前提とした、とりあえずの布陣だった。

 斎実が吉田に言った。

「クーちゃんたちが見える人ばかりで助かります」

 ワゴン勢の中で、式神が見えるのは山室夫妻だけである。孫の山室百合は気配程度しか把握できない。杉戸母子おやこと女中二人は、まったく見えない。それでも成人男性の全員が式神の行動を視認できれば、今後も何かと心強い。

「私も昔は、何も見えなかったんだけどね」

 吉田は言った。

「十一年前――あの東日本大震災の日から、なぜか見えるようになった。幸か不幸か微妙なんだが、その後現地で行動するのに、けっこう役に立ったよ。犠牲者の中には、瓦礫に埋もれた自分の体を見つけて欲しいのか、そのままそこに立っている人もいたからね」

 斎実と慎太郎は、そうだったのか、と、しみじみうなずいた。

 管生が、慎太郎の肩から吉田に訊ねた。

「あの大惨事をきっかけに、見えるようになったのか?」

「いや。また別の、個人的な経験の途中でね。揺れも津波も、その後に起きた」

「ほう。ならば、それがおぬしの宿命だったのさ」

 管生が訳知り顔で言った。

「見えるのが幸か不幸か、俺にも解らぬがな」

 吉田は管生に気を許したらしく、親しげに微笑して、

「でも、私が一番会いたい人は、一度も見えたことがない。若い内に先立ってしまった、私の妻なんだが」

「それは不幸ではない。むしろ幸せな事ぞ。おぬしの女房は、自分の生きた道に満足し、安らかに逝ったのだ。そして女房の『こん』は、いずれ他の者の『こん』となる。おぬしの事など忘れておろうが、いつか女房の後生ごしょうに出くわすかもしれぬ」

「会えるだけでもありがたいな」

「しかし、おぬしも気づけぬぞ。人ならば相手は若い。しかも五分五分で男。人でなく猫や犬かもしれぬ。事によったら草や花、あるいは森の木々――」

「そういうものか」

「そういうものだ」

 管生は、千歳越えにふさわしい達観した顔で、

「幾千幾万の命も、命同士は一期一会よ」

「……同じ言葉を、あの震災の日に聞いた。賢明な人だった」

「人にも物の道理が解る奴はおる。おぬしも見習え」

「ああ、あれからずっと見習ってる」

「ならばよい」

 年寄りじみた管生の口調が、次の瞬間、殺気を帯びた。

「――来たぞ」

 敵の匂いを嗅ぎとったらしい。

 吉田が前方を注視すると、やや蛇行する林道の先から、黒塗りのプリウスの鼻面が現れた。

 管生が、にやりと笑う。

「道理の解らぬ根性悪が群れておるな。いかにも旨そうな奴らぞ」

 慎太郎は思わずたしなめた。

「食うなよ」

「一々真に受けるな。おぬしが食えと言わねば食わぬ」

 吉田はハザードランプで後続車に警告し、減速しながら言った。

「じゃあ、とりあえず、第一案どおりに」

 慎太郎と斎実がうなずく。

 吉田はFJクルーザーを、斜め横にして停めた。細い林道は、それだけで擦れ違いが不可能となる。

 吉田が外に降りるのと同時に、慎太郎と斎実も一旦降りて、前席に移る。状況によっては、すぐに発進する必要が生じるかもしれない。斎実は相手の出方を読むため、なるべく前が見える位置にいたい。

 斎実は無言のまま、脳内で精神統一のための手順を踏んだ。

 トビメはすでに外に放たれ、横の林に走っていた。管生は慎太郎の肩で待機している。

 黒塗りのプリウスが、数メートル先で停まった。続く二台も停まったようだ。

 吉田はプリウスの運転席を覗きこみ、サイドウインドーを軽くノックした。

 ウインドーが僅かに下がる。

「何かありましたか?」

 三十代なかばと思われる男が、慇懃無礼に言った。助手席にも同世代の男が乗っている。いずれも会社員風の装いだが、吉田は前職の経験から、二人とも堅気カタギではないと踏んだ。つまり単なるフロント企業の一社員ではなく、企業舎弟としての組員である。

「お気づきになりませんでしたか?」

 吉田は愛想よく笑顔で言った。

「トンネルから先は、ずっと貸別荘の私有地です。無断で立ち入らないよう、看板もあったはずですが」

「それは気がつきませんでした」

「まあ、それなら仕方ありませんが、実はこのあたりで月の輪熊が目撃されましてね。それも成獣が二頭、餌を探して紛れこんだらしいのです」

 吉田は、スリングで背中に下げていた猟銃を、あえてドライバーにちらつかせた。

「私は猟友会からの依頼で、別荘の方々を集落まで避難させている途中でして。皆様も至急、引き返してください」

 そのとき、横の林の奥が、大仰にざわめいた。トビメの仕業である。

 吉田は躊躇なく発砲した。

「……外したか」

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