第1話 絵本 日常
「なみだ……」
何だか悲しい夢を見たような気がする。
ハッキリは覚えていないが、物凄く怖くて体は震える。
汗でびっしょりと濡れた服と涙に、ただならない夢を見たのは確かだ。わたしは自身が見た夢を思い出そうと思考を凝らして思い返すも、蘇る夢はただ一辺の切れはししかなかった。
逃げていた。ただそれだけがぽっかりと透き通った頭に浮かんだ答えだった。
そこから思い浮かぶ情景はしごく簡単で、ああ――またなのかと、ここ最近毎晩のように見ているだろう夢だと思い老けて気分が重苦しくなる。
「だいじょうぶ」
そう、大丈夫だ。絶対に。
あの災厄との折り合いがついていないと自重しながら、わたしは小さく呟いて今は大丈夫だと、張り裂けんばかりに鼓動する心臓を深呼吸して落ち着かせて、自身を安心させようとやり場のない不安を押し殺す。
試練は、来ないハズだと。
あんな悪夢はもうここにはないのだと、弱虫で震える自分に安堵を問いかけて、しばらくしてからようやく震えは止まる。
「はあ…。でもいつか、くる。こんな夢に怖がっているようじゃ」
幼子のように、ただなにもできないようじゃダメだなと。しっかりしないと。そう思ってわたしは自分の頬を両手で叩いて切り替えた。
「リア? 大丈夫?」
自分を落ち着かせようと深呼吸をして数秒、自室の扉の前からわたしを気遣うように、友人であるシスターの控えめなが声が扉越しに聞こえて、リア――教会孤児院をまとめる語りべの少女にして庭師は。心配をさせまいと優しく語り部に相応しい透き通った声色で返事を返した。
「大丈夫」
「そう。ものすごく大きな悲鳴が聞こえたけど、本当に?」
「だっ、大丈夫だよ。それよりどうしたの?」
そんなに大きな声を出していたのか。なんだかちょっとばかし恥ずかしくなり、頬が熱くなるのを感じながら、少し強引に誤魔化すように話しをすり替えた。
そんな態度に微かだが、ため息混じりな嘆息が聞こえて扉の向こうの友人は合わせる。
「どうって、寝坊ですよ」
「ふえ?」
言われ、慌てて枕上に置いている時計をするが……。
「ん……?」
特にいつもと同じ時間では? と、長い針はいつも起きる時間と同じ位置ではある。
おかしなことを言うなと、首を傾げてもう一をしっかりと時計を見る。
「………」
小さな針が数字一つ分ん確かにズレている。
一つ分。
ひとつぶん?
「ああっ!!」
気づいた瞬間、まるで寝る前から今に至るまで起きていたように頭は冴え切って、ベッドをバネに跳ねて布団から地面に立った。
「まったく……。朝ごはんはみんな終えてますからね。リアの分だけ残して置いていますから早く起きて下さい」
「朝の絵本みんな楽しみにしているのですから」
「あ、はい……」
言って去っていく足音に怒られずに良かったと安堵しながら、今朝の仕度を始めた。
■
昔々、数多の世界を渡り様々な少女たちを助けた勇者がいました。
勇者は、東に国を乗っ取られて閉じ込められた姫様がいれば牢をから連れ出し。
南に故郷の森を焼かれた妖精がいれば、森が豊かになるように生命を蘇らせました。
北に魔王だと責め上げられた哀れな魔女がいれば、彼女は魔女ではないと異論を解いて。
西に記憶を失った少女がいれば、共に記憶を辿る旅へ出ました。
いくたものいくたもの世界を渡って少女達を非道な世界から連れ出して、見つけた不幸を払うかのように救っていく姿は、あらゆる国と地域で伝承をつくっていったのです。
そうして、勇者は助けた者たちにもっと幸せになって欲しいと思うのでした。自分が助けただけではまだ彼女達は不幸の呪いから解放されただけ。世界には光り瞬くほどに美しいことや楽しい事が存在する。
それを知らない者たちへ送りたいと思ったのです。
そして、勇者は一つの決意をしました。
それは誰一人不幸にならない世界の創生。
動き出した勇者はある一つの真実にたどり着きます。
それは不幸を作り出している原因はこの世の神様であるということ。最初は交渉してなんとかしようと試み何度も神様の御前へ足を運びました。けれども、総て返され困り果てた勇者はついに、神様へと勝負を挑んだのです。
戦いは最初は勇者の優勢に見えました。
けれども――。
世界を司る神様。そんな相手にあらゆる者を救ってきた勇者であろうと、かなうはずなどなかったのです。
たった杖の一振り。宇宙を揺らす衝撃。本気で振るわれたそれに、勇者はひとたまりもなく敗北するのでした。
敗北した勇者は天罰をうけます。もう二度と人を救えない様に。救えば魂が砕け散る罰を受けたのです。
それでも、勇者は救いたかった。悲しんでいるだれかを見るのは酷く痛ましかったから。だからせめて、自分が非道な世界から連れ出した少女達だけはと、天罰もかえりみず楽園を作ることにしたのです。
原因である神様には遠く及ばなかったけれども、神様さえも手を出せない小さな世界を、自身と引き換えに作成に至ったのです。ただ一つ。不幸にならない楽園を目指して。
勇者は天罰により魂を砕け散らせながら思いました。
不幸のない楽園を。彼女達に祝福をと――
わたしが絵本を読み終えると、場は一気に静寂に包まれる。
元々大きな伽藍洞を催したような教会だったが、一人響かせていた声が途切れた後だけに張り詰めた緊張と共にわたしの前で地べたに座る子供たちの真剣な視線に若干の不安が煽る。
「………」
そんなわたしの不安を跳ね飛ばすかのように、ただ一人横で立ってみていたミカエちゃん――先ほどわたしを心配して部屋前まで来てくれた教会のシスターであり、孤児院の先生がパチパチと手を叩いた。
それから、つられるようにして子供たちもちらほら、最初は数人、それから次第に拍手の数は多くなり満会の拍手で静寂を轟かせ追い払っていった。
「ありがとう」
その拍手に礼を返して私は絵本を膝の上に置く。
拍手が止むと子供たちが各々絵本の感想や質問を投げかけてくる。
勇者はどうなったの? 神様は悪い人なの。勇者すごいね。などと各々物語から出てきた答えはまちまちだが、子供たちの勢いに煽られてあわあわとわたしは慌ててしまう。
「あのね、えっと……」
ねえねえ、と急かされるが、いつも通りそこはミカエちゃんが手を叩き合図と共に声を張って。
「ほら、リアが困っているでしょう。みんなして困らせてはダメですよ。
朝の絵本の時間は終わりです。お勉強の時間ですから教室へいきますよ」
その声にええー、と子供たちの批判の声が上がるも、そこはなれたものだ、ささっと座っていた子供たちを立たせて教会の奥にある教室へと送り出していく。
そうして子供が全員部屋の移動をすると私も移動しようかと立ち上がった。
その時だった、ミカエちゃんが徐に近づいてきてわたしの正面で止まる。
「もうリア、リボンが曲がっていますよ。朝慌ててたのも分かるけども外に出るならしっかりしないと」
そう言いながら、胸のリボンがしっかり止められていないのに気づいたミカエちゃんがわたしの胸元のリボンを手に取り優しく結ってくれる。
「もうミカエちゃん、そんなの自分でできるよ」
「だめです。そう言って適当にしてしまうんだから。女の子なんだからシャキッとしないと」
「むう」
凄く目の前に来ているミカエちゃんの顔を見ていると、なんだか恥ずかしく感じてしまう。
「わたし、そんなにおこさまじゃないのに……」
「今日寝坊した人が言っても説得力ないですよ」
「むう……」
確かに寝坊したのは確かだけど……。
「はい」
そこでようやくリボンの整えが終わった。
トンと叩いて終わりと微笑んで言ってくれる。
「ありがとミカエちゃん」
「分かったら、寝坊せずにちゃんとできるようにして下さいね」
「はぁい。でも、朝の絵本の読み聞かせはわたしの役割だから寝坊したって絶対に遅れないよ」
「はいはい」
軽く流してくるミカエちゃん。信じてないな。
むうっと、口を尖らせているとフフっとミカエちゃんは笑って、じゃあワタシもいきますよ。リアも花壇の手入れでしょ。と言って奥の部屋へと行ってしまう。
「もう、遅れたりしないんだから」
だって、これは――この絵本の読み聞かせはわたしの役割。
わたしに神様から与えられたちゃんとした役割である。
この世界ではみんながみんな、自分の役割という物をもって生まれてくる。
わたしであれば読み聞かせ。正確には語り部としてもの訊き伝えることが役割で、ミカエちゃんであれば教会のシスターとかなのだろう。
それは生まれた時から決まっていて、わたしたちは自然とその職や役割に就くように振舞って生きていくようになっている。
それを不自由だとか、おかしなことだと思ったことはもちろんない。生まれた時から自分がどういう役割か分かっているし、結果として自然にそれを選んでいるのは自分たちではあるのだから。
それに、自分の役割を大切にしてその職につく理由として、その方が自分に理を生むからという至って合理的な理由だってある。
それが、聖器(ロザリオ)と呼ばれるモノだ。これらはそれぞれ与えられた役割にそった特別な道具が一人に一つ分け与えられている。
例えばわたし。絵本の読み聞かせならば、ソレに合うようにわたしが手に持つ絵本。
これはれっきとした聖器(ロザリオ)でわたしの意思で好きな時に何もない場所に出現させ消すことができる言わば魔法の道具にほかならない。
その上、わたしの絵本の場合は、毎日日替わりで絵本の内容が変わるのだ。表紙はもちろん変わらず小さな皮の重厚感ある表紙ではあるが、内容は一日立って開けるたびに新たな内容へと変貌を遂げていて同じ物語が今まで出たことはない。
ただ一つ、共通点を上げるとするなら総て勇者にまつわるお話だということ。
今日だってそう。勇者が世界を作る話。昨日は勇者がドラゴンを倒す話だったかな? そうやって勇者が出て来てその活躍が描かれているという共通点があるが、それ以外は基本的に全て異なる。
舞台や状況、立場や目的。話の長さなどまちまちだ。
今日のはいつもより少し短いぐらいで、なんだか物語の最後が途切れているような内容だったけれど、こういった日はなかなかに珍しい。
もしかしたら寝坊したわたしの体調とかが関わっているのかもしれない。などと考えて見たこともあるが結局これも完全なランダム。法則なんて分からない。
ただ、わたしの役目は本を読むことで、こうしてそれにあった便利な道具を出せるということ。無論みんなも同じで、各々役目にあった聖器(ロザリオ)を何かしら出すことができる。だから、自分の役目を私のように大切にするのはおかしな話ではなく、生きていくには大切な手段となっている。
まあ、勇者の話しか出てこないというのは何というか皮肉じみたものを感じるが、わたしとしては向き合っていかなければならないということなのだろう。
「さてと」
手に持つ絵本に今日もありがとう、と心の中でお礼をいいながら消し去る。
手元にあった絵本は上側から銀の光の粉となって散って、その姿を完全に消失させる。
それを見届け終えると、次の仕事をするべく教会の正面の入口を出た。
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