第32話 レア戦

 死闘はなおも続いていた。

 打ち出される杭の数々を躱して、痛む体に鞭を打ち強引にでも走らせる。傷はないのに、腕が、足が、腹が、胸が痛い。いくら無痛化をかけようとも、レアの正体不明な能力で傷ついた箇所が、例え癒されてもいてもヒリついて突き刺し抉るように焼けるように痛い。無痛化は効いてそれ以外の場所は痛くないのに。


 それはおねえちゃんも同じ。同時に真逆からレアに向かて走るおねえちゃんの足取りも重いものを滲ませて、速度は最初の頃より圧倒的に遅れていた。


 それでも止められない、進むしかない。そうしなければもっと痛い目に合うのは目に見えているから。


 舞うのは拷問器具だ。それら全て人を辱め苦しめることに特化した道具たち。捕まれば生半可な怪我で済まないし、その上、簡単には殺してくれない。

 間違いなく、すり削るように、徐々に徐々に危害を与えるのは間違いはない。それは、先ほどから投擲される拷問器具が、わたし達の急所を避けてあえて最もダメージが少ない部位に向けられて放たれている事実を示している。


 あの椅子や十字、木馬、縄など、あれらに捕まった時の結果は推測しかないけれども、拷問具から連想される想像はそういうものだった。

 それにレアから受けた謎の消えない痛みの傷。これは、レアの攻撃を受けたわたしとおねえちゃんへしか受けていない。ミカエちゃんは今のところ何の変化もなく、鎖を振るっていて動作にも違和感は無かった。


 だから、例えかすり傷程度でも一撃たりともレアからの攻撃を受けることはわたし達には今のところ許されていない。結果の予測が最悪なものである以上、それらは忌避すべき事象だろう。


 だから、避けて躱し、大剣を振るってレアの拷問器具のことごとくを破壊する。

 

 レアの操る拷問器具は、宙を舞い渦を巻く無数の器具の台風の目のごとく。その中心で、彼女はただ静かに邪悪な笑みを浮かべてこちらを見ているだけだ。

 哄笑して、イカレタ視線が重圧となってわたし達を刺す。


 今や、わたしとおねえちゃんの枷となっているのは残留する痛みに収まらず、レア自体の圧力も加わって二人の動きを鈍らせていた。


 ただ、唯一救いなのは、ミカエちゃんがロプちゃんがやられてから感情に歯止めが効かなくなったのか、力の駆動量の自身の上限を遥かに上げて、舞う鎖で容易くレアの拷問器具を破壊しつくしている。唯一そこはこの戦場においてそれが救いであるが……。

 

「こんのっ」


 おねえちゃんが大きく大剣を振り下ろすと、斬り飛ばされ、粉砕される拷問器具。


 砕けた木材が飛び散って、それを突き抜けて更に振ってきた鉈を弾き斬り落とすと、それは光を放ち露と消失する。


 問題として、数百に匹敵する拷問器具は軽々と破壊しつくしているのだが、死闘が再開してから未だにレアへ一撃も仕掛けられていない。別にレアからの攻撃が激しく懐にもぐりこめないという訳ではない。


 むしろ、現在。数百を超えていた拷問器具は破壊しつくし、その数を着実にゼロへと近づけていた。

 新たに召喚される器具もあるが、遊んでいるのか、それとも数に限りがあり出し惜しみをしているのか分からない。ゆっくりであるが、徐々に徐々に戦況は逆転し始めているのは間違いは無かった。

 だから三人で協力して攻め込めば、容易くレアへ直接切り込める状況ではあるが、そうすることがわたし達はできないでいた。


 それは何ゆえか。

 ただ一つ、不確定要素ではあるが、忌避する条件があったからに他ならない。

 

 レアから受けた謎の能力。それは先に述べた通り傷を治しても痛みは残留するおぞましいものであるが、それが発動した状況を思い返せば、能力の発動条件に、一度レア自身が攻撃を受けるというものがあってもおかしくはなかった。

 なにせ、ミカエちゃんがレアに攻撃を与えた瞬間に発動して、それからわたしを襲ったものは、レアがミカエちゃんから受けた鎖の傷そのものだったのだから。

 

 だからすぐにわたし達は察することができた。

 レアの力は自分の受けた傷をそのまま別の誰かへと同じように与えることではないかと。

 それも、痛みが消えないという呪いのおまけ付きで。


 そう断定したがゆえに、わたしとおねえちゃんが既にレアから攻撃を一度受けている以上、攻撃は跳ね返ってくる。そう思ってレアへ直接攻撃することができずにいた。


 とはいえこのままこうしていてもジリ貧だ。

 現状、レアの力の底は見えない。


 今のわたしの推測だって、レアがただ遊んでいただけで、実際はそんな縛りはないかもしれない。もしかしたら、レアが今の状況に飽きて、今すぐにでも容易くどうとでもできてしまうかもしれない。


 だから長期戦は愚策ではある。

いま何もレアが仕掛けて来ないのであれば、なにか仕掛けてくる前に手を打つ方が得策なのだろう。


 だけど、もし本当にわたしの推測が正しいのならば、どうすれば……。


「あはははははっ――」


 新たに現れた、わたしの身長ほど巨大なギロチンの刃が、悪魔の咆哮と共に真っすぐわたしへ向かって投擲される。


 それ自体は別に脅威ではない。


「っ――!?」


 恐ろしくはあるものの、ただ真っすぐ、単調ゆえに容易く躱すことができて、ギロチンの刃は地面のレンガを幾つかめくり砕き、わたしの後ろへと刺さり落ちた。

 その結果から相当な重さと威力だということは理解できるが、そもそも急所を狙っていない時点でさほど脅威ではない。

 今のも例え当たっていたとしても、たかだか肩口か腕が少し抉れる程度であろう。

 その程度の怪我なら、カレンの時に散々というほど刻まれていたし、今となってはかすり傷程度にしか思えない。


 ただ、わたしが驚いたのはその精密さにあった。

 あれ程の巨体。普通に放てば胴は真っ二つに裂けるように飛ばすことなぞ造作もないことだろうに。レアはあえて、またしても急所を外してきたのだ。

 それも受ける損害は最小限になるように。

 わたしが傷つきその痛みに苦しむのを見たいのか、それとも何かほかに理由があるのかわからないが。致命傷を負わせないという一点においては徹底している。


 やっぱり、ただ楽しんでるだけで、わたし達なんかいつでも殺せるということなのだろうか……。


 だとしたら、やっぱりこのまま何もしない訳にはいかない。

 なんとしてでも、この状況をどうにかしなければ。



「ミカエちゃんっ!! レアの動きを止められる?」

「できますけど、どうするのですか、リア」

「攻撃ができないのなら、眠らせるまでだよっ」


 何か外傷を与えればそれら全てがわたし達へと跳ね返ってくる可能性がある以上、攻撃はできない。

 なら、肉体的に直接排除はできなくとも、精神的に負荷を負わせてレアを止めれば良いこと。


「そんなことが?」

「わたしとおねえちゃんの意志力をぶつければできるかもしれない」


 レアから感じる重くドロリとした殺気の念。それは紛れもないレアの力。つまり意志(精神力)で、それは、カレンが教会に初めて訪ねてきた時に既に体験している。

 あれはただの殺気なのではない。放つだけで周りを自分の領域へと変えるもの。意志を渇望を、その奔流を、言わば覇道として、周囲に垂れ流して自分の領域を作り出すものに他ならない。

 あれは放つ者の決意などの意志が強ければ強いほど、覇道の領域内に存在するものに何らかの影響を与える。

 ある種、自身の渇望を法則として世界に書き加えて、強制的にそれに世界を従わせるような異業である。

 精神力が弱い人が飲まれれば、それだけで死ぬかもしれない代物で、わたし達がそれを受けてこうして立っているのはそれだけ、レアの圧力(法則)に耐えれる精神を持ち合わせている訳であるが……。


 正直、たった一人のただの意志の力だけで、周囲へと法則という秩序を及ぼす精神力は並外れたものではある。

 そもそものところ、常人には不可能という前提を差し置いても、レアが放つ禍々しい覇道の念はわたし達の常識を逸脱していている。多少あのことから成長しているとはいえ、カレンから受けた気絶しかけるほどの念よりも数十倍もの念が向けられているのが事実だ。


 正直、今こうして目の前に立っているだけでも、痛みに苦しみそれを願い狂う、というぶっ飛んだ法則(感情)に押しつぶされそうになり、体に残留する痛みが増しそうになる。


 状況結果として、それだけの物を跳ね返し、それどころかレアへダメージとなるものをわたしとおねえちゃんで放たなければいけないけれど。



「やるしかない」

「分かりました。いきますっ」


 ミカエちゃんは頷いて、十本の鎖がうねり全てレアへと真っすぐ飛び出す。


「おねえちゃんっ!!」


 おねえちゃんへ叫び伝えて、わたしも鎖を追うようにレアへと駆けだす。


 わたしとおねえちゃんは夢で通じている以上、思考の共有はできている。だから考えの説明をする必要はなく、おねえちゃんも阿吽の呼吸でレアへと駆けだした。


「任せましたよ」


 うねる鎖は数本が束から離れて、妨害するレアの拷問器具のことごとくを破壊して、わたしとおねえちゃんの露払いをする。

 


「あはっ、いいですわ。きて――」


「っ!?」


 正面。おねえちゃんと合流し並び、真っ向立ち向かうわたし達へ、狙いを悟ったのかレアの圧力が強くなる。


 放たれた念を受けるだけで、わたし達の感じる痛みが共鳴して強くなる。 

 軋む体に鞭を振るい、強引に動かして突き進む。


「とった」

「へえ」


 そうして、ミカエちゃんの鎖がわたしとおねえちゃんよりレアへと一足先にたどり着き、巻きついて、なんの抵抗もなく拘束をする。


「おねえちゃんっ」

「ええっ」


 大剣を二人同時に振りかぶる。

 放つ斬撃は直接レアを切り裂くものではない。


 あくまでも斬撃に感情を載せて、その意志を打ち砕き貫く感情の術法。斬撃破による覇道の射である。


 そして載せる想いは――


「はあああああああああああっ!!」

「やあああああああああああっ!!」




「へぇ」


 死戦場を見下すカレンが、思わず歓喜に満ちた声を漏らしていた。

 それに気づいたフレデリカが視線だけを一瞬向けて、結果を確認し悟り、瞳を閉じて一間おいて静かに見開くと、感想を語った。


「――バカみたい。案外、あっけない物だったわね。

 まあ、分かり切っていたことだと言えばそうだけど、今回の敗因は苦痛に酔いすぎた。ってところかしら?

 もう少しレアがまともなら、こんな結果にはならなかったとは思うけど……」

「どうでしょうね。シラフのレアには確かに遊びはない。けど、悪魔は元より人の苦しみを食らって楽しむ存在よ。例えシラフでも、そこは変わらず遊んだんじゃない?

 だから展開は変わらない」


 人の苦しみという負の要素を食らって生きるのが悪魔というのなら、なるほど。悪魔と形容できるレアは、確かに痛みに酔っていなくとも、ただ相手に痛みを与え、その苦痛を自分の快楽として喜ぶのであれば、結果として行動は変わらなかったのかもしれない。


 なら、この展開は必然であったというべきか。

 否、そうではない。


 フレデリカは、おかしくてたまらず、無意識に口元を横に微かに引いていた。


「バカみたい」

「そうでもないわ」


 レアを哀れに想いあざ笑ったフレデリカだが、カレンはまったく違った感想を持っていたようで、フレデリカの結論を否定した。


「例え展開は変わらないとして、結果は違っていたかもしれない。

 見ての通り、あの子たち未熟でしょう? 

 あれがもっとダメだったらより面倒な結果を招く事態になっていたし。逆にもっとまともなら面倒を招いていなかったかもしれない。

 まあ、結局、半端が今の状況だから。一番最悪なケースを引き当てたといえばそうだけど。

 そういうことだから、レアはわざわざ負けに出たという訳ではない。そこをバカにするのは意地悪が過ぎると思うわ」


 そう告げられても、フレデリカはレアをバカに見る気持ちは変わらなかった。

 それは、自分以外全てを愚弄しているフレデリカとしては変わらずいつも通りのことだ。というより、レアの戦闘の展開がどうとか、リア達がどう試練へ立ち向かっているのかなど。そんな細かなこと、ハッキリ言って、自分たちにとっては下らない茶番でしかないと理解しているからに過ぎない。


 元より、自分らは敗北を前提に試練へ望んでいる。その時点で、その内容がどうとかなど一かけらも意味もなさない。


 試練は自分たちの願いを叶えるために行う。それが前提としての絶対条件だ。

 なのに、負ければ死んで、願いは果たされない。その願いを叶える段階で、敗北が必要という絶対的な矛盾を孕んでいるのがこれだ。 

 だから、そんなことへ身を投じる自身を含めレアらをバカだと言わずなんだというのだ。


 ゆえにバカにして見下す。自分はそんな失態はせず願いを叶えると信じてやまない。

 

「バカみたい」


 呟いて、黄金の輝きがフレデリカの手に集まり、巨体な両刃の斧が顕現して小さな童女の手に握られる。


「カレン」


 お前も早く準備しろと促すフレデリカ。これから起きるメンドウに、こんなことは早く終わらせようと、カレンよりも早く身構える。

 だが、急かすフレデリカにカレンは柳に風と受け流して、微動だにせず戦いの様子を見下ろす。


「焦る必要はないわ。どうせカレン達から手は出せないのだから」


 不敵に笑い、不気味に吹き荒れ始めた風に髪とドレスをなびかせながら、この戦いの結末を彼女は見届ける。




 裂帛の気合と共に、振り下ろされ二対の大剣から放たれた想いの斬撃破は、レアの圧力を割りながら飛んだ。


 その力は、明らかにわたしとおねえちゃんの精神力がレアの放つ念を超えていることを意味していて、放たれた衝撃は真っすぐ鎖に繋がれているレアへ直撃するかと思った。


「あははっ」


 瞬間、世界がレアを中心に爆発する。笑い目を見開いて放たれた狂気の念は、わたしとおねえちゃんの斬撃を、感情の波という念の爆圧となってかき消す。


「くっ」

「きゃあっ」


 それどころか、その衝撃は凄まじく、レアを中心に地面を陥没させて周囲を圧殺し、その衝撃にわたしとおねえちゃんは吹き飛ばされた。


「っ、いっ……」

「ああっ――!!」


 放たれた覇道の念は、周囲の法則を加速的に上書きし、今この場において世界の秩序としての力を強めていく。

 その念の真髄は、痛みを強く。より鋭利に荒々しく。という忌々しいものである。

 よって、直撃し、無抵抗なまま浴びた、わたしとおねえちゃんの残留する痛みは強くなり、激痛となって襲い掛かる。


 その痛みは、もはや表現のしようがないほどに凄まじく、わたしとおねえちゃんは爆発の衝撃に吹き飛ばされて着地もできずにその場に転がることとなった。


「リアっ、ミカエ!」

「ははっ――何それ。……あぁ、ねえ。イタイ、キモチイ? つらい? こわい?」


 ミカエちゃんの鎖は衝撃によりゆるんだが、狂うレアの次の行動を許さまいと鎖を引いてレアを拘束し直す。

 


「あはははっ、あはははは―――!」


 だが、そんなことを気にも留めず体くの字に曲げて、レアは何か糸が切れたように、今まで抑えた何かを解放するかのようにして、不気味に笑い狂い始めた。


「あははははははははははははははっ!!」


 上がる哄笑は、異界に共鳴し瘴気とその覇道念をだんだんと強くして、同時にわたしとおねえちゃんの激痛は更に痛みを上げていった。


「あっ……くっ……」 


 広がる。広がる。広がる。

 ただ、苦痛と恐怖の法則が。

 レアが笑い、それだけで圧力を受けた世界が軋みを上げていく。


 大気が渦を巻き、そして共鳴した世界に亀裂が走る。


「これは……」


 レアを中心に、蜘蛛の巣状に走った赤い血のような亀裂が地面へと走り、それが広場全体を覆うほどの一つの巨大な法陣のような形を取っていく。


「あぁ……。きてぇ、我(ワタクシ)にあの方を……」


 鎖に繋がれ空を見上げ、天に懇願し祈るようなレアの姿は、処刑台に立ち神に願うみたいで、それは奇跡を願うお姫様のようで。

 目の前で起きる舞台の中心のレアに、わたしは、こんなものが素敵だと思ってしまった。


 同時。

 起きたのは断罪される罪人を救う奇跡か。

 いいや、違う……。


 それは奇跡というよりは悪夢だった。


「なにがっ」


 轟く地響きと共に世界が軋みを上げる。これは最初の試練が起きた時と同じ、大地震で。


「ぁ―――」


 守護(マリア)が消える……。

 そう思ったわたしは痛む体で動けず、視線のみをレアと街の外へと向けるが、マリアは依然として残ったままだった。


 だけど、この地震は……。


「あはははははははっ」


 再び歓喜に満ち溢れたレアの哄笑が響き渡った。

 地震の振動に共鳴するかのように、狂いに狂って、そうして、事象は次の瞬間に起こった。


 血の方陣は赤く光輝き、何かが起きていた。


「きてぇ、痛いの、苦しいの、あぁ――」



 方陣の中心に地面に黒い渦が浮かび、レアの体がそこから飛び出た無数の黒い腕に握られひしゃけて渦の中に飲み込まれる。


 なに、これ……。

 理解ができなかった。意味が分からなかった。


「アッハッハッハ―――」


 ゴリゴリっと人の体からなってはいけない骨が砕ける音と、肉の潰れる不快な光景を見せて笑いながら、レアは哄笑し神にでも祈るようにしながらその腕に地面へと引かれていく。


「くっ―――!?」


 そして、同時にレアに絡まっていた鎖ごとレアを握った腕に、ミカエちゃんが鎖ごと引かれる。


「放して、くれないのですねっ」


 ジリジリ、ジリジリと、靴が煙を上げて段々とミカエちゃんが引かれていく。


「貴様はこちらに来るべきよ……。あはははっ――」


 訳の分からないことを言い残し、狂った笑い声を上げたレアは対には腕に完全に覆われて、最後には見えなくなる。

 それでもなお、ミカエちゃんが引かれている状況は変わらない。


 このままじゃ……。


「っ……」


 動けない。

 どうも鎖を切り離すこともできなければ、消すこともできないようなミカエちゃんを助けに行こうと思うも、激痛は大きくなるのみで、動けやしない。


 同じように倒れているおねえちゃんを見るも、同じく動けないでいた。


 このままじゃミカエちゃんが……。


 そうこう考えている間にも、ミカエちゃんは引かれて渦へと飲み込まれていく。

 既に、レアを飲み込んだ腕は渦の中へ姿を消して、それとは異なる無数の真っ黒な腕が渦から出て鎖を引いていた。


「っく、流石に、これはキツイですね……」

「み、かえ……ちゃ……」


 半分ほど引かれて、ついにわたしとミカエちゃんがすれ違う。

 そして、わたしを見て微笑むのだ。


 その笑顔は、なんだか寂しくて、笑っているけど、とてもそうとは思えなくて。


 すぐに何をミカエちゃんが考えているか分かった。


「―――」


 待って。


 そう言おうとするも声が出せない。

 ミカエちゃんが鎖を引く力が緩む。


 待って、だめ……。

 きっとミカエちゃんが今抗わず、飲み込まれれればレアを引き戻すこともなくこの試練は終わるかもしれない。

 でも、それはミカエちゃんも一緒に犠牲になることで……。


「だ、め……」


 激痛に耐えながら伸ばした手は届かない。

 ダメ。


 ミカエちゃんの体が力なく引かれようとした。

 その時――


「ミカエエエエエエエッ―――!!」

 

 渦を覆いつくすほどの巨大な氷が天から落下した。


 渦から溢れ出てくる無数の青黒い血の色が引いた腕は氷に押しつぶされて、一時的にミカエちゃんを引く力を弱める。同時に、氷の鎌が回転しながら飛来して、鎖を切断し、ミカエちゃんがその場に倒れた。


「っ……ロプちゃん……」


 痛みが消えて、振り替えって事象を起こした者を見ればそこにはロプちゃんが立っていた。

 彼女は吹き飛んで行った氷の鎌を再び自身の元へ顕現させて、凄く怒ったような形相でミカエちゃんを睨むと、ズガズガ歩み寄って来る。


 そうして、尻もちをついているミカエちゃんの前へくると――。


「よかった……」

「ミカエ……?」


 鳴きながら抱き着いた。



「フフッ――そんなことをしている暇はなくてよ」


 二人の感動の場面に見入っている暇もない。どこからか聞こえたカレンの声と共に、渦と腕を潰していた氷は、渦から溢れた無数の腕によって掴まれて、渦の中へと引きずり込まれる。


 それだけではない、穴から伸びる腕は更に数と長さを上げて、大樹のように天へと伸びると街の至る所へと、その手を伸ばし始めた。


「な、に、あれ……」


 伸びた腕は街の中から何か掴むと、それを回収するかのように穴へと戻っていく。


「人……」


 おねえちゃんの言葉に、見えているモノがなんなのか察した。

 掴まれ、闇へと引き込まれているのは人だ。街の人だったものの残骸。それを腕は掴み飲み込んでいく。

 それが無差別に伸びて街を破壊する。


「なんなの、これ……ミカエちゃん、ロプちゃんっ!」


 伸びる腕の大樹は無数に広がって街から死体を回収それは禍々しいく、現実なのかと疑いたくなるあくむだった。それが、ついにはわたし達へ牙を向いて来た。抱き合うミカエとロプちゃんへ掴み引きずり込もうと伸びる腕。


 あの腕に掴まれれば、人の体など簡単に潰れて否応なしに飲み込まれてしまう。


 助けなきゃ。そう思い大剣を顕現させたところで、彼女達は降り落ちてきた。


「あ~あ、これどう収拾つけるのよ」

「バカみたい」

 

 ミカエちゃんとロプちゃんを襲い掴もうとする手を踏みつぶすように、カレンと、フレデリカが落下してきたのだった。


 彼女たちは各々、鎌と大斧を握って、次いで襲い掛かってきた腕を同時に獲物を振るい両断すると、斬られた腕は炭かカスと消えて塵も残さず粉砕した。


「なぜ……」


 目の前で守るように立つ二人に、ミカエちゃんが不思議に思い問う。

 それはわたしも、いやここにいるわたし達全員が思った、敵である、カレンとフレデリカがなぜ? と。


「まあ、試練は超えているからこれぐらいサービスということでどうかしら?」


 それは、この場において彼女たちは”敵”ではなく、味方ということなのだろうか……?


「バカみたい。勘違いしないでよ。お前達はあくまでもあたし達の玩具に変わりはない。

 で? カレン。これ、何ていう悪魔なの?」

「さあ? そもそも、半端に生まれているのだから悪魔とすら言えないでしょう。

 それに、お呼びでない配役なのだから。名などない」

「まったく。レアも面倒なモノを残していったものねぇ」


 再び襲い掛かって来た腕を斬り落とし、二人は訳の分からないやり取りをしている。


 けれど、ただ分かるのは。二人が今この場で敵ではないということだった。

 理由は不明だが、レアが召喚したこの訳の分からないモノを排除しようとしているのは明確で、彼女たちにとっても都合が悪いモノだということだ。

 なら、まずは現れた二人に対して警戒する必要はなく、ミカエちゃんとロプちゃんを守ってくれている以上、その二人の心配もする必要はないだろう。


 であれば、自分はどうすべきか。


「いつまで寝ているの? 邪魔なのだけど」


 カレンに言われるまでもない。


 アイコンタクトを交わして、レアが消えたことで痛みの呪縛は解け、無痛と化し、起き上がったわたしとおねえちゃんは大剣を構えて、襲ってきた正体不明な手を斬り落とした。

 

「へえ、バカみたい。アレとやる気? それは構わないけど、邪魔だけはしないでね」

「とは言え、実際問題。これ、どう収拾つけるのかしらねぇ」


 穴から噴き出す腕は無尽蔵だった。襲い掛かってくるものを斬り落とすもすぐにほかの腕が襲い掛かってくる。

 それだけに収まらず、街から人を回収するそれは収まらず、ついには街の建物の破片すら掴み穴へ引き込み始めていたのだ。

 これでは、時間をかければかけるほど、街が破壊されてしまう。


 なにより、極めつけなのがカレンとフレデリカですら、この腕に対してなにか対抗策があるというわけで内容で、むしろ相性が悪く現状できるのがわたし達を庇いながら、腕を斬り落とすということだけであった。


 明らかにわたし達が足を引っ張っている。

 いっそのこと、みんなでこの場を引いた方が……。


 だめ、それじゃあ街はどうなる。

 カレンとフレデリカはあくまでもこの腕に対して、敵対しているだけに過ぎない。

 この二人は根っこのところは敵であり、最初の試練で街の被害など一切関係ないということは分かり切っているではないか。

 なら、わたし達だけ逃げて二人に任せることはできない。最悪、街ごとこの腕で屠るということだってありえなくないのだから。

 そんなことは絶対にさせたくない。ありえないし、ダメだ。


 だから、実状として味方の体をなしているが、結局のところ相容れない敵なのかもしれない。それを忌避する以上離れられない。なにかこの二人が不審な動きをすれば止めらなければいけないから……。

 

「きゃあ!?」


 吹き出る腕が集中的にわたしを襲う。それにわたしは反応はできるものの、数が多く対処しきれなくて。


「リアっ!」


 おねえちゃんの叫ぶ声が聞こえた。わたしは腕に捕まりそうになって――


「っ――」


 捕まる!? そう思ったその時だった。


 響いた銃声と共に、わたしを覆い、手足を掴もうとした腕全てに幾つもの穴が開いて、塵と消えた。


 今のはいったい……。


「あら、アナタも来たの? クリア」


 向かい側の建物の上。わたしを助けた彼女はそこにいた。

 クリア――そう呼ばれたメイドは、高貴かつ楚々、隙というのを一切見えず、完璧を模倣した佇まいで、回転式自動拳銃(リボルバー)を右手で握りこちらに向け屋根の上に立っていた。


「あ、ありがと……」

「別に、礼を言われる覚えはありません」


 思わずお礼を言ってしまったが、艶やかな透き通った声音で、感情というモノが一切見えない凄くそっけない返事が返ってくる。

 人形よりも人形めいて、更にクリアと呼ばれた彼女は、飄々(ひょうひょう)とした態度のまま更に数発引き金を引く。


 全弾打ち終えて、カレンとフレデリカの前にいた手を撃ち落とす。そして、まるで主人に紅茶を用意するような、いつも通りと言わんばかりの、何気ない丁寧な動作で弾倉を開くと、薬莢を落として、スカートから弾を取り出して素早く装填する。そうして再び溢れる手に回転式自動拳銃(リボルバー)を向けた。


 ここに、敵味方関わらず、試練に関わる力を持つものが全て集まった。

 これなら、これならば、この謎の手の塊をどうにかできるかもしれない。


 そう思った。

 けど――次の瞬間には全員が束になって戦えばどうにかなるとか、危険な手のこととか、どうでもよくなった。


 何故なら、わたしはもっとどうしようもない者を見てしまったから……。


「クリア、アナタがいるということは、もしかして……」

「はい」


 相変わらず、よくわからない会話の後すぐ、問おうとしたわたし達は絶句した。


「随分と盛り上がっているようじゃない」


 いつから。

 いや、それよりも。


 渦から溢れる手の大樹の根元に立って片手を触れると、一緒にしてそれは泥となって露となり消失した。

 本当に、何もかもいきなりのことだった。

 当人が現れたのも、無数の手が消失するのも。

 

 地面にぽっかりと開いていた穴が徐々に小さくなっていき、周りに広がっていた法陣も光を失い薄れ消え去っていく。


 何が起きたんだろうか、何が……。


「―――」


 そして、そのすべての事象を起こしたであろう彼女を直視した瞬間、わたしは言葉を失った。


 そこにいるお姫様は高貴かつ端麗だった。

 美しいその存在には絶対に傷などつけられないと錯覚するほどに神々しく、それでいて禍々しいのだ。透き通るような薄い肌に、黒の薔薇の髪留めを止めた煌びやかな銀髪。纏うドレスは漆黒で、それが煌びやかの中に悪なる存在ということを知らしめていた。

 整った顔立ちは薄っすらと伺える不敵な笑みを孕み、それに豪胆さが宿っており、この世のなにもかもを嘲笑って、傲慢にも全ては自分のモノだと言っているようだった。


 彼女の金の右目が明滅するかのように、力を持ってわたしのことを見下している。


 魔王。そう表現するしかないと悟り、同時に言葉にすることすらおぞましかった。

 それを言ってしまえば彼女の気に触れて、殺されるのではないかと思い。何もしゃべれなければ身動き一つ取れなかった。

 あれと、まともに戦っても勝つことなど不可能。例え勇者に至ろうともここにいる、すべての存在を遥かに凌駕している姫であり魔王だと。

 それは、わたしだけにとどまらない。みんな一緒だ。

 おねえちゃんも、ミカエちゃんも、ロプちゃんも。わたし達四人は、突如現れた目の前の彼女の覇気に当てられただけで、呼吸すらままならなかった。


 本物のお姫様というのはこういうものか……。

 ただそこにいるだけで、その気品と高貴さだけで、魔王と形容できるほどに、この悪夢の世界を一瞬にして彼女は自分の世界として飲み込んでいた。


「あら、お嬢様。降りてきちゃったの」

「私の人形劇にあのようなゴミは乱入者は必要ない。お前たちが不甲斐ないから降りてきた。悪いか」


 指先一つ、視線一つ。吐息に至るまでそれは王の所業だ。目の前に立っているだけでもこうして支配されてしまうのに、声など聞いてしまえば即彼女の存在に飲まれてひれ伏すだろう。

 

 事実、張り詰めた空気をわたし達の間だけ漂わせて、憧れと恐怖に縛られていたし。なにより、わたしが相手は敵だと直感的に理解していても、命を出されれば忠実に聞いてしまう予感さえある。

 いいや、予感なんかじゃない。

 きっと言われればわたしは彼女の言うことを訊くだろう。

 弛緩した空気。張り詰め、圧力に負けたわたしはそうする。


 だから、まともにまるで友人と会話するかのようにしているカレン達が異常なのだ。


 わたし達ではあの魔王とは、視線すら合わすことも恐れ多いと、刷り込まれているのに……。


「バカみたい。王は王らしく玉座にふんぞり返ってなさいな」

「なに、そうすねなくてもいいだろう? 悔しかったらもう少し手際よくしろよ」

「………」

「それよりお嬢様。せっかく降りてきたのだから、この子たちに何か言って上げてもいいのではなくて?」

「無論、最初からそのつもりだ」


 お姫様がわたしの方へ向く。

 それだけ、死に風が抜けて、縛られ身動き一つ取れない感覚に襲われる。


「まずは第二試練の踏破おめでとう。そして、よくもレアを殺してくれたな。

 ああ、自滅だったか。まあ、そんなものどちらでもいい。事実、お前たちに敗北したというのは変わらないのだから。

 ゆえに私は今怒っている。大切な友人が殺されたのだから。許せない、認められない。だが、同時に認めよう。おめでとう。そして、絶望しろと」



 放たれた言葉は力ずよく、向けられるだけで意識が揺らぐ。

 けれど、そんな揺らいだ意識を弾いて戻す現象が天に起きる。


「城……」


 無意識にも呟いていた。

 天を覆う真っ赤な巨大な月、その中央から真っ黒な城がバリバリと世界を突き破り、赤い稲妻を走らせて、浮遊する大陸のように巨大な黒い城が現れた。


「これより先はあそこから私は見下ろしている。ああ、別に試練を受けずに射ちに来ても構わんよ。それができるのならね」


 そう言い残すと、彼女の姿は薄れゆく。

 それは、カレンやフレデリカも同じ。彼女ら全員は、姿薄れゆき、残さず消える。

 

 真っ赤な月と、それに染まる真っ赤な夜を残して。


 





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