第3話 ナヅキとタッシャさん
次の日の朝、埃っぽい空気を吸い込みながら目を開けるとシスターさんの満面の笑みが飛び込んできた。
「どぉおおおっっ!!!?」
思わず変な声が出てしまう。
「ナヅキさん!おはようございます!」
「は、はい、シスターさん。おはようございます……」
「ではこれをどうぞ」
そう言ってシスターさんは水の入った木桶をばちゃんと置く。
どうやら顔を洗えと言いたいらしい。
「……ありがとうございます」
木桶に手を突っ込み、水をすくって顔を洗う。
……まったく、もう少し静かにさせてくれないものだろうか。ただでさえこっちは何がなんだか分からないんだし。
ぐしぐしと顔を洗うとシスターさんが手ぬぐいを手渡してくれた。
なんだか妙にパリパリしていたが、ありがたく使わせてもらうことにする。
「ではナヅキさん、そろそろ行きましょうか!」
「へ?」
「神様の家に!!」
……え?なんで?
思わず聞き返そうとする間も与えられずぐいぐいと手を引かれる。
「え、いや、ちょっ……」
抵抗するもののシスターさんの勢いは止まらず、私は引きずられるようにして昨日の『神様の家』まで連れていかれたのだった。
お婆さんが遠くから心配そうにこちらを見ている。助けてほしいんだけど……。
「ちょっと待っててくださいね!」
いや、ちょっと待って欲しいのはこっちなんですけど。
心の中の願いが聞き届けられるはずもなく、シスターさんは神様の家のドアを倒したかと思うとずんずん中へと入っていく。呆気に取られたまま立ち尽くしているとシスターさんは旅の道具一式を持って戻ってきた。
「よし!」
「いや、あの、よしじゃなくて……どういうおつもりですか?」
「え?ですから、ムオン様に会いに行くんですよ。では早速行きましょう!」
そう言ってシスターさんは笑顔で大量の荷物を押しつけてきたので思わず落としそうになった。
「……む、ムオン様ですか……??」
私がそう言うとシスターさんは不思議そうな顔をする。
「ナヅキさんはムオン様にお会いしたいんですよね?」
「それはまあそうなんですが……」
ああ、そういえばそういう話だったっけ?
でもムオン様がいる所は遠い神様の世界だから行けないみたいなこと言ってなかったっけ。どうなんだろう。
「で、でもシスターさんの話だと、ムオン様って神様の世界にいるんじゃありませんでしたか?」
「はい、そうですけど……?」
シスターさんはきょとんした顔をしている。
え、何言ってんのこの人……そんなの当たり前でしょ……と言わんばかりの顔だった。
「え?いや、ムオン様ってめっちゃ遠い神様の世界にいるんですよね?その神様の世界には行けないのにどうやってムオン様のところに行くんですか?」
「ナヅキさん、落ち着いてください。ムオン様はいつだって私たちを見守ってくれてるんですよ?」
「…………」
会話が出来るということと意思疎通が出来ることはまったく別のことだと思い知らされる。朝っぱらのあまり働いてない頭にこのシスターさんの言動は酷だった。
私がなんとか情報を引き出そうとしているとシスターさんは私の腕をつかんでぐいぐいと引っぱっていく。
「さあ、ナヅキさん行きましょう!」
「い、いやだからどこにですか……?」
するとシスターさんはぴたりと止まりこちらを振り返る。
「どこって……ムオン様のところにですけど……」
いや、もうこれはダメだ、意思疎通どころか会話になっていない。
「あ、あの、シスターさん……なんかこう、神様についてもっと詳しい人知ってますか?」
「なんですか!私じゃダメって言うんですか、私のどこに不満があるんですか!言ってみて下さいよ!」
シスターさんはあくまで自身の言動に問題があるとは考えてないらしい。
「い、いやそういうわけじゃないんですが……その、もっと詳しい人というか……」
「ナヅキさんはムオン様のことが知りたいんですよね?なら私が一番詳しいですよ!」
いや、それはそうなんだろうけども。でもなんか違うんだよなあ……そのあまりの不条理さに私はへなへなと崩れ落ちそうになる。
するとシスターさんは一枚の紙切れを私に見せてきた。
「もー!ナヅキさんったらニブいですねー!これですよ、これ!」
これを読め、ということらしい。
鈍いとかそういう話じゃないだろ……と思いながらも示された紙に目を落とす。
紙には神託という言葉と巫女と呼ばれている人物についての説明が書かれていた。
「あの、シスターさんこれ……」
「はい!巫女さんの神託に関する知らせです!」
「し、しんたく?」
「そうです!巫女さんという、神様からのお言葉をいただけるお方がこの世にいらっしゃるそうなんですよ!そこでぜひお話をうかがいたいと思いまして!」
「ああ!やっとわかりましたよシスターさん!その巫女さんに会ってムオン様のことを聞こうと、そういうわけですね!」
「そうですよ!もーどうしてわかってくれなかったんですかあー!」
そんなこと分かるわけないだろと思いつつ、やっと事情が把握できてきたぞ……。要するにシスターさんは巫女の神託を巡る旅に私を同行させたい、ということのようだ。
「ナヅキさん、ここだけの話ですが……私は疑っているのです」
「何をです?」
「もしかしたらこの巫女さんって人、インチキなんじゃないかって」
「え?そうなんですか?」
「……だって私ですらムオン様のお言葉なんて一度も聞いてないのに!だから会ってその嘘を暴いてやるつもりです!」
「は、はあ……」
まあシスターさんが旅に出るその動機はわかったし、私としても神様的な存在に最強パワーをお返しできるならそれに越したことはないのだが……。
このシスターさんに振り回されてばかりなのがちょっと不安になってくる。なんというか言動が無茶苦茶だし、本当に大丈夫なのだろうか……。
「さあ行きましょう!早くしないと誰かに取られてしまうかもしれませんから!」
「あ、あの……ちょ、ちょっと待ってくださいよ、も、もうちょっと考えてから決めたいっていうか……」
「んえっ!!?」
シスターさんは信じられないものを見るような目で私を見る。
「ど、どうしてですか?!」
「どうしてってあの……あなたと出会ってそんなに経ってないし、もしかして私が悪いヤツだとか、そういうの疑わないんですか?」
「悪いヤツってどんなですか……??」
シスターさんは本気で分からないといった様子できょとんとしている。
「い、いや、だからその……まあ、そのちょっと、口にするのも憚られると申しますか……」
「もしかして……私が寝ている間に……ぬっ、脱がしたりとかぁ、い、いやらしいことをするとかですか……?」
「絶対にないと断言しますけども……けど、そ、そういう男かもしれないじゃないですか」
「ひっ、ひいい!けっ、けだもの!ナヅキさんのドすけべ!」
「違いますよ!例えばの話ですよ!例えばの!しませんって!」
「い、いやあっ!近寄らないでくださいまし!ずっと私のことをそんな目で!」
「だからしませんって!絶対に!誓いますって!」
「いひぃいぃああー!!」
シスターさんは両手で顔を覆い隠しながら地面の上をのたうち回っている。
「ママー、またあのお姉ちゃんが暴れてるよー」
「あらほんと。いつも元気ねえ」
通りすがりの親子がそんなことを言いながら去っていく。どうやら村の人々には毎度のおなじみの光景らしいが私はいたたまれない気持ちになっていた。
「あ、あの、シスターさん、ごめんなさい。これから旅に出られるという時に余計なご心配を……」
「……」
土埃を巻き上げて大暴れしているシスターさんをこれ以上刺激しないよう慎重に声をかける。すると彼女はぴたりと動きを止め、指の間から私の顔を見つめてきた。
「……ナヅキさん、ムオン様に誓えますか?」
「え?」
「……ナヅキさん、私に内緒でいやらしいことをしないってムオン様に誓えますか?」
「は、はい!誓いますよ!誓いますから起き上がってください!」
思わずそう答えるとシスターさんは開いた両脚をぐるんと回転させて、そのまま逆立ちするかのように勢いよく立ち上がる。見たことのないアクロバティックな動きに周囲からぱちぱちと拍手の音が聞こえた。
「んっふっふ、ムオン様に誓っちゃいましたね~ナヅキさん。もー私のことからかっちゃ嫌ですよう!」
「は、はい、シスターさん、ごめんなさい」
はあ、もうこの人について行くしかないのかな。
行く宛ても特にないし、別にいいと言えばいいんだけど……。
(……でもあの部屋に戻ることはもう出来ないんだろうな)
しかしどうなんだろう、シスターさん。旅に出るってくらいだしやっぱり回復魔法とかが使えるんだろうか。
「……ところであの、シスターさんは回復魔法を使えたりするんでしょうか?」
「かい、ふく……?なんですかそれ?」
シスターさんは服についた汚れを払い落としながらきょとんとした顔をしている。
「……ごめんなさい、なんでもありません……」
いや、だって神託の巫女に会いに行くんですよね……?と言いかけたが、そういえばこの人に常識は通用しないのだった。私は言葉を飲み込む。
……まあね、私は最強パワーがあるし、いらないと思うけど。ただね、なんかね、心情的にね。
「ちょっと!いま私のことバカにしたでしょ!しましたよね?絶対にしたぁ!うぁぁあ!」
そうこう騒いでいる内に一人のおじいさんが私に近づいてくる。
私が軽く会釈をすると、彼はちょっと変わった仕草を続けながら話しかけてきた。
-:-:-:-:-:-
「失礼、ちょっといいかな。君はこれからどこに行くのかね?」
「え、ええと?お告げをくれるという巫女さんのところへ行こうかなって思ってました」
「なるほど……」
おじいさんは……よく見たらおじいさんという感じの年齢でもないな、
50代半ばくらいのロマンスグレーなおじさまだった。
頬の肉はそげ、目元にはやや深い皺があった。その切れ長の目にはしっかりとした知性と意思を感じる。若いころはかなりの美形だったのではなかろうか。
「お告げというとムオンのことかね」
ナイスミドルのおじさまは先ほどからよくわからない事をしている。手に持った石板を見つめ、何かを書くようにせわしなく指を動かしていた。
「ムオンじゃなくてムオン様ですぅう!この方は不信心です!」
シスターさんが大声を出すと、おじさまは石板から指を離し、ぎょっとした顔で彼女を見た。
「ああ、すみません、さっきからこうなんです。驚かれましたよね」
シスターさんにかわって謝罪するとおじさまはバツの悪そうな顔をする。
「いや、かまわない。一緒にいたのが彼女だと気が付かなかった」
「あの、シスターさんってやっぱり有名人なんですか?」
「当たり前じゃないですか!シスターですよ!唯一の!教会の!聖女の!しかも私はムオン様のご加護を授かっているんですよ!」
シスターがまた叫びだす。めちゃくちゃうるさい。私はもうどうしたらいいかわからず膝から崩れ落ちそうになる。
おじさまはそんな彼女の様子を気にも留めずじっと石板を見つめていた。
「まあ、有名人というか。印象には残りやすい人物だな。それで、ムオン……様だったな。出来ればその神託を巡る旅に私も同行させて欲しい。もちろんただとは言わない。報酬も用意しよう」
……報酬だって?
思わずシスターさんと顔を見合わせる。
「ええ?私は別に構いませんけど……何でですか?あなたは何者ですか?」
「失礼した。私はタッシャ。作家だと思ってもらってよい。新作のためのアイデアが欲しくてな。同行したい理由としてはそれくらいだ」
タッシャさんはそう言って手を差し出してきたので、私は握りつぶさないようにそっと手を添える。そんな私たちを見てシスターが横から口を挟んできた。
「えー、でもこの人おじいさんですよ。何もできなくないですか?いきなりぎっくり腰とかになったらどうするんですか?」
「しっ、シスターさん!失礼ですよ。この方っておじいさんって年齢じゃないでしょ」
私が慌てていると、タッシャさんは苦笑いを浮かべながら石板から指を離す。
「いや、彼女の懸念はもっともだ。少しくらいは道中のお役に立つところをお見せしよう」
そう言うと、彼は神様の家の中に入っていく。私とシスターも彼の後に続いた。
「ええと、ここで何を?」
「まあ、ちょっとしたことだ」
そう言うとタッシャさんは指をくるくると回した。
そして指先が光り出したかと思うと、小さな光の玉が空中に浮かび上がり、あたりが猛烈に明るくなる。
思わず目を塞ぎたくなるほどの強烈な光だった。
「ぱぎゃぁあぁあぁあ!!めっ、目がぁあぁああ!目がぁあぁああ!!」
シスターさんは両手で自分の目を抑えながら床をのたうち回っている。うるさい、私は思わず耳を塞ぐ。
「な、なんですかこれは!」
「魔法だよ」
「こ、これが?」
「ああ……何かを殺す目的には使えないが夜道や洞窟を照らすことならできる。どうだろう、これでもまだ足りないだろうか?」
「いえいえ!じ、十分すぎるほどです……ありがとうございます!」
彼は満足げにうなずく。
「そうかね。ではよろしく頼む」
「さすがシスターさんの知り合いですね!」
「彼女は私のことなど覚えてないだろうがね……」
タッシャさんは冷静に否定する。しかし、魔法が使えるってこの人は何者なんだろう。魔法使いじゃなくて作家って言ってたけど。
「そういえば、シスターさ……ん?……シスターさん?シスター?……シスターさん?」
暴れてる間に頭でも打ったのかシスターさんは白目をむいて床に転がっていた。
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