第3話 クラゲに栄養はほぼない
『たーちゃん、クラゲの95%は水なんだってぇ』
『へぇ、そうなんだ』
『うん。だから食べてもえいようないんだよぉ』
『それはダイエットに良さそうだな』
まーちゃんとの会話を思い出す。
それによれば、クラゲには栄養がほぼなく、栄養がないゆえに他の生物から狙われることは少ない――という話だった。
一昔前には、クラゲなんて狙って食べる奴は人間以外にはいねぇ、と思われていたらしい。
しかし。
『でも実は、海亀とペンギンはクラゲをいっぱいたべるらしいよぉ』
クラゲを積極的に捕食する生物もいることが、近年の研究で判明しつつある。
それが海亀とペンギンだ。
この二種類の生物に出会ってしまったら、おそらくその時点で俺はジ・エンドだ。
加えてここは異世界。海亀とペンギン以外にも、クラゲを主食とする生物がいてもおかしくはない。
ならばどうするか?
決まっている。レベルを上げて強くなるしかない。他の生物を殺し、食らうしかない。弱肉強食。それが自然の摂理だからだ。
だが、問題がある。
俺はまたしてもまーちゃんの言葉を思い出していた。
『たーちゃん、クラゲには脳がないからぁ、反射でしかうごけないんだよぉ』
クラゲには脳がない。
ならどうやって動いているのかというと、全て反射だ。
クラゲの全身には散在神経という神経があって、これが刺激されることで反射的に動くらしい。
果たしてクラゲに意識があるのかは不明だが、脳がないということは、人間のように自分の意思では動けないとも考えられる。
だが、それでは座して死を待つが如し。
いったいどうやって「俺」という意識を保っているのか分からないが、クラゲとなった今でも、俺には明確な意識がある。
ならば、どうにか自分の意思で体を動かせないものか。
実は目が覚めたあたりから、ずっと動こうとしているのだが……自分の体が動いているのかいないのか、良く分からない。
というのも、それを確認するには視覚や触覚、圧覚などの感覚がなければ自覚できないからだ。
種類にもよるが、クラゲにあるのは「眼点」と呼ばれる明暗を感じる器官や「平衡胞」と呼ばれる重力を感知したりする器官。他にも音の高低を感じたりもできるらしい。
しかし、自分の体がどうなっているのかは、ほとんど分からない。
俺がただのクラゲであればお手上げの状態だが、幸いにして俺はただのクラゲではなかった。
なので、この状態を解決するためにスキルを使ってみることにする。
それは『空間魔法』のスキルレベル1で使える、「空間識別」の魔法だ。
うまくすれば周囲の状況を認識できるだけでなく、自分の体の状態も確認できるかもしれない。
というわけで、さっそく使ってみる。案ずるより産むが易しだ。
(――空間識別!)
使い方が分からねぇ……ということはなかった。
「空間識別」を発動すると強く念じれば、自然と発動できたのが分かった。
俺の体の内側から、熱い何かが引き出されるような不思議な感覚の後、意識に大量の情報が流れ込んでくる。
(お、おおっ!? 分かる、分かるぞ!!)
途端に広がる世界。
色はない。けれど眼点で識別したものか、明暗は感じられる。そこに俺を中心とした、かなり広範囲の空間を球状に認識しているような感じ。
イメージとしてはモノクロの世界だな。
認識できる空間内にあるものは、かなり鮮明に形まで知覚できた。
色こそ不明だが、それ以外で言えば、人間だった時よりも知覚範囲、知覚精度ともに上昇しているだろう。
何がどこにあり、ここが何処なのか理解できる。
そしてやはり、ここは海の中のようだった。
この目測が正しいのかどうかは分からないが、俺の感覚として水深10メートルくらいありそうな海だ。「空間識別」の上の方では、海面がゆっくりと波打っているのが分かる。そして下の方、海底では珊瑚らしきものが繁殖し、そこを小さな魚や蟹たちが棲み処にしているのが「見える」。
海の中を優雅に泳ぐ魚たちも、砂の中に隠れている貝たちも、珊瑚の一部に擬態して獲物を狙っている蛸まで、しっかりと識別できていた。
かなり凄いぞ、この魔法。
目で見るよりも、遥かに見える。そもそも球状の空間内にあるものを全て認識しているから、死角というものがないのだ。前も後ろも右も左も上も下も、全てが見える。
最初は空間魔法という割にはクッソ地味だとか思っていたが、とんでもない。敬意を込めて「空間識別さん」とでも呼ぶべき性能だ。
(ふむ……んで、これが今の「俺」かぁ……)
自分の周囲も認識できるようになったところで一頻り興奮した俺は、次に自分自身を「注視」してみる。
やはりというか何と言うか、そこには一匹のクラゲがいた。
半球状の傘を開いたり閉じたりしながら、ふわっふわっと泳いでいる。
傘の縁から数本の触手が垂れている姿は、まさしくクラゲだ。
触手の先まで含めたら、全長は1メートルほどもあるだろうか。ベニクラゲのように小さい種類じゃなくて良かった――というべきか。小さかったら簡単に喰われそうだしね。
(さて、問題は、この体が自分の意思で動かせるか、だが……)
自分の体を客観的な視点で確認できたところで、触手を動かしてみることにした。
ピク、ピク。
うねうね。
みょーん、みょーん。
……うむ。
動いた。
どうやら俺は、俺の体を自分の意思で動かすことができるらしい。
まあ、スキルに『触手術』なんてのがあったことから、予想はしていたんだけどな。自分で動かせなかったら、こんなスキルを覚えているはずもないし。
次に俺は、触手だけでなく半球状の傘の部分も動かしてみる。
ぐわっと広げて海水を内側に取り込むようにしたら、一気にぎゅっと収縮させて傘を閉じる。すると内部に取り込んだ海水が傘の下から放出されて、その反作用で俺の体は勢い良くびゅんっと海中を泳いだ。
……うむ。
これなら外敵に襲われた時にも、緊急回避ができそうだ。
俺は一頻り体を動かした後、さて――と、意識を切り替える。
これで視界は確保したし、体の動かし方も把握した。ほとんど何も見えず、何も分からず、何もできなかった状態からは脱したと言って良いだろう。最低限度の憂いは取り除けたわけだ。
ならば、俺のやるべきことは決まっている。
――狩りだ。
クラゲと言えど食事をしないと生きてはいけぬ。そして狩りをしないとレベルは上がらないだろう。ゲームの常識的にはそうなのだし、ゲームみたいなステータスがあるこの世界でもそのはずだ。たぶん、きっと、おそらく、メイビー。
ゆえに、俺は「空間識別」で認識できる領域を慎重に精査し、狩るべき獲物を見定めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます