第9話 見習い期間
茜を送り終えると、清輝は自転車にまたがり帰路に着いた。
暗闇の中を後付けしたライトも付け、2つの光を灯しながらペダルを漕ぐ。
コンビニから駅まで茜を送り、駅から15分ほど自転車を漕ぐと自宅に着く。
清輝の自宅近辺はコンビニのように暗然としておらず、犬の散歩をしている女性とすれ違うこともある。
やはり、あの立地にコンビニをオープンしたのは間違っている。雇われバイトのくせに、清輝はそう思わずにはいられなかった。
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遅めの夕食をとると、義務感からVRゴーグルとスマホを連動させて出社拒否したくなるプロダクションに仕方なく出勤することにした。
アプリを立ち上げてログインすると、2日目のログインボーナスのスタミナドリンクを与えられた。10連ガチャは後9回残っている。
益代はいつものように不愛想で「また来たの?」とでも言いたげに見えた。
祈るように無料10連ガチャを回す。右手を伸ばしてガシャポンのハンドルを回すと、茶色いカードが裏返しで10枚排出された。茶色だと全てNだ。
ユーザーを見捨てるつもりなのか?と早くもやる気を無くしていると、10枚の内の7枚が金色に変わり、更にその中の2枚が虹色に変わった。
カードが捲られると、SRが5枚、SSRが2枚、残りは白に変わりRだった。
Nは1枚もない。狂ったガチャだと思ったが、こちらとしては好都合だ。例えぶっ壊れていたとしても、Nが10枚よりは余程良い。
「お詫びのつもりなのか?」装備品ガチャを引くと、こちらもSRが2枚に残りがR。
清輝はゲームの画面を見ながら「アメと鞭」の要素は必要ないと苛立ちを覚えた。
ただ、結果だけみると悪くはない。いちいち腹を立てていると先に進まないし進める気もなくなる。幸い、あのイカレタ社長は現れなかった。
「まずは事務所のお掃除をしましょう」と益代から雑用を押し付けられたが、茜から事前に聞いていたので、素直に言うことを聞いた。
「まずはトイレからです」と益代から指示を受けたとき、清輝はつい「サー」と言ってしまった。
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茜の言う通り、画面はトイレだが、ボタンが唐突に表示され、それに合わしてコントローラーを握った手を動かす。
上、右、斜め下、左、左、このくらい何でもない。ボクササイズをしている感覚で清輝はテンポよくボタンを押していく。
「はい、よくできました」上から目線の益代から馬鹿にされたように褒められたが、画面にはGREAT‼と結果が表示されているので無視することにした。
「次は窓拭きです」
こういうのは益代の仕事ではないかと思うが、まあ結果は出せているのでいちいちムキになることもない。
窓拭きのときは「擦る」や「円形に動かす」など、バリエーションが増えたが、それでも何の問題もなかった。そもそも清輝はリズムゲームが得意だった。以前遊んでいた、アイドルをプロデュースするリズムゲームで、最難関のベリーハードモードでフルコンプしたこともあった。
そういった自負もあり、結果はGREAT!
それなのに益代は誉め言葉の1つもなく、とっとと話を進める。
「最後は社長室です」
社長室だと?そんなのお断りだ。そうマイクに言っても画面は何も切り替わらない。
やはり強制イベントだ。本音を言うと、社長の私物など全部叩き壊してやりたいが、そんなことをしていては昇格できない。最後というのだから、これで見習いは終わりだろう。「はあ」VRゴーグルを装着しながら、清輝は深く溜め息を吐いた。
「言い忘れましたが、社長室は高価な品で溢れかえっています。掃除をする際は細心の注意を払ってください」無表情の益代が突然険しい顔をした。
オンボロの事務所に高価な品で溢れかえっているという時点で矛盾が生じている。それとも社長は節税対策で高価な美術品などを所持しているのだろうか?
まあそんなことはどうでもいい。今まで通りやるだけだ。
社長室を背景にして、突然画面に4×4のマスが浮かび上がる。TIPSとともに現れた益代が「それではネズミを退治してください」と意味不明なことを口にした。
仕組みが理解できないまま、スタートの音が鳴るとマスからネズミが顔を現した。
なるほど、モグラたたきの要領でネズミをパンチすれば良いのか。社長室にネズミがいるという設定などは無視だ。清輝は両手を交互に動かして次々と叩いた。
ワン・ツー、ワン・ツー。ボクシングのように腕を伸ばす。テンポがよく気持ちが良い。清輝はVRゴーグルを装着したまま、ボクサーになりきって小刻みに体を揺らせた。
今まで一番簡単だ。なんてことはない。清輝はすっかり気をよくしてネズミを叩き続けた。
ブー!突然、不正解のような音が鳴り響く。気づくと右の拳はネズミではなく、何か別の物を殴っていた。
それが何かを確認する前に、今度は無意識で伸ばしていた左の拳が、また別の物を殴ったらしい。連続でブー、ブーと鳴り響く。
それが、益代の言っていた高価なの品と確認できたのは、一度、動きを制止したからだ。
「モナ・リザ」にそっくりの絵画、「ムンクの叫び」もどき、有田焼や唐津焼が混同している多数のパチモンの陶器。そう気づいたころには、すでにかなりのミスを起こしていた。
これはやばい。せっかく見習い期間が終わりそうなのに、社長と益代の意地悪なトラップに引っ掛かってしまった。メトロノームが壊れたように清輝のテンポが大きく崩れて始めて、腕を伸ばすタイミングが狂いだす。
一度リズムを崩すと元に戻すのが難しい。だが、時間は無情に進む。清輝はPCのキーボードを指でちょんちょんと押すように、恐る恐る拳を前に突き出した。
ピピーー終了!笛の音が終了を知らせる。
「はあ、しくじった」後半で勢いを失い、ミスを連発してしまった清輝は脱力感にと嫌な疲労感に襲われていた。
ここで駄目だとまた最初からやり直しなのか、それともここからリトライできるのか?もしも最初からだとしたら、もうこのゲーム自体止めて、茜にどんな無理難題を押し付けてやろうかと考えていると、画面に「GOOD!」の文字が表示された。一応はセーフのようだが、芳しくない結果だ。
「まあ、これなら良いだろう。勘弁してやる」いつからいたのかわからないが、人のこと「ゴミ虫」呼ばわりする社長は尊大な態度をとった。
「なんなんだよ、この事務所は!」清輝はアイドルの育成ゲームとは思えない展開に毒づいていると、デフォルメされた育代が「壊してしまったものは弁償しましょうね」と笑っていた。この事務員は火に油を注ぐのが上手だ。清輝の不快感は風船のように膨らみ、いつ破裂してもおかしくないほどに膨れ上がっていた。
初ログインで支給されたマニー、円と表現すると生々しいので敢えてマニーとしたのだろうが、社長室の掃除で19回ミスをした清輝のマニーは10000から1500まで減っていた。
清輝は見習い期間が終了したことを確認するとVRゴーグルを外して、スマホを普段の状態に戻し急いで茜にメッセージを送った。
「ねえ、茜ちゃんってドMなの?」
「はあ?何を言っているんですか!こういうのってセクハラですからね!!水本さんのバーーーーカ‼」
茜からの返信は早く、文章から怒りが溢れ出ていた。
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