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 姉が生きていた最後の数年、ほとんど話をすることもなかったから、姉と一緒に事故に遭った人間がどういう人物なのか僕も両親も知らなかった。同乗していたという、先崎亮二という名前は警察から聞いた。

 高校時代、こつこつアルバイトをして数ヶ月がかりで貯めた金で買ったパソコンを三日後に勝手に売り払われてから、口を利く気にもなれなかったし、実際利かなかった。家族に自分の机の上にあったパソコンを知らないかと聞いたら、なんと姉はリビングのソファの上で寝転がりながら六万にしかならなかったんだけど? と文句を言ってきたのだ。あの時、僕はよく姉を殴らなかったと今でも思う。殺意は湧いたが、なんとか堪えた。そして自室に鍵をつけた。付けなかったら次に預金通帳と判子を盗られていただろう。

 姉も僕に話すことなど特になかっただろう。彼女は家に帰って来ない日も多かったというのもある。

 もうアイツは居ないのだから、パソコン買ってもいいな、と考えながら姉の位牌に手を合わせていた時に彼は家にやってきた。背中を丸めて、本当なら事故の後すぐに伺うべきだったのですがとずっと頭を下げ続けていた。事故から一ヶ月後のことだ。なにせ家に帰ってこなかったから、居なくなったといっても死んだという実感が湧かず、その男の来訪でやっと姉が死んだことを自覚したといってもいい。彼女のせいで酷い目にあったり面倒事に巻き込まれたりするのは常だったから事故後のごたごたがあってもなんだか姉が死んだ、という気になれていなかった。

 姉と一緒に居たというから、どうせろくでなしの男だろうと思って居たので意表をつかれた。彼女は人生において謝るということをしなかった。少なくても僕はそんな姿を見たこともないし、聞いたこともない。あいつは何なのだ、家族だったらきちんと注意して頭を下げさせろ、と文句を言われたり近所の人に僕が叱られて代わりに謝ったりした覚えはいくらでもあるけど。彼女は反省するというのがどういうことなのかを知らなかった。それに比べたら”謝罪する”ことができるだけで、ものすごく、常識的な人だ。

「仕方ないですよ。ずっと入院していたでしょう」

 今も松葉杖をついていて、首にはギブスをはめている。病院から無断で抜け出してきたような姿だ。ちゃんと医師の許可は得てここに居るのだろうか。

「今、両親不在なんで」

 どういう経緯で、こんな普通そうな人があの女と一緒にいたのだろうか。

 何かに巻き込まれて、たまたま一緒に居ただけなのに、事故の責任を感じているのだろうか。

「弟さん、でしょうか」

「そうですが」

 嬉しくないことに僕と姉は顔が似ている。良いのは顔だけと揶揄される姉と似ているというのは僕にとって屈辱でしかなかったが。彼女と同じ家に住んでそっくりな顔をしている男がいたら当然兄弟、ということになるけれど、彼は一応確認してから、申し訳ありませんでした、とまた、頭を下げた。

 涙声で。

 自分のしでかしたことへの後悔からの涙なのか、俺達家族へ申し訳ないと思っているのか。はたまた、死んだ姉を悲しんでのことなのか。

 シートベルトもしていなかった姉も悪いし、そもそも免許も無いのに酒に酔って盗んだ車のハンドルを握っていたというから、自業自得以外何があるだろう。

「止められなかった俺が悪いので」

 飲酒運転者の同乗者もまた、罰則がある。

 彼の運転免許からはごっそり点が引かれているはずだ。

「言って聞くような相手じゃないじゃないですか」

 なぜか一応被害者の家族のはずの僕が加害者のはずの姉の知人を擁護して姉を糾弾している。そういう女だったのだ、アレは。

 車の中には空になったビール缶が数個転がっていて、同乗者の彼からはアルコールは一切、検出されていない。警察から聞いた話だと、帰宅する時に運転をしなくてはいけないからと、宴の席で飲まなかったそうだ。ついでにその車が盗難車というのも知らなかったらしい。それなのに、姉は自分が運転すると言って聞かず、さらに運転を始めてからも酒を手放さず夜の街を暴走したそうだ。あちこちの防犯カメラにその映像が映っていた、らしい。盗んできたのは別の仲間だそうで、こちらは窃盗犯として既に収監されていると聞いた。もちろん、僕も両親も顔も名前も知らない人だ。

 信号を無視し、つっこんできたトラックを避けようとしてガードレールにとんでもないスピードで衝突。車は大破し、シートベルトをしていなかった姉は車外に放り出された。棺の中ですまし顔をしていたが、身体の方は原型を保っていなかったため、なんとか形にさせていただいたと葬儀屋が言っていた。

「また、ご両親がご在宅の時に参ります。本当に申し訳ありませんでした」

 手土産の菓子を置いて、男が背を向けて去って行く。繊細で、傷ついた寂しそうな背中だった。

 その姿からは車を盗んで暴走するような性格は見受けられなかった。

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