第68話 敵わない大人
「今から買い物するのも忙しないから、今度、改めて買いに行こうよ」
由衣は隣を歩く清輝の手を優しく握り締めた。
「ひゃん!!」由衣の体温が伝わった瞬間、清輝は変な声をあげて直立不動になった。
「だからさ、その反応をするのを止めてくれない?」由衣はまるで清輝が嫌がる行為をしてしまったのではないかと自省して、慌てて手を離した。
「ご、ごめん・・・なんだか久しぶりすぎて、こういうのが」
「高校生のときは彼女がいたんだっけ?」
「いたけれど、手を握った記憶がないんだよね」
「そんなのだからフラれてたんじゃないの?」
「はい、その通りだと思います」由衣からの問いかけに清輝は申し訳なそうに頷いた。
「昔のことだから気にしないの」と言い、更に「これからだよ」と励ますように清輝の手に優しく触れた。
由衣は自分のことをよく知った上で反省をして、それでも前に進もうとする清輝の性格が好きだった。現状を打破したいのにできない。清輝のもどかしさや葛藤を由衣はとっくに気がついていた。
「だから今日は駅まで送ってくれれば良いから。2人で予定をあわせて買い物に行こう!デートだよ、デート!」由衣は長縄飛びをするように清輝と繋いでいる手をブンブンと振り回した。
「なんだか、由衣がはしゃいでいるように思えるんだけど?」
「まあ、好きって言われて喜ばない女の子はそうそういないと思うけれど?」
「それもそうか」合点がいったような清輝は由衣の手の温もりを感じながら、「ああ、そうか、こういうのが恋愛っていうんだ」と小さく呟いた。
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片側2車線の大通りに出ると、すでに日が傾き始めていた。由衣の言う通り、確かに今から買い物に行くのは良策ではない。すぐ右に設置されている歩道橋はそのまま駅への連絡通路に繋がっていた。
「歩いて10分だとすぐだね」
「そうだね」由衣が帰ってしまうことを寂しく思う。清輝は自分が思っている以上に由衣に惹かれていることに気付いた。
歩道橋に向かって歩き出してすぐのことだった。黒い高級車が清輝と由衣の真横に停車した。全く心当たりがない。清輝は念のために由衣を自分の後ろに隠した。
ハザードランプを点滅させている高級車の後部座席の窓がゆっくりと下りていく。
「嫌だな、そんなに警戒しないでよ」
声でわかった。誰が話かけてきたのかまではわかったのだが、清輝のイメージとは程遠い姿だったので、言葉を失ってしまった。
「僕だよ、僕、まさか忘れちゃったとか?」
「いいえ、茜ちゃんのお父さんですよね?」
「はい、正解!!」
茜の父親であることはわかる。しかし、高級そうなスーツを着こなして、運転手付きの高級車に乗っていることが、どうしても結びつかない。
「専務、あまりお時間がありませんので、手短にお願い致します」
「わかっている」そう言うと、茜の父は後部座席からゆっくりとおりてきた。
「ごめんね、僕も色々と忙しくてさ」
運転手に答えるときのときと清輝に話しかけてくるときのトーンが全然違う。清輝は更に混乱した。
「そちらの綺麗な女性は、もしかして水本君の彼女さんなのかな?」
「はい。小坂由衣と申します」由衣は繋いでいた手を離すと丁寧にお辞儀をした。
「水本君、やるねえ、こんな美人な彼女ができるなんて!」
「あの、最近、茜ちゃんはどんな感じなんですか?」
「ああ。茜も彼氏を家に連れてきたよ。礼儀正しい男の子だった。でもね、僕としては茜は水本君と付き合って欲しかったなあ」
ゲホ、ゲホ、思わず咽る。久しぶりに会ったと思えば平気でこういうことを言う。
「専務。申し訳ありません。もうお時間がありません」
「わかった」そう言うと、茜の父は由衣の前に立った。
「君は水本君に告白されたのかな?もしそうだとしたら、どうしてOKしたの?」
「えーと、清輝は、彼は私をアイドルして扱ってくれたんです。お恥ずかしい話なんですけれど、私は彼のプロデュースしたアイドルのオリジナルなんです」
由衣は表情こそ照れているが真剣に答えた。
「由衣さんだったかな?君はなかなか面白い表現をするんだね。頭の回転もよさそうだ。できることならばゆっくり話したいんだけれど、そうもいかなくて」
茜の父は名残惜しそうに車の後部座席に戻っていく。
「じゃあ、2人ともまたね」手を振りながら去っていく茜の父を見て、清輝は知っていたはずの茜の父のことを何もわからなかったことに驚き、そして笑った。
「ねえ、今の人って誰なの?」
「うん、ちゃんと説明するね。しかし、相変わらずだな、敵わないや」
清輝は走り去った車を見送り、お礼を言うように頭を下げた。
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