第15話

「ここは……」


 気づけばそこはいつもの街の中だった。広くレンガ造りの街通りはいつもとなんら変わらない。夕日の淡い柑橘色の光に照らされて、街全体が赤く燃えているように見える。左右の民家もよく知っているもので、ごくごく普通の街の姿だった。

 けれど、その広々と殺風景といっていい街景色の中、一人ぽつんと道端のど真ん中に立っていたロプトルは恐怖する。


 ここはいつも居る街とは違う。何故なら、何もないから……。遊びから家へ帰宅する子供たちの姿や、夕食の買い出しをする夫人すらいなければ、そもそも普段は道に両端いっぱいに並んでいる露店の一つも立っていない。街のこんな虚無な姿を見たのは初めてだ。


 同じ街の形をしているけれども、ここは有り体に言って異界である。自分が知っている街に似ているけどそうではない、そのことを理解してしまったがために、普段の風景が異常に思え、なおのこと恐怖したのだった。

 別にロプトルは怖がりかと聞かれればそうではない。どちらかといえば怖いもの知らずな性格で、自分よりも大きな大人にも難癖をつけることだってあるし、ギニョールを前にしても立ち向かっていく度胸だって持ち合わせている。

 だが、あくまでも脅威と奇妙というのは別物であり、この時ロプトルが抱いていたのは脅威という感覚ではなく奇妙という感覚であった。度胸は十分、けれども、精神へ負荷を駆けるような、こうした常識を脱した非日常への耐性は皆無と言ってもいい。大抵こういう時はまともな判断がつかなくなって、泣きそうな程に周りすべてが恐ろしくなる。


「どうしてこんな所に……。ミカエ! リア!」


 怖くて一緒にカレンの試練を受けたはずである二人を大声で呼ぶも、帰ってきたのは誰もいない街からのこだまだけだった。

 真空のような寂しさに響く自分の声が、よけにここにいるのは自分だけということを示して、それがより恐怖心を煽り気持ちが焦り始める。


「ミカエ! リア!」



 そうして。

 怖くて走り出して叫ぶも、返事はかえらず駆け進む先は無限に綱らなる虚無の街路で、進めど進めど景色も変わらなければ人っ子一人居やしない。

 二人ともどこ? ねえ、なんでアタシだけこんなところにいるの?

 必死に走っても、依然として街並みは変わらない、それはまるでこの道がループし続けているようで、アタシは同じところをずっと回っている。そう自覚していたけれど、怖くてその怖さを紛らわせるために走り続け、そうしてついに疲れ切って足を止めた。


「はあはあ……。なんで、なんで同じところに出るの? どこなのここは……っ!?」


 膝に手を当て息を整えていた時だった、不意に人の気配がしてとっさに下げていた顔を振り上げた。


「だれ……?」


 振り上げて見た先、街路の中心に居たのは小さな子供だった。

 それも女の子、癖のある銀髪で小さなサイドテールに教会の制服姿、その女の子はロプトルに背を向けしゃがんでうずくまっていた。


 震える声色で問いかけられた声に気づいたのか、その子は立ち上がった。


「どうしたの?」


 立ち上がったけれども、そこからこちらを見ようとはしない。声をかけても一向に振り向こうとはせず、ただそこに居るナニカとして佇んでいる。その様子は人とは形容できないほど異常なほどで、生きた人形が雑に置いてあるとも言ってもいい。前に立てば認識されるし、同じくこれ以上声をかければ認識される。絶対に気づかれたくないとロプトルは思って、夕日を背にして伸びる影がその不気味さを演出するのを見て、思わず一歩後ずさった。

 一歩後ずされば、あとはもう二歩三歩となし崩しだ。動き出した足は止まらず振り返り、できる限り子供から離れようと来た道を引き返す形で猛ダッシュしていた。


 何あの子、やばい絶対にヤバい。直感的にそう危機を感じて走って逃げるも、依然として同じ景色が続き続けるのは変わらず距離を放したという感覚がしない。


 いや違う、実際に離れてなどいないのだ。


「えっ!?」


 駆けた先に、再びあの子供の姿が見えた途端、ロプトルは足を止めた。

 なんでどうしてと思考を回転させるも理解は追いつかず、疲れて膝を折り再び膝の上に手を当て息を整える。距離は明らかに百メートル以上は放しているのに関わらず。


「どうして、どうして居るの?」


 はるか先、見通しの良い道だからこそ遠くから気づけた、先ほどのあの女の子が”また”後ろを向いて立っている。

 ただの置物のように、そこに置いて居るのだ。


 道がやっぱり繰り返している? そんなはずがない。そうであればまっすぐ進んだロプトルは一周して逆方向からこの道に現れるだろう。だとしたならば、当然子供の正面へ出るはずだ。そうではないならば、単純に行き止まりがあって、そこから先に進んだら跳ね返って来た? というのは考えづらい、どこか町の継接ぎがあればそもそもいつも見ている街だから気づく筈であり、戻って居るのであれば、夕日の方向で気づくはず。最初は日に向かって進んでいたが逃げるときはその逆、日に背を向けて走ってきた。それは今も変わらない。太陽が背にあって、前に影が伸びているなら、考えられる理由はもうこれしかない。


「あの子がアタシを追いかけてる?」


 風景は変わらず無限の街路。そこで明らかに標的になっているのは自分。

 そう思って確認しようと顔を上げ、ロプトルの恐ろしさが最高潮へ達する。


「――わっ」


 思わず後ろに退けて尻もちをついた。


「な、なんで……」


 顔を上げると居たのだ。前に、目前に。

 さっきまでは、数十メートルは先に居たのに、顔を上げればほぼ目の前に数歩けば手が届く場所で最初と同じロプトルに背を向けて居る。

 見上げる女の子は無論のこと反応がなければこちらを見ようとすらしない。そこにいて、やはり置物のように。正面をただ向いている。

 なんで、どうして……。


 そんな疑問を浮かべるが、いまだ反応すらなければそれが怖くて女の子の前に行き顔を見ようとすらできない。

 怖い、理解できない、気味が悪い、なんでなんでなんで。そう思考が疑問という疑問に埋め尽くされて混乱した時、ついに女の子から声が発せられる。


「アハハ! 怖い? 恐ろしい? そう? それでいいんだよ、だってわたしがいるとみんなそう思うから(・・・)。アハハ――!」

「――っ⁉ あああああああああっ―――!」


 甲高い声色で唐突に告げられた言葉は、何を言っているか理解できない。そう、それが常人の考えであろう。であるはずなのに、何を言っているのかアタシなら理解できるとそうロプトルは感じて、同時に忌避し激烈な咆哮とともに再び逃げ出した。

 理解ができず、なに者なのかと理解してしまって。

 怖くて戻りたくなくて、逃げたくて、再び来た道を脱走する。


 けれど――。


「どうして、なんで!」


 目の前に再び現れたあちら側を向く女の子に、恐怖すら遠のいて苛立ちすら覚えた。だって、だってそんなはずはないのだとありえない現象がある。

 

 走った先にまたあの子は居る。


「なんなの!? なんでアタシに纏わりつくの!?」


 理由付けができない、だってお前はアタシの……。アタシ自身だろうと。 


「アハハ! どう怖い? ねえ、もっと怖がってよ」


 背を向けたまま嘲る姿は言わばは小さな悪魔だ。無垢で脆弱だが、その所業は意図的に相手を怖がらせるという攻撃性を含んでおり、圧倒的に他者へと不幸をまき散らす存在に他ならない。そこに居るだけで周りを不幸にしかき乱して、関われば誰でも不快な思いをする忌み子(悪魔)。

 そう、それこそがロプトルの本質であり、この目の前に在る女の子こそが元来のロプトルと言ってもいい。

 正確にはロプトルが教会に住むようになる前の姿であるが、そんなことはさほど関係ない。ここはカレンの試練、自分自身が何者かという問いに対して、自分の中身(・・)を知る場所。そして、その方法は至って単純で、ただ自分の中身を知覚できる存在に構成して作り上げること。

 ようは自分自身の魂の奥底の心象世界に入るという、夢を見ているのと変わらないことである。

 ゆえにここにあるものすべて、今のロプトルの心そのものといえる。周りの街路もこの夕日もそして、この女の子も。そして、こうして目の前に現れた以上、彼女の心はいまだこの子と同じということになる。年齢の差、肉体的な差などは入る余地はほぼありえない。ロプトルは魂のレベルで心は忌み子(こども)のままであり、同時に徹底的な瞬間、焼き付いた思い出をこの場は象徴している。


「やめてよっ! アンタが居るとみんな不幸になる! 思い出させないで、消えてよ!」


 笑う子ども姿の自分自身にロプトルは咆哮する。過去の自分を思い出して、こんな子は居てはいけないんだと否認する。


「アンタがいたから、アンタなんかいたからお父さんもお母さんも苦労したし、死んじゃったんでしょ!? アタシはアタシなの! もう昔のアタシはいないっ、そんな奴知らないっ――!」


 そうやって叫んで拒んだ。何故ならば目の前の子供はもう死んでいるから(・・・・・・)。アタシはアタシだ、目の前の子供は両親が死んだとき一緒に死んでいる。誰であろうと、どんな人間も不幸にさせる忌み子は居てはいけないと、教会で死んでいるのだ。


 彼女はある種の多重人格と言ってもよい。

 この世で聖器(ロザリオ)を出せない者はいわば病的患者であり、それは他者と違っている劣等的な不完全な者でしかない。そんな不完全な者を人として見えるのだろうかと聞かれれば、五体満足な者からしてみれば異形としか映らないし、答えは無論のこと否である。そして、そこから生まれるのは一種の差別という現象に他ならない。お前は周りと違うから、別の外的要因に過ぎないと、レッテルが張られて排斥される。教会に来る前のロプトルはまさにそれであった。

 周りからは不幸の象徴と忌避され、実際に何か起きればすべてロプトルのせいだとされる。そんな彼女を両親は優しく育てていたが、そのせいで彼女の両親は唯一すべてにおいて平等な教会を覗いて疎まれていたのは間違いではなく、幼いロプトルにとってみればただの自分のせいとしか目映りしなかった。そうして、だからなのか彼女は不幸の象徴になった。もともと正義感が強い子であったがために、自分を自分の家族を攻める世界へと悪魔となる。

 発想と行動は子どもゆえ単純だ、みんな嫌うのならみんな怖がればいいと、そうすれば誰も自分たちを傷つけたりしないと。子どもながらに考える悪戯。

 だから目の前の子がしているのは、そう思ってやっていたいたずらに過ぎない。


 最初はみんな怖がったし、確かに飛んでくるやじは否定的なことは減った。

 しかし、何事も度が過ぎればそれは本物の災いに変わらない。

 ロプトルが最終的に至った災い、それは街の外に出るという行いでそこで取り返しのつかない後悔となる。


 ただの興味心とギニョールの炎を取ってこればみんなもっと怖がる、という理論もなければできるかどうかも分からない思い付きに他ならない。

 けれども、それこそがすべて一切残らず間違いだった。


 夕日に照らされた街を抜けて、外壁へと行き外へと抜ける。そうして自ら近づいたロプトルは……。


 襲われる。ギニョールは例外なく食らう。そうなるはずだった。そうなるはずだったのだが、それを日暮れに出かける彼女の異常行動を見ていた両親は心配して後をつけ、ロプトルが襲われそうなところをかばった。

 ――と、それが残っている悲劇の記憶。


 そこから先は気づけば教会に居た。起きた出来事に自分を責め続けて自害しようとしたことすらあり、ミカエに止められミカエのために生きると決めて前の自分を切り捨てた。だからいない。死んでいる。やり方は徹底的に、”わたし”という無垢で幼子同然の言葉使いと振る舞いだったものすべて塗り替えて、”アタシ”という無邪気で活発な女の子に。性格も考え方も何もかも別のものへと作り変えた。それは人格が増えるのともはや変わらず、ゆえにそれはもはや別の魂とも言える別の誰か、だから二重人格。


 そして――絶対に生きていてはいけないのが過去のロプトルという悪魔なのだ。


「なら、殺してみる?」


 幼いロプトルはつまらなそうにつぶやくと、何処から取り出したのか、いつ握ったのかわからない小さなナイフを背を向けたまま、ロプトルへ手から放り投げ、おもむろにそれは二人の間に転がった。


「殺すって……」

「アハハー、わたしなんていらないんだよね。死んでいるはず、そう言うならもう一回殺せばいいじゃない。ねえ、じゃないとわたしはずっとあなたに付きまとっちゃうな」


 ギリッとその言葉を耳にしたとき、無意識下でロプトルは奥歯を嚙み締めていた。ただ許せないと、消したはずのおぞましい存在を心底許せないのだ。

 こんな子は居ちゃだめだ、みんな不幸になると。


「――なら、死んで!!」


 気づいた時にはナイフを拾い上げていて、後ろを向く過去の自分へと突き立てる。


 荒れ狂う怒りと共に、突き立てられたナイフは容易く女の子の背を刺し貫いた。


 だというのに。


「………っ、なん…で……」


 口から吹き出る血液は自分のもの。そして何故か自分の胸から赤黒い液体が染み出ている。

 ナイフを刺されたもう一人の幼いロプトルは無論のこと致命傷な傷を追っているが、それが何故か同じ傷を自分も受けていたのだった。


 意識が遠のく、見ていた景色がぼやけてその場にうつぶせに倒れる。


「アハハ――!ダメだよ、わたしはあなたなんだから。バイバイわたし、わたしもあなたはことが嫌いだよ」


 最後に見えたのはもう一人の自分の足元と、見知った足元だった。


「――ロプちゃん!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る