第14話

 勇者って好き?

 強くて勇ましくて勇敢で、そんな誰もの代表たる人物へ、憧れや好意を抱いている人はどれぐらいいるんだろう。

 わたし個人の勝手な主観で語ることを許してもらえるなら、おそらく八割。いいや少なくとも九割はそういった考えでみんなが勇者へと憧れを抱くんじゃないだろうかというのがわたしの考え。

 もちろん、そうじゃないと異論を唱える人も、もちろんいるだろう。べつに勇者なんてただ人助けをするだけの偽善者とか、いい事をしているだけの聖人でしかないという声もある。けど、そういうことを言う人は大抵が悪者だ。自分たちが私欲の限りを尽くそうとする時、邪魔する勇者という存在を懸念して嫌うのは至極真っ当なことなのだと思う。


 だけど、ここで少し考え方を変えてみる。

 どういう人が勇者なのかではなく、どういう人が勇者ではないのか。


 これまたいくらだって答えが出てくるだろうけど、まず一つだけ言わせてほしい。


 弱い勇者ってあり?

 勇者が勇ましく強い人であるのなら、その逆は貧弱で弱虫な人。そんな人、言葉だけはカッコよくもなければ凄くもなさそう。だけど、それでもわたしは有りだと思う。

 何故なら勇者とは誰かを助けて守る人のことで、例え誰か一人でもいい、一緒に居て相手を見ていて幸せにする。そこに劇的な物語なんかハッキリって必要ない。それができるのなら強さなんて関係ないし、勇敢かどうかなんかどうだっていいんだ。大事なのはお姫様の唯一という結果さえともなえば勇者の資格はあるのだろうと。

 少なくともわたしはそう思っていて、世間一般的な意味での勇者が好きかと問われると、正直どうだっていい。いやむしろ力の強さとかそういう暴力的なことが苦手なわたしとしては嫌いだ。

 

 なのに、どうしてわたしは勇者なんて願ったのだろう。

 勇者が好きだと言う。簡単に何かに憧れて、お姫様のように弱い魂と少女の身をして救って欲しいと口にする。

 ゆえにわたしは愚かだ。姉というのは妹のお手本にならなければならない。つねに憧れの眼で見続けられているのならばそれはなおのことプレッシャーで、生まれつき誰かの前を行き模範といやおうなくされる。

 それが姉という物で、そこに勇者になってと言外に告げるなど。


 勇者が好き、だって勇者様はやさしくて頼れるひとだもん。そんなことお姉ちゃんにしてみれば頼りないと言われたも同然。事実わたしもそういう認識をしていなかったなんて大嘘はつけない。

 勇者になって、勇者になってわたしを守って、助けて。

 勇者、勇者、勇者――呪いにも似たその言葉。いいや、あれは間違いなくあの時の呪いとかしたのだ。


 姉は勇者になる。正真正銘、誰もが認める善人で力強くわたしを守ってくれる。勇者の聖気(ロザリオ)を手に入れて、名実共々世界が認める勇者となる。

 だけどそれと引き換えに、姉へはそれ相応のあらゆる重荷がの圧し掛かっていく。

 皆を助けて期待のソレを背に背負って、そうして試練という悪夢さえも全て姉へと押し付けられるのだ……。

 それを前に、わたしはどういう反応をすればよかったのか。

 夢に酔いしれてお姫様を演じることに夢中で、向ける笑顔さえ姉には重圧となっていたのだろう。

 それに気づいた時、罪悪感と痛ましさに、胸が潰れそうになったから。

 泣いてもどうにもならない、だって残酷な結果を招いたのは他ならないわたし自身なのだから。


 当然の結果だと思う。酷い重みとなっていることも知らずに、自由勝手に勇者になれなんて望んでおいて、自分はただのうのうとその優しさへ甘えていただけなのだから。

 わたしが楽園を見ていた間、姉はつねに地獄をみていたというのに。そうとも知らずにいたわたしが悪い。

 だからきっと、いまこうなっていることこそがわたしへの罰なのだ。


 わたしは妹で彼女は姉。同じ人間でも根本的な役割の違い。

 

 姉として身を焦がす期待の深さと重さを、妹(わたし)はどうしたって理解できない出来ないから……。


 勇者が好きだなんて、何があっても言ってはいけなかったのだ。


 そう、いまでも絶えず後悔している。

 死にたいほどに。やり直せるなら他はなにも要らないと思うほどに。

 お姉ちゃんでは、どうしたって理解できないほど狂おしく……。



 そうして、尽きぬ悔恨の渦に苛まれながら、少女は夢から浮上した。

 いいや、もしかしたら、こちらこそが夢なのかもしれない。


「ここは……」


 まず初めに抱いたのは美しいという驚き。これはいったい、どうしてこんなに綺麗な場所に。ここは一体何処で何のための場所なのか。


 自分が見知らぬ場所にただ立ち尽くしていたことなど二の次で、情景の美しさに心打たれ感動した。

 見渡せば一面の白い薔薇。レンガ造りの小路に添うようにして青空の下、無限に咲き誇る情景はまごうことなき広大な薔薇の庭園だ。

 霞み一つ無く煌びやかにも美しく、綺麗に植えられ手入れが施されている薔薇にはどこか懐かしくも悲しい物を感じて、あまりの白さにここにいることがおこがましく、自分はこの場に置いて異物だとわたしはこの薔薇を汚したくないと直感的に思わされた。

 ここには穢れはない。ただ、空白で真白な清廉だけがあると。まるで――まるでそう、空っぽな空間。こんなにも華やかで綺麗なのに、どこか寂しいのはなんでだろう。


疑問に思い首を傾げたところで、小路に風が吹き抜ける。花壇へは一切浸食しない、風すらも美しさを穢さないと避けて通っているかのような優しい吹きかけて、それは同時にこっちへこいと侵入者であるわたしを誘っているかのように。



「こ――ち……」

 いいや、実際に呼ばれている。


「こっち――へ……」


 せせらぎに紛れて微かな調べのような、妖精の囁きに似た、ひそひそとした小さな声は、わたしへこっちへ来いと暖かい風に乗せて語りかえてきている。

 誰だろう、そんな疑問を浮かべる間もなく操られるようにして足は歩を進めていた。まるで花の蜜に吸い寄せられるミツバチのように、何かがわたしを誘惑してやまない。

 そうして呼ばれるまま進むこと数分、純白の庭園に一角だけ丸く広い空間がわたしの前に姿を表す。

 周りは変わらず薔薇に囲まれて、ただ中央にポツリと机と日よけの遮光ガラスの屋根と丸いテーブルがあるテラス。そこにわたし(彼女)は居た。


 銀髪を風にのせて、椅子に座るわたし(彼女)はわたしに瓜二つ。白薔薇のこの空間に馴染んで、同じようにシミ一つの穢れすら一切感じさせない。これがわたし? そうやって疑問を抱くほどに別の高貴な誰かと対面しているようで、けれど不思議と彼女はわたしだと理解がおよぶ。いや、そもそもこうしてわたしと顔を合わせて、ようやくこの場所がどこかと自分がどうやってこの場に入り込んだのか、かけられた鍵が外されてた宝箱みたいに情報が浮上するのだ。

 しかるべき時にしかるべき話をするために、わたしが怖がらない様にするわたしなりの配慮なのだろうか。

 間違いなく、この状況を願ったのもまた自分なのだろう。

 何故ならば、ここはわたしの心の中で、目の前に居るのは聖器(わたし)なのだ。多分、眼前のわたしは、わたしよりもわたしらしい。心その物なのだから、好きな事も嫌いな事も、隠し事だって全て筒抜けだから。ゆえに誰よりもわたしへの配慮は完璧だった。

 感動するほどの薔薇の景色で、ここがどこだという混乱を思わせず、緩やかな風に乗せて小さく語りかけるだけで不思議に思わせえ誘いこむ。

 なにも怖くないように、恐れどころか疑問すら抱かないようにそうし向けて、わたしを此処へ呼んだ。

 そしてこの先もわたしへの配慮は欠かさないだろう。確信通り、本当(・・)に彼女がわたしであればの話であるが。


 目の前のわたしは行儀良く椅子に座り、待っていたと言わんばかりに小さく微笑んで小首を下げてくれる。


「あの……、呼んだのはあなた?」


 おそるおそる訊いた問いに、同じ声色で答えが短く帰ってくる。


「そうだよ」


 頷いて、答えたわたしは続ける。


「でも、ここにくることを望んだもの、またあなた。そうだよね」

「それは……うん……」

「何故来たの? ここにはあなたが本当に求めているものなんて無いのに」


 その答えにわたしは理解ができなかった。いいや、わたしが言っているから理解できなかったのだ。だって彼女はわたしで私は彼女、ならばわたしへ質問を投げかけるなどおかしな話だ、聞かずともそんなこと自分自身のことであるのだから知っているはずなのに。


「なぜって……だって……。わたしはみんなを助けるために――」

「嘘つき」

「え?」


 小さく突き放すように放たれた言葉は冷たく、そしてよくわからなく怖かった。わたしが知らない表情でわたしを睨みつけてくる。言葉と共に一瞬吹き抜けた風はいままのような温かい風ではなく、彼女の言葉のように冷たいひんやりとしたせせらぎだった。

 椅子から立ち上がった彼女(わたし)がわたしを睨みつけて言うのだ。


「帰って」


 それは間違いなく拒絶で、ここに呼んだはずの彼女が先ほどまでの行動とは真逆のことを告げるのだ。感じる雰囲気からは恐怖はない、ただ純粋に素直な気持ちで、わたしだから分かるこれは本心の言葉。だけど意味が分からない。なんで、どうしてと。わたしが問うよりも先に彼女が言葉を紡ぐ。

 それは悲しい表情で、泣いているような声色で。


「わたしはお姉ちゃんなんかになりたくない。誰かを助けることなんてできない。だって、わたしはとろいから……、わたしは助けてほしいの、ずっとずっとお姉ちゃんに。わたしはお姫様でいたいの……。だからかえって。わたしなら、分かるでしょ?」


 泣いていた。涙を流しながら、顔を崩してわたしを睨む瞳は、真剣で、ああ――そうだよね。うん……。

 彼女の気持ちはわたしは分かる。だってわたしだから。

 ここに呼び出したのも、わたしとは話してわたしのことを思い出してもらうためだろうか。

 だってわたしは争いなんて好きじゃないし。誰かを助けるなんてことは到底できるなんて思わない、から。わたしはとろい――物覚えも悪く、誰よりも行動はおそくてどんくさい。だからこそお姉ちゃんに勇者が好きなんていって、姫様みたいに守ってもらうように、今も……きっとそれは変わらないし。本当は勇者になって試練を受けるんだなんて、怖くて怖くて仕方がない。


 やっぱり彼女はわたしだ。


 うん、だってそうだ。こんな泣き虫な子。

 本当は今も怖いんだよね。


「かえって。教会で静かに暮らせばいいでしょ。戦うなんて怖いの」

「うん」


 知らず、わたしは同じように涙を流してうなずいていた。


「試練なんて。ローザちゃんみたいに誰かが死んじゃうとこなんて見たくない」

「そうだね、そんなの見たくなんてない」


 自然と歩みを始める。真っ直ぐ一歩踏み出すことに、ゆっくりと自分の本心へ近づいて、悲しい気持ちになってくる。怖くもなってくる。


「大丈夫だよ。きっとお姉ちゃんが助けてくれる。わたしはとろくてどんくさいから、だからお姉ちゃんなんかになりたくない。わたしは妹のままでいい」

「知ってる……、妹のままがいい。それはわたしと同じ。うんん」


 ついに彼女の前にたどり着いたわたしは首を左右に振って、思いっきり抱きしめた。怖い。悲しい。こんな思いをするなら、何もしたくない、助けてよお姉ちゃん。それはまぎれもない妹のままのわたしだ。

 だからわたしも同じ……。


「あなたはわたしだもんね」


 だから、だから――。

 もう一つの気持ちも同じ。


「だけど、ミカエちゃんもロプちゃんも、お姉ちゃんを失うなんて嫌……。みんなの足手まといになるなんていやだ!」


 涙に震えた声色と共に、彼女(わたし)はわたしの胸に埋もれて強く抱き着いた。わたしもおなじように強く抱きしめる。


「うん、嫌だ。だからね……教えて。本当のわたしを―――っ」


 瞬間、抱きしめていたわたしからつむじ風が吹き荒れる。周りの薔薇を風に揺らして、わたしはそのすさまじさに思わず抱きしめた手をうめき声を漏らして離し下がった。

 暴風と共に白色の光が風に流れて目の前のわたしが姿を消し、一冊の本が姿を表した。

 その本はいつもの絵本のようで、だけどいつもより少し傷がついたりして表示が痛んでいる厚い本。吹き荒れる風の中、手を伸ばして浮くそれを手に取ると、同時に暴風は四散し光もはじけて消えて顕現した。


 どこからか、本を抱きしめたわたしへ、わたしの声が空間を轟かせて優しく語りかけてくれる。


「あなた(わたし)は劫の日記(アイオンの日記)――エリーゼ」

「アイオン?」

「この世の始まりから終わりまでを記録と思い出。守りたかったから、代わりに悲しみを肩代わりできるよう綴った日記。ねえわたし」

「なに?」

「少しだけ一歩踏み出そう?」

「うん」

「こわいけど。まだ、お姉ちゃんに助けてもらってもいい。少しだけお姉ちゃんに近づけるように、たとえお姫様のままでも今はいいんだよ。だけどね、時が来たら現実を見て。わたしは弱くないから。自信がないだけ。だって、あの試練を超えたのはまぎれもないわたしだから……」

「うん……」


 その時、わたしがいったことが何なのか分からなかった。けれども、他ならないわたしがいった言葉だ。頭でわからなくても、魂の奥底、心がどこかで理解して自然とわたしは納得できたのだ。

 そうして、胸に抱いた日記は消えゆく。それは何もなかったように薄れ日記というにはふさわしくなく、そんなものなかったかのように。


「わっ!?」


 涙をぬぐったわたしは吹き飛ばされ、風に飛ばされて流されて、宙へと舞って役目を失った白い薔薇庭園から排除される。けれどそこに恐怖なんて無かった、むしろ心地よく暖かくて、唯我に浸るように。ゆりかごのなかで眠る幼子みたいに、わたしは空へと舞い上がった。

 けれどなぜだろう。

 またここへ来る気がする。

 わたし自身の夢の中の世界であるはずなのに、こここそが現実で、あっち側が夢のように。視界に広がる白色薔薇は黒に染まる様を意識が途切れる寸前にわたしは目撃した。



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