第16話 クラゲはお家に帰りたい


 さて。


 一頻り我が身の不遇を嘆いたところで、俺はあっさりと気を取り直した。


 できれば人間に転生してエッチなこととかしたかったが、できないものは仕方ない。このクラゲ生を前向きに考えることは難しいが、それでも前向きに生きるべきだ。


 少なくとも、うじうじと悩んだり愚痴ったりしたところで、状況が好転することはないのだから。


(そういえば、あの船から妙に魔力を感じたけど、いったい何だったんだ?)


 そこでふと思い出したのは、俺が船の存在に気づくきっかけとなった、膨大な魔力について。


 もしかしたら、あの船にいた人間たちの魔力かとも思ったが、感じた印象ではどうにも違うように思える。あの魔力は船全体から発されていたような気がしたのだ。っていうかあれが人間の魔力だとしたら、この世界の人間さん恐すぎだろ。


 あれは確実に船から放たれている魔力だった。つまり、魔力を放つ人工物だ。


 それから連想されるのは、マジックアイテム的な何かという可能性。マジックアイテムとか見たこともないけど、それが一番しっくりくる予想だ。


 この予想が当たっていたとして、何のためのマジックアイテムかは分からんのだが。


 で、だよ?


(木造帆船が現役で走っている世界で、果たして潜水艦を造れるのか否か、だが……)


 船が走り去っていってしばらく経った頃――というか、一度瞑想を挟んでMPを回復させた頃、俺の『魔力感知』がまたしても巨大な魔力を感知したのだ。それは先ほど見た船に匹敵するほどの魔力なのだが、不思議なことに俺の現在位置よりも下にあるように感じられる。


 つまり、海中に魔力の主はいるのだ。


 俺としては是非、潜水艦であって欲しい。


 なぜなら、俺がこれまでに出会った中で、船を除けば最大の魔力を持っていたのはシャーク様だった。しかしこの魔力の主は、明らかにシャーク様のざっと100倍以上の魔力を持っているように思える。


 もしも生物だとしたら、敵対しようと考えるのが愚かとしか言えないほどの魔力だ。


(……確認してみるしか、ないか)


 確認できるのなら確認しよう。そうして得た情報が俺の命を救うかもしれないのだから。っていうか、恐すぎて無視なんてできねぇわ。


 というわけで、俺は先ほどのように「空間識別」の外縁に「座標」を設定して、そこからさらに「空間識別」を伸ばしていった。


 伸ばす先は俺の斜め下方向50メートルほど。


 程なく、「空間識別」に捉えた存在を認識して――俺は恐怖のあまり、全力で『隠密』を発動させた。


 それは一言で言えば、ドラゴンだ。手足の代わりにヒレを持った、水棲のドラゴン。全身を覆う硬そうな鱗に、まさにドラゴンといった感じの風格あるお顔。口もとから覗く牙は巨大で鋭く、シャーク様でさえひと咬みで屠るだろう。体長は軽く30メートルはあるだろうか? いや、あの太く長い尾を含めれば40メートルに届くかもしれない。そんな彼は悠然と海中を泳いでいた。


 何なの? この世界、あんなのもいるの?


 海の生物、生きるの辛すぎない?


 以前、シャーク様をスケルトンにしたシーピラニアどもでさえ、あれには勝てないだろう。一瞬でそう理解できる。本能が理解させる。生物としての格が違いすぎるのだ。


 ろくに鑑定さんが『鑑定』してくれないことは分かっているのだが、少しでも情報を仕入れるため、俺はあちらの御方を『鑑定』してみた。



【名前】✕✕✕✕✕

【種族】シードラゴン



 あ、はい。


 名前が何か見慣れない表記になっているけど、「なし」という表示ではなかった。もしかしてこれって、俺が見れないのか理解できないのかは分からないけど、名前自体はあるってことなのでは?


 ということは、名前を付けられるくらいの知能があるってことなのでは?


 それだけでもヤバイってことはビンビンに理解できるのだが、さらにヤバイのは――、


「――――」


 俺が『鑑定』をかけた瞬間、あちらの御方が急に顔の向きを変えたことだ。しかも俺の方にね。


 ゾッとした。


 もしかして、『鑑定』をかけられたことに気づいた?


 いや、もしかしてじゃない。間違いない。あちらの御方がこちらを見ていることは、もはや確定的に明らかだった。


「――――」


 グワッと、水竜が口を開ける。


 非常に嫌な予感がした。生存本能が今までにないほど叫んでいた。それでも俺にできることは何もなかった。


 直後。


 いったい何が起こったのかは分からない。


 ただ凄まじい勢いの水流によって、俺は弾き飛ばされ、海中から空中へとぶっ飛び、そのまま数十秒ほども飛翔し、落下して、激しく海面に叩きつけられた。



 ●◯●



 しばらくは何もできなかった。


 ただただ生存本能が命じるままに、『隠密』のスキルを全力で発動し、必死で気配を殺していた。


 そうして何分か経った頃、ようやく、自分の状態を確認する余裕が戻ってきた。


 12本あった触手は残らず千切れ、5本あった口腕は3本になっていた。傘の部分は無惨にも大きく割けている。だが生きていた。あの水竜が何をしたのか正確なところは分からないが、ひょっとして、思ったほどには大した攻撃じゃなかったのか? 痛覚がないから、いまいちダメージの多さが分からない。


 なので、ステータスを確認してみた。


(――――ふぁっ!?)


 HPが1になっていた。


 MPが残り10を切っていた。MPは回復させたばかりだったのに。


 いったいなぜ?


 考えられるのは、『生魔変換・生』のスキルが発動したということだ。


 発動してなお、MPが底を尽きそうになっているということだ。


 ギリギリだった。ギリギリで生き残った。もう少しで死ぬところだった。今さらながらその事実に気づき、俺は恐怖と安堵を同時に感じていた。


 なぜ生き残れたのか?


 水竜の攻撃が弱かった――ということはないはずだ。思うに、俺の体が柔らかく、かつ水に流されやすいクラゲだったから、大した抵抗もなく吹き飛ばされることで、結果的に威力の大部分を受け流すことができたのではあるまいか?


 それゆえに生き残れた。


 さらに幸運なのは、水竜がもはや俺に興味を向けていなかったことだ。追撃することもなく、執拗に殺そうとすることもなかった。奴が俺の生存に気づいていなかった――などと思うのは、流石に楽観がすぎるだろう。わざわざ殺すほどの存在とは思われなかったのだ。


 つまり、俺を殺しかけたあの攻撃は、奴にとってはその程度の、羽虫を追い払う程度の攻撃――いや、単なる動作でしかなかった。ということ。


(…………)


 悔しい。俺は見下されたのだ。確かに俺は弱い。奴にかすり傷一つ負わせることもできないだろう。だが、この借りはいずれ絶対に返す。窮鼠猫を噛む、だ。俺を見逃したことを、いつか後悔させてやる……。



 ――などとは、もちろん欠片ほども思わなかったよ。



(お家に帰りたい……)


 もうやだ。この世界。


 日本の実家に帰せとは言いたいが言わない。せめて最初にいた、あの珊瑚豊かな海域に戻りたい。思えばあそこは、外洋と比べれば天国だったのだ。


 なぜ俺は外洋に出ようなどと思ってしまったのか。


 後悔とは後に悔いるものであると、俺は身をもって学んだ。



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