第3話 未体験ゾーン
「お先に失礼します」
22時に夜勤のスタッフと交代すると、清輝は自転車を押しながら茜と駅まで向かって歩き出した。
なにせ道路が暗い。しかも帰り道には墓地がある。本当に最悪の立地条件によくコンビニを開店させたと思っていると「いつもありがとうございます」と制服に着替えた茜が清輝に向かって頭を下げた。
「こんなところを女子高生が1人で歩いて帰るなんてヤバすぎるでしょ?気にしないで」清輝は自転車のハンドルを握りながら笑みを見せた。
この行為に下心があるのではないかと思う人は多いはずだ。だが、茜はそのことは含めて清輝のことを、よく理解していた。
「水本さんは優しいんですけど、覇気がないというか、ギラギラしていないんですよね。少しEDみたいな感じもするし」
「あのさ、現役の女子校生がEDなんて言うのはおかしいよ。覇気がないのは認めるけど、俺は悟りを開いたわけじゃないからね」
「ごめんなさい」そう言いながら、茜は悪びれた様子を見せずにクスクスと笑った。
「さすがに11月になると、もう真っ暗ですね」
「そうだね」
2人の前から冷たい風が体を通り抜けていく。茜はマフラーに手袋と冬の装いをしていたが、清輝はまだ秋服に近い、薄いミリタリージャケットを羽織っているだけだった。
「それで、さっき話していたソシャゲのことなんだけど」
「あ!興味をもってくれましたか?」茜の瞳は暗闇で猫の目のように光った。
「もともとVRゴーグルは欲しかったんだ。ゲームだけじゃなくて、映画も見ることができるみたいだし。ただ、決め手がなくて」
「あの没入感は凄いですよ!未知の領域です!」
茜の勢いに気圧されながら、清輝は馬を落ち着かせるように「どうどう」と言った。
「あ、すいません。つい興奮しちゃって。でもやって損はないと思いますよ。アイドルはみんな個性的で可愛いし、育成とリズムも兼ねているし、何よりコミュニケーションの取り方が面白いんです!」
「茜ちゃん、ちょっと落ち着こうか」100メートルほど先には墓地があり、木々が物悲し気に風に揺られている。清輝はお化けや幽霊は怖くはないが、気持ちの良い場所ではなかったし、できればとっとと通り過ぎたかった。
「そうだ!水本さんって今週の土日にバイトを入れていますか?」
「日曜日は休みだけど、どうして?」
「良かったら、実体験してみませんか?」
「何を?」
「私の話を聞いていましたか?VRゴーグルとそのアイドルゲームですよ!」茜から察しが悪いという表情をされたが、女子高生の家に遊びに行くというのは彼氏でもない清輝の思考回路には備わっていなかった。
「茜ちゃん、そうやって男を簡単に誘わないほうが良いと思うけど?」
「大丈夫です。水本さんは異性ですけど、狼になれない心優しい羊さんだと思っているので」
「そうですか、羊さんですか・・・まあ羊でもヤギでもいいけどお邪魔しても平気なの?」
「うちの両親はあまりうるさく言わないですし、私はあのゲームで話せる相手が欲しいんです。同級生でVRゴーグルを持っている子はいないし、みんなリアルの男性アイドルのほうが好きみたいですから」
至って普通だと思った。どちらかと言えば茜が変わっている。なるほど、理想の高校生活を送れていないのだと合点がいった。
「茜ちゃんが良いなら、俺もVRゴーグルの景色を見てみたいからお邪魔させてもらおうかな?」
「どうぞどうぞ。ウェルカムです」
茜の家に行く段取りがついたところで、ひと気の少ない駅の入り口が見えてきた。関東圏内に住んでいるのに過疎化しているようで、清輝は少し悲しい思いで茜を見送った。
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「あ、待っていました。今行きます」清輝からスマホで連絡を受けた茜が玄関のドアを勢いよく開けた。
コンビニから2駅離れている茜の最寄りの街は活気があるように思えた。駅を行きかう人も多く、似たような住宅がひしめき合っていた。
「これ、買ってきたから、どうぞ」そう言って清輝は4つ入っているケーキの箱を差し出した。
「わあ、ありがとうございます!どうぞあがってください」
「お邪魔します」茜の家はどこにでもある普通の家で、ガレージには軽自動車が1台停まっていた。
スリッパに足を入れていると、清輝は視線を感じて辺りを見回した。よく見ると玄関を開けて、すぐ左にある部屋に誰かがいるようだ。
「あ、ええと、すいません。お邪魔します」
茜の父親だと理解するまで、そう時間は掛からなかった。眼鏡をかけた30代後半くらいの男性が値踏みをするように清輝を見ている。
「ええと、なんでしょうか・・・」視線が痛い。清輝はそのままバックして玄関を開けようと手をかけると、「いらっしゃい!君が水本君かい?」
茜の父親は急に笑顔になり、興味津々といった様子で清輝に近づいてきた。
「は、はい」
「娘からよく話を聞いているよ。いつも娘を送ってくれてありがとう!」
「いえいえ、たいしたことはしていませんから」
どう対応すれば良いのかわからないが敵視されていないのは確かだ。ただ、盛大に歓迎されるとそれはそれでどうすれば良いのかもわからない。
「お父さん、水本さんが困っているから、そこまでにして」
ケーキを皿に1つずつ乗せた茜が割ってはいてきたので、清輝はやっと妙な感覚を取り払うことができた。
「ごめん、ごめん。いやあ、水本君に会ってみたかったから」
「お父さん、水本さんがケーキを買ってきてくれたから、ちゃんとお礼を言ってね。それから、あっちにお父さんとお母さんの分は置いてきたよ」
「いやあ、悪いね。水本君、どうぞゆっくりしていってね」
「はあ」清輝はすでに夕方のアルバイトを終えたように疲れていたが、まだ本命に辿り着いていない。逃げるように2階の茜の部屋へ向かった。
「いやあ、俺は殺されるかと思った」息も絶え絶えに茜の部屋に入ると、清輝は胸を撫でおろした。
「すいません。悪気はないんです。でも、お父さんって見た目が神経質で怖そうだから誤解されちゃうんです」
「そう・・・みたいだね」
「どうぞ、そこに座ってください」
急いで駆け込んだせいか、今いるのが女子高生の部屋だと言うことを忘れていた。茜の部屋は清輝の想像していたピンクの要素はなく、アニメのポスターが2枚ほど張られていた。
「あまりジロジロと見ないでくださいね」
「わかっているけど」そう言われても女性の部屋に滅多に入ったことのない清輝は、ついあちこちを覗き見てしまう。
「はい、ストップ!」茜が清輝の視線を遮るように立つと、その手にはVRゴーグルが握られていた。
「おお、やっぱり凄いね。思っていたよりも軽そうだし」
「どうぞ、試しにかぶってみてください。私はケーキを頂きますから」
清輝は茜からVRゴーグルを受け取ると、さっそく装着してみた。果たしてどのような景色が広がるのか、心拍数が勝手にあがっていくのがわかった。
「じゃあスイッチを入れますよ」
「うん。お願い」ウィンウィン、機械の作動音がなり真っ暗な景色に灯りがともる。
清輝の目の前には3Dの空と手を伸ばせば届きそうな雲。
「あれ?なにこれ?」清輝は、いつの間にか高層ビルの淵に立っていた。
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