ククロセアトロ
テケ
プロローグ
手を引かれていた。
わたしの状況を説明するにはその一言で十分で、なにが起きているかなど幼い私にはかいもく見当もつかなかった。
ただ、引かれている。
強引に、おねえちゃんに引かれてどこかへと必死に走っていた。
「くそっ……」
おねえちゃんは悪態をついて、さらにわたしを引く力を強めよりいっそう速く走る。
今夜は一体なにがあったのだろうか、過ぎ去る風景は砕けた石と木の瓦礫の山々。それらが燃えて灼熱の街が視界をずっと流れていく。
打ち砕かれ、残骸と化した建物だった物が夜の街を紅蓮の地獄に変え、炎が燃え上がって熱風と燃焼音は亡者のうめきを思わせる。
戦争でもあったのかというぐらいな悲劇的な惨状に、突き進めば進むほどそれはただならぬ事態が起きているということは理解できた。
けれど――さっきまで寝ていた私にとって、それは夢現(ゆめうつつ)であり、現実なのか夢のか、未だに判然としないがために、絵本で見た地獄のような光景でありながらもそれには恐怖はしなかった。
ただ、こんなにも必死におねえちゃんが自分の手を引いている理由が分からなくて、それが不安で、なにか悪い事が起きるんじゃないかと心配で心配でたまらなくなって。ついにそこで怖くなってわたしは足を止めたのだった。
「ちょっと、なに止まってるの!?」
突然と止まったわたしに、凄く必死な怒鳴り声が上がる。
「だって……」
「だってじゃない!! 逃げるの! 早く!」
「でも……」
そこで、背後から何か忍び寄る気配を感じた。
「ヒィ!?」
振り向けば、そこには黒い無数の”何か”の影がズリズリと地面を擦りながら群を成して迫って来ている。
なに、あれは……。
そうおねえちゃんに訊く暇なんて、なかった。
「あぶないっ!!」
「っ!?」
突如として群れからわたしへと飛び出した一匹の黒い影、それがわたしの眼前で何かに吹き飛ばされて宙へ浮いた。
「おねえちゃん!!」
「大丈夫よ」
撫でてくれるおねえちゃん。
「こわいよぉ」
「大丈夫。大丈夫だから。リアは強い子でしょ」
「うん……」
わたしが落ち着くと、おねえちゃんが影の軍団に向き合う。
気づけば、おねえちゃんの手に巨大な剣が握られていて。それが煌めて美しくも夜の炎に照らされまる。まるで、絵本に出てくるような勇者の剣。ステンドグラスのような色鮮やかな美しくも勇ましい剣。神々しさと共に勇敢さをわたしに感じさせてくれる。
「はあっ!」
大剣を扱い、裂帛の気合と共に黄金色(こがねいろ)が舞い炎の中で真っ黒な影に立ち向かう姿は、まさしく物語の勇者のようで、さながら私は勇者に守らってもらうお姫様のようだ。
私は憧れる。
だって、絵本が好きだから。
いつもおねえちゃんが読み聞かせてくれる勇者が魔王を倒す絵本。それは、凄く魅力的な物語で、誰よりも強い勇者が現れて、その勇者様は困っている姫様を助けて手を引いて導いてくれる。そうして二人は結ばれて幸せになる。
そんなありきたりだけど、ロマンチックな夢物語。
いつか自分にも勇者様が現れて守って手を引いてくれる。恋に恋焦がれるような。ずっと閉じこもって人とあまり触れあわなかったわたしだから理想に描く人とのつながり、かよわく何もできないから夢見る乙女なわたしの憧れ。
不自由の多い幼い女の子なら誰でも憧れてしまう光景がここにはあった。
「はっ!」
繰り広げられる夢のような晴れ舞台、踊るようにして無数の黒い影が力強く、流れるように音もなく切り伏せられていく。
幻想的な絵本のクライマックス、最も盛り上がる演出が演じられ架空のようであるから憧れる。
瞬き一つせず、わたしは釘付けになって目が離せない。
ゆえにこれは夢なのだと錯覚した。
未だ夢現(ゆめうつつ)であるゆえ。
一種の麻酔にも似た引きつけられる光景は、もっともっととわたしの中で、永遠に続く胸踊る望んだ夢だと。
そう、錯覚してしまったのだ。
だから思ったの。永遠に続けばいいのに、と。
「逃げなさい! 早く」
夢だと、絵本の世界だと思ったわたしは動かない。
引かれるまま、おねえちゃんの有志を目に焼き付けて。憧れの勇者がわたしを助けてくれている。そんな愉悦に浸りたくて。
まあ、いつもわたしに意地悪ばかりするおねえちゃんが勇者役なんていうのはなんだか尺に触る気もするけど、そこはこのカッコよさに免じて許してあげる。
などと思って、おねえちゃんの言葉など耳に入ってなどおらず、大剣振り舞子のように舞い踊るおねえちゃんを見続ける。
「逃げなさいって言ってるでしょっ」
「すごい……」
「リア!」
影は増え続けて、これでもかって言うほどに物語は熱く激しくなる。
「リア!」
「もっと、もっと……」
そう、もっと。姫様役のわたしを守って。
カッコよく。
絵本の中の勇者様のように。
「リア?」
目を煌めかせながら動かないわたしを見て、不思議な顔をするおねえちゃん。
なんで? どうして?
そんな心配そうな顔をするの?
もっと、カッコよく私を守ってよ。
わたしの夢なのだから、わたしを楽しませてよ!
そう、不満を覚えた時だ。
「あら。逃げたと思ったらこんなとこに」
影の軍団から一人、別の形をした真っ黒な影が抜けて出てきた。
これは……。
「っ――しつこい奴。リア! リア!? いい加減早く逃げて!」
これはもしかして、魔王じゃないだろうか? 真っ黒でなんなのか分からない。
けれど、おねえちゃんの反応に喋れるってことは。
「すごいすごいっ」
歓喜のあまりに声が出た。
こんな面白い展開になるなんて、わたしの夢すごい!
勇者と魔王の決戦に守られるお姫様。
こんな、こんな夢みたいなのっ!!
夢だけど。
「ほら、おねえちゃんカッコよく倒しちゃって」
「リア……?」
上げた声におかしな表情。
そこは、任せてとかいうとこじゃないの?
ね……え?
「よそ見は良くないわよ」
「え?」
そこで、わたしは現実に引き落とされた。
「逃げて……」
はじける鮮血。
黒い影からは何かが伸びて、こちらを見ていたおねえちゃんが胸を貫かれたれていた。
瞬き程度のほんの一瞬の出来事だ。気づけば胸を赤く染めて貫かれて、それが引き抜かれるとドサリと物を落としたかのように抵抗もなく倒れたのだった。
「おねえ……ちゃん……。
なんで……こんな夢……。うそ……こんな夢は望んでない! 勇者役なんでしょ? おねえちゃん。ねえっ、姫様の私を魔王から守ってよ!」
「哀れね。これがこの世界の真実だというのに……」
そうこれが真実。これが世界(ほうそく)。
この世では繁栄した街に勇者が目覚め、ある日突然街へ魔王の悪の手が神判者となって降りかかる。
それがなんどもなんどもなんども。
まるで、魔王自身を殺す勇者を出そうとしているかのような。積み木を詰んでは自分で崩す理解しがたいマッチポンプ。
太古の昔から世界各地どこででも、今に至るまで幾度も連続して行われてきた悪による英雄譚。
そのどれも総て勇者の敗北に終わり、今に至るまでこうして。
こうして――。
こうして――。
わたしのおねえちゃんは勇者(主役)として敗北した。
わたしが恋焦がれ描いた英雄譚の絵本とは異なる結末で。
「おねえちゃん……」
「………っ」
躯になったおねえちゃんに駆け寄って涙を流すわたしに、おねえちゃんを刺した黒い影はゆらりと揺らめいて一歩私に近づいて静かに見下ろしてくる。
気配を感じ見上げて見えるその存在は黒。
一歩踏み出せば触れられるほどまで近づいてきているのに、その姿は黒としか形容できず、ただ黒く真っ暗な、底が見えない井戸の中を見ているような感じで、ただ怖いという恐怖感がおねえちゃんが死んだという悲しみを上書きしていく。
動けなかった。
動けば吸い込まれて闇(あな)の中に落ちてしまう予感がして、見上げたままわたしは固まるしかなかった。
闇(あな)は私を見定めるように静かに見ている。
怖い。
怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い―――――。
見つめ続ければ続けるほど、闇(あな)はわたしを見つめ返してきて、次第に体は動いていないのにどうしてか引き込まれ墜落する感覚がわたしを狂わせていく。
膠着した体は逃げようにも言うことをきかず、魅入られているかのように見つめる目は閉じられない。
心臓の鼓動は早くなって息はつまり、額には冷や汗が滲んで。
怖いという感情すら考えられなくなって、心臓を撫でてから突然ギュッと握りつぶされたかのように、ゾッとする感覚と共に突然激しい鼓動すら聞こえなくなる。
落ちる。
そう気が遠くなりそうになった時だった。
「本物は――お前か」
闇(あな)が一言呟くと、底に墜落する瞬間、わたしは穴の中から跳ね返された。
「あっ、はっ……」
同時、私は本能的に立ち上がって駆け出していた。
闇(あな)から逃げるために全力疾走で必死に――。
「あああああああああああああああああああああっ」
逃げる私を背後から、大量の闇(あな)が迫って来ていた。
「――はあっ!?」
「はあはあはあはあはあっ」
そこで目が覚めた。
勢いよく上げた体はベッドの上で、この街に流れ着いて、今では壁や天井のシミまで覚えるぐらい、ましてや窓から流れる風の道筋さえ覚えている自分の部屋。
いつも通りの静かな朝。私の見ていた夢がなかったかのように覚えるぐらいの爽やかさで、透き通った空気の中を太陽の日差しが真白のカーテンを透けて私を照らしていた。
「いま、のは……」
そこでわたしは顔を汗ばんだ手を当てて言葉を漏らす。
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