第10話

 教会の椅子に座ったわたしは、絵本を顕現させて表紙を開き静かに読み始める。ミカエちゃんも、ロプちゃんも同じように座って静かにそれを聞いた。


「あるところに、二人の少女がおりました。

 年上の方はおっとりとした子で、年下の方は活発で元気な子でした。

 二人はたいそう仲良く、いつも何処に行くにも遊ぶのも一緒で、平和な日々が続いておりました。

 そんなある日、二人は喧嘩をしてしまったのです。

 きっかけは些細なことでした、年上の子が持っていた大切な人形を年下の子が泥まみれにしてしまったのが原因です。

 持っていた人形がうらやましく、少し借りて見ようと思い持ったまま石に躓いて水たまりに倒れてしまったのが原因です。

 年下の子は謝りました。けれども、年上の子は怒って二人は言い争いになり、そして年下の子が年上の子を押したのです。


 押し倒した先は階段で、年上の子は滑り落ちてしまいました。

 そのまま帰らぬ人になったのです。


 小さな年下の子は泣きました。ごめんなさい、と。許しを乞うようにして彼女は今後罪を背負って生きていくことになりました。


 そして、死んでしまった年上の子も悲しみました。こんな事で、離れ離れになってしまった事を酷く悔いたのです。

 怒ってしまったことを謝りたい、許してあげないと、と。強く思いました。

 それを見た神様は、死んでしまった年下の子へ言いました。

 死神になって人を百人導けば願いを叶えてあげようと。

 そうして年上の子は神様の話を聞いて死神となったのです。

 

 死神になった年上の子は美しくありました。

 真っ白な、雪原のように煌びやかで可憐。死を与える者となったけれども、人に救済を与える者でもあった。

 少女は友達と再び会い仲直りするために必死に死神の仕事にいそしみました。

 憎しみと憎悪を断ち迷える魂を冥界へ送り、あらゆる魂を救済したのです。


 そうして、ついに百の魂を天へと導きました。


 これでようやくあの子に謝りに行ける。そう思い神様に言ったのです。

 私をあの子の元へ、お願いします。と。


 けれども神様は裏切りました。

 まだ足りない、そう言ったのです。それに、そもそも少女が約束をした相手は神様などではなかったのです。

 冥界の番人。

 番人は傲慢で力を持つもので、少女の思いを行動をただのいい見世物としか思っていなかったのです。

 もちろん、約束なんて叶いません。


 それを聞いて少女は深く悲しみました。そうして我慢の限界を迎えた少女は冥界の番人に歯向かったのです。

 ですが、そんなことを番人は許す訳などありませんでした。歯向かった少女を捉えた番人は死神の鎌で少女の魂を引き裂いてしまおうとします。


 その時、突如として死神の鎌を弾くものが現れました。

 鎌を弾いて真っすぐ番人へ突き刺さる黄金の剣。その剣の元に降り立った者は剣を引き抜くと一言、言ったのです。

 はやくしなさいと。番人を止めたその人は冥界から抜け出すことを言いました。

 少女は言われるがまま、今まで出ることのできなかった冥界の門を破って現世へと降り立ちます。

 そうして、現世に降り立った少女は年下の友人の子へ会い謝るのです。

 ごめんなさい、と。年下の子もごめんなさいと謝りまって、二人は仲直りするのでした。」


 読み終えた私は、静かに本を閉じ膝へ置いた。辺りは鳥の鳴き声が聞こえるほどに爽やかで自然に満ちたものになる。


 それから間もなくして拍手が聞こえ始めた。ミカエちゃんとロプちゃんの二人による少ない拍手だったけれども、笑ってくれている。それが凄く嬉しい。

 二人の拍手が弱くなってゆき、――それなのにまだ一人分の拍手が残っていた?


「あなたは」


 奇妙に思って三人とも拍手の方へと向くと、そこに居たのは真っ白なドレスを着た女の子だった。蒼の揺らめく火にも見える、癖のある髪を風に揺らして、教会の入口で微笑んで手を叩いていた。


 紛れもない、ローザちゃんが撃たれた時その中にいた一人。


「カレンよ、面白い絵本ね。話としては凄く詰まらないものだけど、語り手がいいのかしら。すごくスラスラと入ってきてとてもワクワクしたわ。この続きが楽しみになるような気がした。ねえ続きはどうなったの?」


 拍手を止めた彼女は歩いてくると、一番後ろの座席へ座ってすまし顔で背もたれにもたれると、わたしへと清楚に微笑みかけた。


「続きは……ない。もう終わりだよ」


 続きなどない。今日の絵本は最後のページまで読み切っている。それを聞くと一瞬だけ詰まらなそうな顔をしてそうと言葉が漏れた気がした。それも気のせいなのか、カレンは不敵に笑みを滲ませて、笑っている。

 正直、それが怖くてわたしは手を胸の前にして身構えた。


「どうしてアナタが、まさかまた守護(マリア)が……」


 突然ミカエちゃんが立ち上がって鎖を顕現させる。

 その鎖はジャラリとなって、刃の着いた先がまるで生き物のように独りでに浮いて先を我がもの顔で座るカレンへと向く。

 

 完全な臨戦態勢。言い知れない空気がわたしたちとカレンの間へと流れて、凄くそれが怖い。


 けれども、身構えるわたしたちを尻目に口元を三日月形に曲げると、いやらしくも奇妙にフッと笑って、それから溜息をついてもたれた背もたれを肩肘をついて笑う。


「フフッ…、安心しなさい。別にアナタ達と争う気もないわ。それに、街を包む守護も消えていない。あれはそうやすやすと消したりつけたりできるようなモノじゃないのよ」

「じゃあ何しに」

「そうねぇ、取り合えず楽にしたら? 取って食おうなんて思ってないわよ。

 それに――

 アナタ達如きがカレンにかなうとでも?」


「ヒィ……」


 いやらしい笑みがこぼれ、わたしは思わず呻きのような物を漏らした。

 ドロドロとした悪意が垂れ落ちてそれが溜まって、水没して身動きが取れなくなるような錯覚がして息苦しい。

 視線の威圧、垂れ流す不気味で気味の悪い存在感。ただの笑みだけで圧倒的な存在の違いにわたしの意識が揺らぎそうになっていって。


 だめ、ふらついて……。


「冗談よ」


 意識が途切れそうになった時、ふっと泥に埋もれ溺れかけたわたしは息を取り戻した。霞んだ視界が戻れば鎖が消えたミカエちゃんとロプちゃんも椅子に座りへばっている。どうやらわたしと同じような感覚になったようだった。


「この程度のザマでよくもまあ第一試練(バプティスマ)を超えたものね。いくらカレン達が手を加減したといっても、こんな程度でよくもまあ。奇跡というのはこういうことを言うのかしら」

「試練(バプティスマ)?」


 椅子の背もたれを掴み体を支え、辛く苦い顔をしながら立ち直したミカエちゃんが問い返す。


「ええ、試練(バプティスマ)。勇者にいたる第一試練よ。条件は守護(マリア)の崩壊街の危機を超えること、それをアナタ達は晴れてクリアーしたという訳。おめでとう、そして同時に――」


 まるで、神をたたえる使者のように両手を広げ礼賛するかごとく仰いで、悪魔の嘲笑を浮かべたまま、一間を持たせてるとカレンは続けた。


「地獄へようこそ。勇者への第一歩よ」


 意味が分からない。前の時もそうだったから知っていたけれども……。改めて聞いても理解し難い。ニタニタと笑みを浮かべ続けるカレンはやはり恐怖の対象でしかなく。


「なにそれ、意味わかんないよ……」


 ロプちゃんが反発する前にも早く言葉を漏らしていた。


「意味なんて分からなくていいのよ。知ったところでどうすることなどできないのだから。

 でも、そちらのアナタは二度目ではなくて?」


 わたしの言葉にカレンに首を傾げ呆けるように問いかけてくる。


「それは、そうだけど……」

「知らないか、それとも忘却(わすれた)のか知らないけれども、前にも超えたことがある夜なのだから、大したことではなかったのかしらね。アナタにとって」

「リア、そうなの?」


 ロプちゃんに問われるも、その話には困惑をしてしまう。

 過去に超えてた? そんなことが……。

 わたしは確かに過去、試練を受けている。けれどそれはあくまでもお姉ちゃんが受けたものでわたしはあくまでもその場に居合わせたに過ぎない。それに、あの時は小さかった。

 だから、断片的に試練を受けた記憶しかない、ソレは夢のような感覚に近く守護(マリア)が消える、勇者がどうとか、そう言うことがあった、という靄のかかった破片程度の記憶でしかない。

 細かくは知らないし、殆ど覚えていない。

 逆に言えば、その程度の知識で今までこんな事態になることを懸念していたのか、ということになるが、小さかったわたしにとってはそれだけ影響力が大きく恐怖の対象だったということだろう。子供が悪夢を見たようなものと言うのだろうか、実際に体験したという自覚がある以上そこにはそれ相応の、一種の本能めいたモノが機能していたのは間違いない。

 とは言え、そんな現実的ではない悪夢のようなこと誰に言ったところで分からないだろうし、ただ心配させるだけだと、悪夢を体験したけれども常識的な部分は欠落せず持ち合わせていた。だからわたしは誰にも言わなかったし、ただ一人で街の外壁へ通って心配し鬱々しくなっていた。

 これはわたしの病気みたいなものだから、そんな自己嫌悪じみた自傷を誰にも相談できずにし続けた。


 ゆえにわたしが知っているというのは、にわかにも程があるというものだろう。そう思って、自信なさげに目を伏せて首を左右に振らざる終えなかった。

 今のわたしは、知っていることが真実だという自信はこれっぽちも持てなかったから。



「あら、いけない。それはアナタじゃなかったかも……。ごめんなさい、フフッ――忘れてちょうだい」


 どういうこと? 


「まあいいわ。わざわざここに出向いたのはその説明をするためもあるのだから。さて、なにから話そうかしら」


 背もたれに再び背を落とし、カレンはついには肘つきすらしてだらけた体勢を取りつつも、口元は三日月型のまま、口元に手をあてて、わたしたちへ問いは? それだけ? と言わんばかり一瞥した。


「ならアナタは、いえアナタ方は何者なのか教えて下さい。それを答えていただかない限り、ワタシ達はアナタを信じられない」

「それは確かに、的を得ているはねえ。いいわ、そこから話しましょう。まあこの辺りはクリアなら淑女らしくスカートを翻して挨拶でもするのでしょうけど、カレンはそんな面倒なことしたくないからこのまま話すけれども、その辺は目を瞑ってちょうだい。

 さて、カレンだけども――さっきも名乗った通り、カレンよ伊弉冉可憐(イザナミカレン)。まあカレンと呼んでちょうだい。もちろん、カレンちゃんというのも大歓迎よ」


 言われ、ああ――多分いま、わたしは物凄く嫌な顔をしていると思う。カレンを見る目は力強く明らかに力が入っている。


「アナタじゃないわ、そっちよ」


 と、視線を何故かロプちゃんへ送るがロプちゃんも凄く警戒して不機嫌そうな顔をしている。


「あら残念、まあいいわ。で? カレン達が何者かという話だったわね。じゃあ話すから、ほら。座りなさいな」

「アナタが信用に足る人間だと判断すればそうします」

「そうだっ、お前なんか信じられないよ」

 既に座っているわたしはともかくとして、促されるもミカエちゃんとロプちゃんは依然として臨戦態勢。

 まともに会話など正直なところできるような状態ではない。


 それに呆れたのか小さくため息をついて肩をカレンはすくめている。


「そう、好きにするといいわ。さて何から話した物かしらね。カレン達の目的、もしくは試練について。まあ、この場合順を追って話した方が早そうね。じゃあまずカレン達も目的についてかしら?」


 ニヤリと、悦な笑みを漏らすと、カレンはまるで世間話でもするかのように説明を始めた。


「カレン達の目的は勇者を作ること。勇者を作り、そして魔王を倒してもらうことがカレン達全員の共通目的なの。って言っても、あくまでも共通目的なだけだから、各々最終的に描いている着地地点は違うのだろうけども。

 過程と目的に至るまでの最終段階までは同じ。勇者を作り魔王を倒してもらう。だから、その為に試練を与えて強くなってもらわないと。育てるのよ、カレン達がね」

「それは、アナタ達は魔王とやらに手を焼いているということですか? あれだけの力を持っておきながら?」

「まさか、その魔王がそれを求めてるのよ、自分を倒す力を持つ勇者を待ち望んでいる」


 魔王が? どうしてそんなこと?

 訳が分からない、何故そんなことを望むのか。仮にカレン達を凌駕する力をその魔王とやらが持ってたとしよう。

 魔王がわざわざそんなことをしようとするのだろうか?

 今までわたしは、絵本で勇者の話を見てきたけれども、魔王は大抵、世界やこの世のあらゆる物を自由にできる特権を、強引だが持ち合わせていた。そんな不自由の少ない魔王という役柄が、わざわざ自殺に等しいことをするなんてどうかしているとしか思えない。


「どうして、そんなこと……」


 気づけばポツリと呟いていた。

 それに気づいたカレンはわたしを見ては、やる気なさげに首をかしげて返してきた。


「さあ、知らないわ」


 常態の人を嘲る態度とは裏腹に、とぼけてるようでもあるが今日一番のやる気の無さを醸し出して目を伏せている。


「では、アナタ達は目的も知らずにその魔王とやらに従っているのですか?」

「ええそうよ。そう言うことにしときましょう」


「なんだよ、はぐらかしてさっ」


「言ったでしょう。各々最終着地地点は違うと。あくまでも勇者を作り魔王を倒すことがカレン達の共通の目的。そっから先魔王がどうなろうと少なくともカレンの知った事じゃあないわ」

「なら、アナタの自身の目的は?」


 ソレを訊いた瞬間、やる気のなさそうに曲がった首のまま、ぎろりと瞳だけが動いて問うミカエちゃんを覗き、人形のように澄み生気を感じさせない眼球がミカエちゃんを震撼させた。

 暗闇のような恐怖の空気を漂わせて、次の瞬間には口元は三日月に歪んで言うのだ。


「面白いからよ」


 狂気の混じった声音で帰ってきた言葉は端的で、理解しがたい返答だった。


「それは、どういう……」


 カレンの雰囲気に身構えてミカエちゃんが恐る恐る問い返す。


「そのままの意味よ。カレンはただ今を楽しみたいの。

 そのために、面白いものを見たいし、まだ感じたことない感覚を味わうのよ。その時こそ生きているという実感と存在価値、それは未知を体感すれば感じられる。ねえ、カレンに未知を見せてちょうだいな」


 それは亡者が生者に群がる時に見せる本能じみた何かを想起させて、――というよりどこかギョニールと似た雰囲気を醸し出しているカレン(ソレ)はこの場に置いて間違いなく異質な何かでしかなく。

 次の時にはカレンの異常さに耐えかねたミカエちゃんから、鎖の刺突が繰り出されていた。


「ミカエッ⁉」


 カレンが座っていた椅子に刺さり砕け吹き飛ぶ椅子の破片。粉みじんに吹き荒れた木片に身構えながらロプちゃんが声をかけるも、ミカエちゃんは聞かず、わずかな動きでかわされていた鎖を、カレンの足元から地面に突き刺さったままの状態から、床を削りながら彼女に足に巻き付けて周りの椅子ごと薙ぎ払って壁へ向けて投げ飛ばした。


 砕ける教会の石壁、巻き上がる粉塵。常人であれば今のでザクロの如く潰れていてもおかしくはない即死の一撃。

 だが、それがあくまでも常人での話であり。


「あら血の気が多いのね。それとも怖がりなのかしら」


 霞む粉塵の中、カレンの常態の声が聞こえる。

 そうして同時に、空が斬れる。粉塵は寸断される。

 切り裂かれたホコリは残風に吹き飛ばされるかのように消え散って、そこから傷一つ受けていないカレンが姿を現した。

 

 今のを受けてケガ一つないなんてやっぱり真っ当な人間だとは思えない。それに、そんな相手に敵うはずがない。


「このっ」

「ミカエちゃんっ」


服についた瓦礫の粉を払うカレンへと、鎖が二本螺旋を描きながら宙をうねりカレンを狙い撃つ。


「やあねえ、聞き分けのない子は」


 ほんの少しの軽いステップ。後ろに引いたカレンの足元に再び鎖が突き刺さり、やはりそこから鞭のようにしなり足元から地面を削りカレンを襲うが、彼女は宙返りして軽々とかわすとそのまま着地をした。


 だめ、このままじゃ教会も滅茶苦茶になっちゃう。

 それに、きっとこんなことしたって、何も。

 なにも……。

 

 わたしは飛び出した。


 ただこのままただ戦うだけでは駄目だ、そう思って。


 振り上げられた鎖が頭上からカレンへと迫る、そこにわたしは割って入って両手を広げ盾となり――


「っ―――⁉」


 鎖がわたしの頭をかち割る寸前、目を瞑って少し間が過ぎ、なにも危害を受けていないのを感じて恐る恐る目を開けた。


「リア、なぜ……」


 鎖はわたしの脳天ギリギリで止まって、ミカエちゃんとロプちゃんは驚いた顔をしている。


「アナタ震えてるじゃない」


 背後から聞こえる愉悦を含んだ声の言う通り、わたしの体は恐怖のあまり強張って刻むように震えていた。


 怖い。こんなところに入り込んだことも、真後ろで笑うカレンの事も。でも、でもでも、こんなんじゃこんなんじゃダメだよ。

 悪意はあれど、カレンからは敵意は感じない。少なくとも今は私たちの敵ではないと思うから。カレンが言ったように私たちに話に来ただけだと思ったから。


 グッと怖さをこらえて降ろした両手を強く握って。


「ミカエちゃんっ、ロプちゃんっ今は話を聞こう」


 二人へと精一杯呼びかけた。


「リア……。

 分かった……わ。ごめんなさい。リア

「うんん。大丈夫」


 わたしの呼びかけに鎖が和らいで地に落ちると、ミカエちゃんが溜息をついて、いつも通りのすまし顔に戻ってそれか微笑みかけてくれると椅子へ座ってくれた。


「ミカエ?」

「ロプトル、座りましょう」


 ミカエちゃんの態度にロプちゃんは困惑するも、ミカエちゃんが微笑みかけると渋々ロプちゃんはミカエちゃんの隣に座った。


「あら、随分と素直なことね、カレンの時と違い過ぎて焼いちゃうわねえ」

「勘違いしないでください。他ならないリアが言ったからです」

「そーだ、そーだっ、お前なんかなにも信じちゃいないんだよ」

「ありがとう。二人とも」


 二人へ頭を下げて、カレンへとわたしは振り返った。

 笑みを浮かべるカレンが一歩踏み出せば触れられる距離に居て凄く怖いけれども、顔を突き合わせてこうしてみればよく分かる。

 やっぱり敵意はない。

 あの時、あの柱の上から感じたお前を今から殺してやるぞという危険信号のような、そんな本能に訴えかける重圧は何も感じず、むしろ澄んでいた。

 カレンの周りの空気や雰囲気は虚無と言っていいほど何もない。空気が透き通っているとでもいうのだろうか、重圧どころかむしろ体が軽くなって恐怖を殺せばスッと楽になる感じすら感じる。

 まるで浄化されるような……。


 冬の冷たく澄んだような空気の中で、わたしは大きく空気を吸って静かに吐き出して言う。


「教えて、試練はまだあるんだよね」


 その問に今まで奇妙でしかなかった笑みの中に一瞬だけ優しいモノが見えたような気がして、それと同じように帰ってきた返答も短く一言だった。


「ええ」


 少し、間をおいてカレンが続ける。


「試練は全部で七つ。この間超えたのはその中の一番最初、第一試練(バプティスマ)に過ぎないわ」

「じゃあ、次はいつ来るの?」

「さあ、でもこれだけは言えるわよ。カレンが居る限りそれは起きない。少なくとも早々にはね」

「分かった」


 頷いて、後ろの二人を一度振り返り見てから、再びカレンを見て言う。


「じゃあ、もう一つ訊いてい?」

「ええ、どうぞ」

「試練すべてを、わたしたちは超えれると思う?」


 その問いにカレンがにたりと笑う。凄くいやらしいものを感じる笑いだった。

 そうして、笑いが収まると静かに瞳を瞑り首左右にフルのたのだった。


「そっか」


 答えは分かり切っていた。

 元よりここに来た時にカレンが無理だと言う態度を取っていたのもあるが、そもそもわたしの記憶に微かに残る地獄。

 それが、無理だという結果を産出していた。

 この間よりも悲惨な情景、断片的でも分かる異常さは想像を絶するもので、その恐怖から超えられる訳がないと悟った。


 それに、起こる現象は狂気としか形容できないし、正確には思い出せないけれども、あれは、あんなことが起きると思うとおぞましくて仕方なかった。 


「そう気を落としちゃ嫌ねえ、試練を超えさせるためにカレンは居るのよ」


 視線を落としたわたしへカレンは微笑んでいた。

 それは奇怪で奇妙なものであったけれども、敵意は感じられない。


「次の第二試練(クリスマ)は超えられるように降臨(アドベント)の領域までアナタ達の誰か一人でも引き上げる。それがカレンの役目よ」

「アドベント?」


 ロプちゃんの問いに、カレンは頷く。


「ええ。大体の現状は理解できたようだしそろそろ本題に入ろうかしら」

「本題って、アタシたちに試練のことを伝えに来ただけじゃないの?」

「あらそうよ、それなのにアナタ達が勝手に警戒して話が進まなかっただけじゃない」


 ミカエちゃんが無言のままカレンの言葉にしかめっ面をして居る。物凄く不服の様で、多分だけれどもまだカレンに対して何も信じていないのだろう。

 我ながら、警戒心の低いわたしもわたしだけれども、もう少し楽にしてとも思う。

 とはいえ、この場でのミカエちゃんの立場を思えば無理なんだろうけれども。この場で攻撃的な力を扱えて、カレンへの対抗できる力を持ってるのはミカエちゃんだけだから。

 わたし達のことを心配してのことだとは思う。

 そう言った意味では、ミカエちゃんの態度は正しくて、むしろ平然とカレンの目の前に居る私がおかしいのは間違いないんだろうけれども……。


 いまはそんなことを気にしている余裕はない。


 当面の目標は試練の攻略だと思う。脳裏に焼き付く悪夢の断片を繰り返さないためにも、わたしはいつもの病気だなと自嘲しながらもカレンへと真剣な眼差しで問う。

 

「教えて、アドベントってなに?」


 訊いたわたしにカレンは答え始める。


「まあそう焦らないでちょうだいよ。そうねえソレを話す前にアナタ達の本体について説明しないといけない」

「本体?」

「ええ本体、ほらアナタが出していた鎖やそっちの子が出していた本」

「それって聖器(ロザリオ)のこと?」


 聖器(ロザリオ)つまりはわたしたちに一人一つ与えられた道具。生活に欠かせない物で、生きているうちに道具の便利さから、道具にあった生きたのは当たり前なのがこの世の中である。

 そう言った意味ではある意味カレンのわたし達の中身というのはあながち間違ってないんだろう。

 改めて考えてみればすべての人が聖器(ロザリオ)中心に生きており、聖器(ロザリオ)があるからわたし達は生きているという差し替えもまた成立する。

 けれども、それはごく普通のことで、何よりも聖器(ロザリオ)自体すべてが試練攻略に関係するとは思えない。

 何故なら、聖器(ロザリオ)は多種多様だからだ。わたしのように絵本である人も居れば、ミカエちゃんの鎖の人も。日用品からその他諸々、統一性がなく荒事に向くようなものを持つ人はハッキリ言って居ないに等しい。

 それこそ、おねえちゃんのような勇者として役目を負った聖器(ロザリオ)が剣などではない限り。


「なにか色々考えているようだけど、多分そもそものところから間違えてるわよ」

「それはどういうこと?」

「簡単な事よ、アナタたちは聖器(ロザリオ)の寸分の一も使いこなせてないってこと」


 フフッと笑って言われたソレは、意味の分からない事だった。

 使いこなせてないということが分からない。

 わたしたちは聖器(ロザリオ)を有効活用して生きている。そのことには間違いないし、それにそってどんな職に就くかは大方決まる。だと言うのにカレンは自信満々に言ってきたのだ。

 

 不思議なことに、その言葉に自分自身を否定されている気がして少し反発心が生まれた。


「でも、わたしは絵本を皆に呼んであげて皆笑ってくれてるっ」

「リア」


 否定したわたしにミカエちゃんの心配する声が聞こえて、カレンは瞳を静かに閉じて一言。


「そうね」


 そう言い、瞳を開き続けた。


「確かに。アナタはある意味聖器(ロザリオ)を使いこなしている。でも、それが真の使い方ではないとしたら?」

「え?」

「アナタ達の中身なんて所詮ただの破壊兵器よ、それをただ部分的に皮一枚程度の力を使って居るに過ぎない。未熟なのよ、なにもかも。

 まあ、物であるアナタ達が自分を自分で使いこなすなんて、フレデリカじゃあるまいし、そうやすやすとできるようなことじゃないのだろうけれどもね。

 で、さっき言った降臨(アドベント)って言うのは、聖器(ロザリオ)を使いこなせている度合いの段階のこと。

じゃあ、ここから少しお勉強と行きましょう」


 不敵な笑みを浮かべて、カレンは来るりと踊るように一回転して、向き直る時に手には大鎌が握られていた。


 光を反射させる鈍色の大鎌。

 それはそこに居(あ)るだけで周りの空かを裂いているようにも見え、同時に真空を漂わすような敵意もなにも感じさせない。ある主、物らしいといういえばそうであろうが、そこに感じる気配は不自然なほどにないもなく。ただ、斬れ安いというイメージだけを訴えてくる。

 あの鎌は間違いなく肉体に限らず魂さえも容易く斬れるのだろうと、深層心理に訴えてくるし、見ていれば体が切断される錯覚を予見してしまう恐ろしい魔の道具。

 その、カレン自身の身長を遥かに超える大鎌を体に巻き付けるように抱きしめて、不敵に笑って警戒をしたわたしと勢い余って立ち上がったミカエちゃんをフフフっとあざ笑った。


「安心しなさいな。別に取って刈ったりしないわ。ほら、座りなさい」


 言われて、ミカエちゃんは一瞬迷ったが、わたしが大丈夫と目を合わせると渋々座った。


「えらいわね。さて、聖器(ロザリオ)を使いこなせる度合いについてだけど、これが復活(レザレクション)。いわゆる聖器(ロザリオ)の具現化。まあ、正確には普段アナタ達がしている事の上位互換と言ったところかしら。顕現させる道具の質量もその度合いも桁違い、そもそもの存在核が違うと言ってもいい、まあ言っても分からないでしょうからその辺は省くわ。

 で――」


 言いながら片足を上げたカレンだが、その足を落とすと次の瞬間には地震が響いた。


「きゃっ!?」

「アナタ!!」

「――っ!?」


 わたし達三人が驚いて、後ろの二人は勢い余って再び立ち上がった。

 地が揺れる。石と木でできた教会が軋みを上げて、砂埃を何処からかパラパラと塵が振る。

 それを起こした振動は直ぐに収まり、踏み下ろしたカレンの足元はえぐれ、陥没してクモの巣上にヒビが広がり、今の振動は彼女が起こしたものだということを物語っていた。

 

 そんな常識外れな怪力を見せつつも、彼女はそんなことは普通のことだと言わんばかりに大釜を抱きかかえ直して言うのだった。


「今のが昇天(アセンション)。次の段階よ、聖器(ロザリオ)の能力を自身へと宿し、常人よりも数倍の身体能力を得ること。これに関してはそっちのシスターさんがある程度できるようね」


 言って、カレンが見据える先はミカエちゃん。

 言われたミカエちゃんだが、カレンの視線に対して睨み返している。


「なら、ワタシは既にアナタの言う復活(レザレクション)と昇天(アセンション)の段階はできているということですか?」


 確かに、カレンの言う話通りであれば、昇天(アセンション)の段階までできているというミカエちゃんは、復活(レザレクション)もしっかりできていることになる。

 けれど、カレンはわたし達の昇天(アセンション)は未完成と同然のような言い方もしていた。であれば、それはおかしいのではないかと疑問が浮かぶ。

 その問いに、何故か首を傾げてカレンは唸っていた。悩ましいのか、単純に説明が難しいのか、分からないが、しばらく唸った後カレンは一つ小さく嘆息して口を開いた。


「アナタの場合は歪なのよ。昇天(アセンション)が出て来て、復活(レザレクション)がまともにできていない。まあ、その辺は自由奔放にギョニールを狩り回った結果でしょう。独学でやれば何でも基礎ができなくても応用が身につくことはよくあることよ」

「それはどいう?」


 ミカエちゃんが問い返そうとした時、ロプちゃんが先に声を上げた。


「ねえ、さっきから聞いてればアンタ、アタシたちのその正確な聖器(ロザリオ)がなにか知っているような感じゃん。だったら教えてよ、アタシたちの本当の聖器(ロザリオ)が何かを」

「あら、随分と興味津々ね、さっきまで黙っていたというのに。そんなに熱烈だと教えてあげようか迷っちゃうじゃない」


 それはロプちゃんだから一番最初に浮かんだ疑問で、彼女が訊くのは最も当たり前のことだったのかもしれない。

 ロプちゃんは聖器(ロザリオ)を出すことができないから。本来、一人に一つ出せる聖器(ロザリオ)。それは間違いなく当たり前で街中全員が子供や大人、老人だろうと持っている。けれど、その中でロプちゃんだけは、なぜか聖器(ロザリオ)を出すことができなかった。

 元々、聖器(ロザリオ)を顕現させることができるのは生まれつきではなく、物心ついたころには自然にできているような後天的なものというのは確かにあるが、出せないということはありえないことと言っていい。

 それが当たり前で、逆説的に出せないということは一種の病と疑われても仕方がないことでもある訳だが。その病を患っているロプちゃんとしては、自分が聖器(ロザリオ)を出せない理由と、そもそも自身の聖器(ロザリオ)が何なのかは喉から手が出るほどに知りたい事には違いない事なのは間違いないから。


 普段から、本人は聖器(ロザリオ)を出せないことを気にしていない感じでいるが、実のところは違うんだろう。

 他人とは違う違和感と劣等感は、ある種、街の外から来てずっと過去に捕らわれて街の外壁に通い続けた私と同じようなものだろうから。

 他人と違いを気にしない子なんていない。そう思う。


 だから訊いたんだと思うものの、果たしてカレンはそれに素直に答えるのか。


「フフッ――冗談冗談、そう睨まないでちょうだいな」

「じゃあ教えてよっ」


 怒鳴ったロプちゃんの気持ちを察して、わたしもカレンへと向かって頼む。


「カレン、わたしからもお願い。教えて」

「………」


「あらそんなに見つめられると惚れちゃうわね。――まあいいわ、教えてあげる。って言っても、訊いたところでそのまますぐに簡単に出せるとは思わない事ね、そもそも、真に自分に迫らない限り不可能なことなのだし」


 そうして、ついにわたし達の真の聖器(ロザリオ)が明かされてゆく。

 その間ミカエちゃんだけが、終始その光景を見てただカレンを終始睨んでいた。



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