2
それから三回、先崎さんは家に来た。三回目でようやく両親と顔を合わせることができて「一生を掛けて償います」と頭をひたすらに下げた。姉の粗暴さを知っているため、両親も巻き込んで申し訳ありませんでしたと同じように頭をさげていた。酷い光景だ。やらかした本人はとっくに墓の下なのに。
両親の感想も僕と同じだ――事故は姉の自業自得。シラフで運転を止めようとしてくれた相手に謝られると逆に据わりが悪い。
二回目に来た時に、訪問時間をあらかじめ言っておいてくれたら両親も予定を合わせると思うし、無駄足を踏む必要ないんじゃないですか? と言ったら「自分のなんかを待つために時間を使っていただくのは申し訳ないので」と背中を丸めていた。
車を窃盗してくるような姉と同じような自己中心的な思考回路を持った仲間だったらともかく、こんな人間がどうして姉みたいな人間と連んでいたのか。最初はそれを知りたいと思って連絡先を交換した。両親が姉が自分達の知らない所で何をしていたのか知りたがったというのもある。彼らには、不出来でも可愛い娘だったのかもしれない。
先崎さんにしてみたら、姉とよく似た自分と会うのは事故を思い出して苦痛を感じることかもしれない、と思いながら僕は時々先崎さんと会うのを止められなくなっていた。姉のことを知りたいから話がしたい、と被害者の権利をちらつかせてお願いしたら、彼は嫌とは言わなかった。ただ、申し訳なさそうな顔をして頭を下げただけだ。
何回か会う内に思い知ったのは、本当に彼は姉のことが好きだった、ということだ。
彼の一目惚れだったそうだ。
利ざやがそこそこ良いし、酒も飲めるからと姉は少々いかがわしい飲み屋でアルバイトをしていたそうだ。先崎さんと会ったのもその店だ。取引先の人間に連れられていったのが最初だという。僕も両親も、そんなことさえ知らなかった。同じ家に住んでいたのに。
職場では、よくサボる問題児で、金がなくなると仕方なく店に出てくる程度であまり会えなかった。だから会えると嬉しかった、と先崎さんは言っていた。今でも会えるような気がしてその店に足を運んでしまうこともある、と。突拍子もないことを話し出すというのでそこそこ人気もあったのだという。同業の女性には嫌われていたそうだが、それを気にする姉ではない。
「自分の知らないことを沢山知っている人で、度胸のある女性だと思いました」
「度胸があるんじゃなくて、思慮とか配慮に欠けてるだけだと思いますけどね。あと、アイツの生きてる世界は常識持った人間が生きている場所じゃないです。だから僕らが知らないことをアイツが知っているのは当然です」
「俺にとっては同じようなもんです。自分に無い要素を持っている人には惹かれるものじゃないですか」
先崎さんはそう言って寂しそうな顔をする。
姉を見習って度胸を振り絞って告白をした結果、先崎さんは、姉と一緒に遊びに行く仲になれたそうだ。ほくそ笑みながら小間使いが出来たとしか、アイツは思ってなかっただろうなと想像して苦々しい気持ちになる。実際、姉が先崎さんにしている借金の額を聞いた時は血の気が引いた。姉を死に追いやったと思い込んでいる、その罪悪感を利用して、卑怯にも帳消しにできないかと心が闇に染まりかけるくらいには大きな額だった。姉にとって先崎さんは小間使いどころじゃない。金蔓だ。
「周りからどう言われても、俺には俺のしたことが罪だとしか思えないんです」
それなのに、先崎さんは自分自身を責め続けている。
いつの間にか、僕は先崎さんのことをぼんやりと考えているようになっていた。
最初は興味本位だったはずだった。最初に会ったときから好感は持っていたけれど。流石に僕も、一緒に車に乗っていた人が死んでしまったら止めなかったことを後悔はすると思う。だけど先崎さんの場合は度が過ぎる。彼は最初、事故を起こしたときに運転していたのは自分だと警察に言ったのだ。当たり前だけど、そんなことはすぐに嘘だとバレる。自分に無い要素を持っている人に惹かれるというのは先崎さんの言葉だけど、それがそっくりそのまま自分に返ってきた感じだ。
僕の周りにそんな善人は今までいなかった。
「僕らが知りたいのは、真実です。姉がどんな人間だったかなんて充分知ってますから、気にせず本当のことを教えてください」
一番最初に彼と二人で会った時、そう言ったら彼はあっさりと嘘をついた理由を白状した。
曰く、姉は運転免許を持っていないことを知っていたから、だそうだ。姉の背負う罪を少しでも軽くして、逆に自分が背負った方が良いと思ったから、と。死んだ人間に罪を着せるのは卑怯だけど、死んだ人間の罪を被ったところで誰も得をしない。意味が無い。
「閻魔様はそんなことお見通しだと思いますけど」
暗に無駄なことを、という皮肉を込めて言えば、そうですよね、と先崎さんは少し俯く。その姿は化粧の濃い姉とは正反対で、派手さがないけれど線が細くて見ているこちらも心細くなってしまう。
「久瀬さんは、天国にいけたでしょうか」
閻魔様、という言葉を出したからだろう。先崎さんがそんなことを言ったことがある。姉を名前ではなく、姓にさん付けで読んで、いつも先崎さんは遠い眼をする。悲しむように、そして懐かしむように。
「地獄でしょ」
何を言っているのだ、と言い返した。
「え?」
「姉が天国に行けるなら、地獄が過疎になります」
事故の時だって、盗難車を無免許運転だ。悪運が強いから今まで捕まってなかっただけ。姉にとってそんなことは日常茶飯事。あれで天国に行けるなら、いくらなんでも天国は過密になりすぎる。
「じゃあ、地獄に行ったらまた久瀬さんに会えますね」
嫋やか、という表現を男性に使うのはなんだか妙だなとは思ったけれどその時の表情や仕草はやわらかくて、眼を奪われた。ほんのりと、微笑んで白い頬がほんのりと染まる様にどきりと胸が鳴った。
人が恋をしている状態、というのを初めて目の当たりにした。
話している内容とは真逆の、キラキラとした瞳、どこまでも優しくて柔らかな空気感。この人は今でもずっと姉が好きなのだ。純粋に。本当に。言葉で言われなくても、はっきりそう感じた。
「俺が行く先も地獄ですから」
初めて、先崎さんの笑顔を見た。
良い顔だな、と思った。そして、切ないと感じた。初めて見た笑顔がこんなことだなんんて。
地獄に行けるわけないじゃないか。
この人は、世間の平均と比べても給料が悪くは無い会社に勤めながら、その半分を慰謝料だと言い両親の口座に振り込み続け、自分は風呂もなくトイレも共用の安アパートに住み続けている。安酒くらいは飲むそうだけど、煙草もギャンブルもしない。彼がやったことは、酔っ払いを止めなかったということだけだっていうのに。
先崎さんは堅物で真面目な善人だ。女のを見る目がなさ過ぎるだけの。
なんだって、あんたみたいな善良な人が姉なんかに惚れたんだ。
何度も会う内に、姉が架した十字架を僕が外せたら、先崎さんは僕を見てくれるのではないだろうかと考えるようになっていた。好きになっても僕は男で、想い人の弟で、贖罪の相手だ。それなのに姉から自由にしてあげることができたなら、それでも僕に向けて笑いかけてくれるんじゃないだろうか。あの笑顔を自分に向けて欲しいと、願うようになっていた。顔は似ているのだから。似ていることを憎らしく思っていたくせに、今はそれほど自分の顔が嫌いではなくなっている。先崎さんのせいで。
そんなことを考えるようになって僕は理由なく先崎さんを飲みに誘ったり、遊びに誘ったりするようになった。一応、姉とは疎遠だったから、彼女のことが知りたいのだと言えば来てくれると知っていたから。本当に知りたいのは姉のことなんかじゃない、先崎さんのことなのに。
ずるいな、と思う。
善良な先崎さんを欺して私欲を満たしているのだから僕には確かに姉の血が流れているのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます