第9話
花を見ていた。
その花は本来持つトゲをもたなく、赤青黄白に黒、同じ根から様々な色の花を咲かせる不思議な薔薇。咲き誇る花壇だけを切り抜けば楽園のようで、色とりどりの絵の具を塗り手繰った絵画の世界だ。
私はこの花が好き。この花を一緒に世話をしてくれたローザちゃんも大好き。
なのに。
焼消え尽きている。
火が付いて焦げた絵画のように花壇の薔薇の多くは黒く燃えカスとなり、唯一残った一角を前に私は膝を抱えて、ただジッと眺めていた。
「リア。大丈夫?」
薔薇の花を見つめる私の横にいつの間にか来ていたお姉ちゃんが、わたしの左隣に同じように膝を抱えて座った。
「うん……」
「どこも何ともない、お姉ちゃんが守ってくれたから」
「でもあなた」
悲し気な表情で見るおねえちゃんに、わたしは心配になって欲しくなくて、笑顔を作りおねえちゃんに顔を見せた。
「大丈夫だよ、三日も寝てたんだもん。こんなに休んだのに辛いなんて言ってられない。それにローザちゃんの為にも。わたしはローザちゃんのお姉ちゃんだから、この花壇を元に戻さないと」
ローザちゃんは死んでしまった。
放たれた銃弾は間違いなくローザちゃんの胸を貫いて、私の手の中であの子は消失した。
それは紛れもない事実。なのにどうしてあの時、私は何もできなかったのか。という後悔も湧かない。
「そうね。そうすればきっとあの子も喜ぶわ」
言われて何も感じない、不思議と虚無だった。
自分はどうしてしまったのだろうか……。そんな冷たいわたしをお姉ちゃんには悟られるのが嫌で話をすり替えた。
「ねえ、おねえちゃん」
「なに?」
「みんなは大丈夫? 街もボロボロになっちゃったし」
「ええ、大丈夫よ。生き残った人たちが復旧を頑張ってくれて、大きく壊れた部分を覗いて街の殆どが元通りよ」
おねえちぇんの言う通り、街の復旧はあの地獄がなかったかのように進んでいて。みんなも不思議と笑顔で、お互いに支え合って助け合っている。
教会から顔を出して少し街を見てみた時、そこには私の知っているなんら変わりのない楽し気な人たちと街があった。
それは客観的に見て、泡沫の夢のような。悪夢と境界線で線引きされた楽園なので、いつ破裂して壊れてもおかしくないような感じだった。虚無へと切り離されたわたしに、は狂気を感じさせた。
一言で言えば、異質な空間だ。
大きく破壊され露出した外の荒野とギョニール。目につかない訳がないのに、それがまるで見えていないかのようで、みんな笑って直して、そしていつも通り生活している。
それはこうしていま何も感じない私でも、あまりの異質さに恐怖を感じた。
みんな狂っている。おかしい。そんな感覚が芽生えて、ふさぎ込むように、唯一のわたしの楽園である薔薇の前にふさぎ込んだ。
でもどうだろう、こうしてみれば異常なのはわたしなのかもしれない。
薔薇を見ればローザちゃんのことを思い出して、悲しい気持ちになるかと思ったけれども、何も感じないわたしはここに居た。
ねえ、おねえちゃん。おかしくなったのはどっちなの? などと、聞けるわけがなく。わたしは薄笑いをお姉ちゃんへ返した。
それにお姉ちゃんが笑顔を返してくれて、きっと心の中では心配しているのだろうけども、何も訊いてこなかった。
今はそれに凄く安堵した。
「リア、ここに居たんだ。部屋に行っても居なくなってたから心配したんだよ」
そう声が聞こえて、振り向けばロプちゃんが立っていた。
ロプちゃんがすぐにわたしの左(・)隣に同じように膝を抱えて座る。
「ロプちゃん」
「どうしたの? こんななにもない(・・・・・)ところで。ってそうか、ごめんね」
首を傾げ聞いてから、薔薇を見たロプちゃんは苦笑まじりにわたしへ謝った。
それはローザちゃんのことを察したことを意味していた。
「二人で一生懸命育ててたもんね。大丈夫? リア」
「うん……。ロプちゃんは大丈夫?」
「アタシは――」
その問いにロプちゃんは顔を上げ、空を見上げどこか遠くを眺めている。つられ見上げてみれば、空は真っ青な青だった。雲一つない晴れ日和が広がっている。
二人で見上げる中で、ロプちゃんは瞳を閉じて頭を下げて、抱えた膝に顔を隠した。
「アタシは大丈夫じゃないかも……」
「ロプちゃん……?」
「さっき、リムとミカエと言い争いになって喧嘩しちゃってさ。二人とも自分たちが悪いって言うんだ、こんなことが起きたのは訳が分からないよ」
「それは……」
それには心当たりがあった。お姉ちゃんが責任感を感じるのはもちろんのこと。ミカエちゃんがそうやって言うのも。
わたしはどちらも見聞きして知っているから……。
それに、二人の理由から考えるならば必然的にわたしだって……。わたしはお姉ちゃんと外の街から来た、守護(マリア)が絶対ではないことも知っていた。だから。
「わたしのせい……」
「やめてっ!!」
呟いた瞬間、ロプちゃんが叫んだ。もう聞きたくないと耳を塞ぎ丸まって、涙交じりに言う。
「誰のせいだっていい、もう……」
「ロプちゃん」
「っ……ごめ、アタシ、リアにも当たって。こんな時だから、みんな辛いのは一緒のハズなのに……」
「ううん大丈夫。だって辛くないもん」
わたしを涙ながらに見るロプちゃんにわたしは微笑んで見せた。
「わたしね、いま悲しくないの。咲いてる薔薇を見ても、ローザちゃんの死に際を思い出しても、何も何も感じない。だからねロプちゃんは気にしなくたっていいんだよ。
きっとわたしは冷たい子なの。こんな時になんとも思わないなんてそうでしかない、だから責められても仕方ない……。お姉ちゃんには恥ずかしくて言えなかったけど、だからねロプちゃんは私に当たってもいいんだよ」
満面の笑みで、笑えているだろうか。悲しくもなければ楽しくもない。だけど、そうしないとロプちゃんが悲しむし、わたしなんかで少しでも楽になれるのならばと。
そう思って、気づけばわたしはロプちゃんに抱きしめられていた。
「え……」
「そんな訳ないじゃん。リアそれは悲しいんだよ」
涙ながらにそう言われたが、何がどういうことなのかさっぱりと分からない。
だって、私はこんなに気分は澄んでいて、冬の冷たい空気のように透き通っている。どんくさいわたしだけども、今までで頭がさえてて色んな事を考えられる感じは今までになかった。
だから、いまならロプちゃんを慰めることなんて造作もない筈なのに、なのになんで?
ロプちゃんは泣いているの?
「リアごめん。そんなになってるなんて、怒鳴ったりしたりして」
「ロ、プちゃん……」
分からない、何言ってるのか。どうして、なんでロプちゃんは泣いてるの?
「分かるよ、アタシもそうだったから。お母さんとお父さんがアタシをかばって死んだ時、アタシも同じようになにも感じなかった。
アタシね、一度街の外に出たことがあるの。少し冒険気分で駄目だって言われているのに外にでて、その時ギニョールに襲われてお母さんとお父さんが駆けつけてきたけど、アタシをかばって殺されちゃった。
今でも覚えてる、ギニョールに食べられながらもアタシに覆いかぶさって、血みどろになりながらも笑いかけてきたあの時の二人の顔も。アタシに垂れた血と臓物の生暖かいドロッとした感触も。
それが怖くて、心配してくれてるはずなのに、その笑顔が恐ろしくて怖くて悲鳴を上げて逃げたの。
それからずっと放心状態だった。
気づいた時にはたまたまミカエが助けてくれたからアタシは助かったけど、お母さんもお父さんも死んじゃって訳の分からないまま、教会(ここ)に入ってた。
それからずっとなにも感じないの。なにをしても嬉しくないし、なにをしても怖くない。ここに居るようで、ここに居ないみたいに。
いまはもうミカエのおかげで大丈夫だけど、今のリアはきっとあの時のアタシと同じ。
」
そう言うと、私はロプちゃんに強く抱きしめられた。
止めて、何言ってるの。訳が分からない。
「はなして……」
だからか自然と拒んだ。何を言っているのか分からないし、意味が分からない。
いまのロプちゃんが凄く怖く感じたから。
「やだ。リア、ローザはもういないんだよ。死んじゃったの」
知っている。なのに、なんでそんなこと言うの。知ってる分かってる。なのに、なんで今更そんなことを。
「死んじゃったんだよっ!!」
叫ばれ、怖くて私はロプちゃんを振り払って立ち上がった。
「分かってるっ!!」
「分かってないっ!! だって、薔薇なんて一つも残ってないじゃんっ!! 全部焼けてるんだよ。なのになんで咲いている(・・・・・)なんて言うの」
そこで、立ち上がったロプちゃんに再び抱きしめられて、それから強引に色とりどりの薔薇の花へ顔を向けられ押さえつけられた。
「咲いてるよ、なに、訳わかんないっ」
「ちゃんと見て!!」
顔を背けた私の顔を髪を掴んで引きぎれんばかりの力で薔薇を強引に見せてくる。
第三者から見れば、私が虐められているようにも見えただろう。それでも、何故かロプちゃんは止めなかった。
ただ見ればいいだけ。そう頭で考えても。いや――見たくない。と体が拒否をした。捕まれた髪が傷むのも気にせず、首を振って暴れて。
「嫌っ、見たくないっ」
「見てっ」
「―――!?」
次の瞬間、風船が弾けたような音と共に私の頬に衝撃が響いた。ぶたれた、そう理解した時には体はよろけて飛んでいて――。
いやだ、止めて。
体は薔薇の上に倒れる。
その薔薇だけは、唯一残ってるものなの、これがなくなったら花壇戻せなくなっちゃう。
いや。
私の体は花壇へと倒れた。
「いっ……」
そうして思わず瞑った目を開けてみれば、目の前には目を真っ赤にして涙を流しながら仁王立ちするロプちゃんが居て。
薔薇は……。
慌てて、体を起こして自分の下敷きになったであろう薔薇を見てみれば。
「ばら……」
そこには咲いている薔薇などなかった。
いいや、正確には燃え焦げて灰となった薔薇だった残骸が散らばっていた。
「妄想癖もいい加減にして、合わせるこっちも大変なんだからっ」
怒声を浴びせられ、空虚で澄んでいた私の頭に鈍痛が響く。
心には靄が掛ってのどが潰されるように重くなる。
何故か目がにじむようになって、強張った自然と歯を食いしばる。
「ちがっ」
重く苦しい喉から振り絞って出した声は途切れて、代わりに涙が出てくる。
「違わない」
返された一言に何かが崩れたのか、私はその場に丸まって、もうそこから先は限界を超えた。
耐えていた嗚咽も頭痛も喉の重みも全部、全部吐き出すように。
私は丸まって泣きじゃくった。
まるで生まれてきたばかりの赤ん坊のような形で産声のように泣きじゃくる。
「ちがう…ちがうの……。ああっ」
「違わない」
わたしが否定する度にロプちゃんも泣きながら否定を続ける。
お願い、やめて。消さないで。
わたしの記憶から、視界から、薔薇の色があせていく。そんなもの最初からなかったという事実を解明するかのように。
そしてそれは、ローザちゃんが居たという証が消えていくことで。
――いやだ。
あの子の痕跡が消えてしまう。ローザが居なかったことになるみたいで。
ローザちゃんはいるの。ここで、この薔薇を一緒に見てるの。
これから一緒に薔薇をいっぱいこの花壇に育て……。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
ローザちゃんは死んでいる。
一緒に薔薇で花壇をいっぱいにできる訳などない。
それなのに、なんでわたしは……。
悪寒がする、自然と歯が折れんばかりに食いしばる、手に力が入る。涙が止まらない。鳴き声が止まない。
やめて、どうして。こんなのこんなの。わたしがローザちゃんが死んでいることを、信じていないようで、初めてローザちゃんの死を知ったみたいに。
「ローザは死んだんだよ」
優しく告げられた言葉が、わたしへ最後のとどめを刺した。
そこから先はもう涙と声は止まらない。泣いて泣いて泣きじゃくって。嗚咽交じりにせき込んでも。止まらなかった。泥と土に埋もれて服が汚れようが気にも止めず、ただ空っぽになった心を涙で満たすかのように泣き続けた。
そうして。
「ごめんね、ロプちゃん」
「いや、アタシだってぶったりしちゃってゴメン」
すっかり落ち着いたわたしは涙をぬぐってロプちゃんと仲直りをしていた。わたしがなにも感じなかったのは、感じなかったんじゃない。ローザちゃんが居なくなってしまった事をただ信じていなかったからだ。いくら頭では分かっていても、心が理解していない以上、何も感じる訳がなかった。だって、私のなかでは何も起きていないし、ローザちゃんはまだ生きて花壇の手入れを一緒にしている時となんら変わっていなかったから。
一種の現実逃避って言えば、説明がつくのかもしれない。元々夢見がちなわたしだったからそうなったのかもしれない。ロプちゃんも過去に両親がなくなった時、同じように現実を実感できなくなっていたらしく、その時ミカエちゃんに同じように叱られたとか。それであそこまで強引なのは少し怖かったけど、それを咎めたりなんかできない。何故なら、そうしてもらわなければわたしはきっと人の道を踏み外していたに違いない。
ローザちゃんがなくなって、何も感じなくなった私はきっとそのまま心に穴が開いたように生きていくことになるだろうから。それこそローザが生きていたという証を否定することで、この事で周りに迷惑をかけるのは間違いなかったのだから。
そう、もう枯れた花を育てるなんて、見ている方は痛ましくも奇妙でしかない。あやうくわたしはそうなるところだったし、そのせいで他のみんなに迷惑をかけるハメになるところだった。
だから、ロプちゃんは何も悪くない。
全部、弱い私がいけなかったことだから。
受け止めて、泣いて。ローザちゃんの死に納得はできていないものの、わたしはすっきりとした。なにかつっかえがれたように、今まで以上に清々しくけれど、悲しさも持ち合わせている。生きている実感を感じる。
そうして二人で仲直りをしていると。
「ロプトル何しているの」
わたしの鳴き声を聞いて駆けつけたのか、ミカエちゃんが教会の中から出てきた。
ミカエちゃんも泣いていたのか、目元を真っ赤にして涙の痕が頬に残っている。
かくいうわたしはわたしで、きっともっと酷いと思う。泥と涙でぐちゃぐちゃなんだろうな。そう自重しながら、落ち着いて花壇に座っていたのだから。
「ミカエちゃん。その、ロプちゃんを怒らないで」
「大丈夫、分かってますよ」
わたしの言葉にミカエちゃんは静かに頷いた。それから凄く申し訳なさそうにロプちゃんの方を見て歩き寄って。
「さっきはごめんなさい、貴方の気持ちも考えなくて」
「えっと……」
ミカエちゃんがロプちゃんへ抱き着いた。抱き着かれたロプちゃんは少し困ったような顔をして頬をカリカリと指でかくと、目を閉じてミカエちゃんに抱き着いた。
瞑った両目からは涙が流れている。
「ミカエごめん。アタシだって当たり散らして」
「うん、ごめんなさいロプトル」
「ごめんねミカエ」
何があったのか知らないけれども、二人はどうやら仲直りしたようだった。っと、そこであることを思いつく。
「ねえ、二人とも」
ついた砂を払い立ち上がったわたしへ、顔を見合わせてから二人が注目する。
「絵本読ませて」
今日の絵本はまだである。こんな悲しい気持ちを吹き飛ばすには絵本を読むのが一番。なんてったって、わたしの絵本は誰かが幸せになるお話をメインとしている。
だったら、いま読まなくていつ読むというのか。
二人の手を引いて、教会へと誘う。
「ちょっとリア」
「まったく、浮き沈みが激しい子なんですから」
二人も微笑んで、嫌がらず引かれるままについてきてくれる。
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