第5話 追跡行

 例の演説者を捕まえることはできなかったが、その足跡がメガラ・ポリスに向かっていることが分かった。

 俺は配下のレムリア兵をかき集めると、急遽メガラ・ポリス目掛けて出発した。飛竜が使えたならばこの距離程度なら数刻で到着するのだが、残念ながらギリシアの気候では飛竜たちは病気になってしまう。そこでどうしてもこの地の乗り物を使わざるを得ないのだ。

 四頭立ての馬車を何台も借り切り、レムリア護衛官の印を掲げ、あらゆる関所を止まることもなく突破した。

 ギリシアはレムリアとの貿易は長く、一種の同盟関係にある。だからこういったときには相当な無理がきく。もっとも下手にこの馬車軍団を止めようとしたならばレムリア兵の火炎杖が物を言うことになっただろう。

 メガラ・ポリスはドーリス人たちが作ったメガリス平野の中心都市である。まあここは言ってみればオリーブとブドウを主に生産する農業都市だ。ここが産出するオリーブ油とブドウ酒はレムリアとの重要な交易品ともなっている。

 街の少し先は大きな港になっていて、いくつもの色とりどりの船が行き交っている。

 先に走らせておいた伝令が街で一番大きな宿屋を抑えておいたお陰で、我々は着いたその場で諜報活動を始めることができた。

 すぐに情報は集まり、ここの中央広場でも例の演説会が行われることが分かった。

 これに間に合ったのは何という幸運。


 広場に着いてみると、その中央に何か奇妙な機械が据えられていた。

 枠組みの中にロープで大きな振り子が吊り下げられている。振り子は丸い形状をしていて重い金属でできているように見えた。錘の下側から細い棘が伸びていて、それが下に敷かれた砂を掻いている。

 その横にあの黒ローブの男が立っていた。顔に道化の仮面を被っている。

 滑稽な絵面。学問を論じる場で道化の仮面とは。

 彼の周囲にはこの街の学者たちが椅子を並べて座っている。学者の弟子たちがその後ろに立っていて人垣を作っていた。

「このように」黒ローブが大声で叫ぶ。「振り子は地球の回転から独立して動くために、一日につき一回転します。これは振り子が回転しているのではなく大地が回転している証拠なのです。すなわち地球は丸く、自転することで見かけ上の太陽の出入りを作っているのです」

 黒ローブの背後には大きな石板がおかれ、炭の欠片で丸い地球が描かれている。その地球は太陽の周りを回っていると説明されていた。

 振り子は重々しく揺れ、砂に模様を描き続ける。

 設置したのは半日ぐらい前か?

 周囲の学者たちはお互いに頭を突き合わせて議論に熱中している。ということは大変に不味い。恐らく彼らは黒ローブの男の説明を受け入れかけている。

 部下たちに合図して、広場を取り囲む。どちらにしろ、黒ローブを捕まえてしまえばこちらの勝ちだ。

 全員が配置についたのを確認してから、合図を出した。

 むくつけき男たちが広場の中央目掛けて一斉に飛び込んだ。学者たちとその取り巻きが大騒ぎをし、パニックになった群衆が逃げまどう。

 二人の部下が黒ローブに跳びついた。黒ローブはその男たちの頭上に跳びあがると、聴衆の頭の上を踏みながらその手を逃れた。

 ローブの裾から山羊の肢がちらりと見えて、俺は自分の眼を疑った。

 黒ローブは次々に人々の頭を踏んづけて行くと、たちまちにして包囲の輪を越えて消えてしまった。

 何という身の軽さ!


 男の追跡は部下たちに任せて、俺は屋敷に戻った。

 調和通信機を起動し、アモデス賢者を呼び出した。何が起きたかを詳細に説明してから尋ねてみた。

「大地が回転していないのなら、あの振り子はどうして回転するんです?」

「まったくお前という奴は大地力学の授業を真面目に受けていなかったのか」

 アモデス賢者は一つ大きなため息をついた。

「太陽は無限の彼方で大地の回りを回転する。世界が周囲で回転していた場合、中心にある物体は逆方向への作用力を受けるのと等価になる。従ってその振り子の振動面は一日に一回転することになる。つまり大地の回転と天空の回転は相互に置換可能なのだ」

「では地動説と天動説はお互いに鏡映しということですか」

「そういうことになるな。だからそれだけではどちらが実像でどちらが虚像かは決定できない」

「そうか。実はどちらでも同じ現象となるものを、あいつは地動説の証拠として誘導しているのですね。そして地動説が成り立つのならば無限の大地論は嘘だと説明するつもりなのですね」

「そうだ」アモデス賢者は答えた。「そしてその結果、儂らの世界は歴史の中から消滅する」


 どんどん問題が進行する。敵の狙いははっきりしているし、その手段も明確なのに、すべて後手後手に廻ってしまっている。

 今のところポイントで大差が付けられているとも言える。

 借り切った宿の大食堂の中を苛々と歩き回る。ときおり配下が飛び込んでくると短い報告を上げてまた飛び出して行く。

 黒ローブの足取りは依然として掴めない。

 侍従役の兵士が昼食の手配をして、大きなテーブルの上に料理を並べ始める。帰って来た密偵がそれをかき込むとまた次へと入れ替わる。

 俺も歩き回るついでにヤマネの唐揚げを攫い取り、自分の口に押し込んだ。とにかく体が資本だ。今の内に食べるだけ食べておこう。

 塩辛い物ばかり食べていたら喉がバカみたいに乾いて来たので、水で割ったワインをガブ飲みしていたら、いつの間にか寝てしまった。


 その密偵が飛び込んで来たのは明け方だった。ついに黒ローブの足取りが掴めたらしい。

「船です!」密偵は叫んだ。「奴は船に乗り込んでいます」

「行き先は?」

「ナクソスです」

 ナクソスはギリシア領の島だ。大きな島なのでそこそこの大きさの都市がある。

 大急ぎで配下の者たちを集めて宿を飛び出した。背後に金貨の詰まった大箱を引き連れてだ。

 くそっ。まだこの都市の売春街さえ訪れてもいないというのに。どうしてこんなに忙しい。冒険の楽しみも何もあったものじゃない。

 メガラ湾の港につくと大声で訪ね回った。残念ながらナクソスへ廻る船はない。

 目についたうちで一番大きな貿易船を見つけると、配下全員を引き連れて乗り込んだ。

「なんだなんだ」船の乗組員が騒ぐ。

 じきに船長が現れた。一目で分かる。レムリア人だ。レムリア人の中にはこうして外地人に混じって生きることを選んだ者もいる。

 相手に誰何される前に叫んだ。

「船主は?」

「このお人だが」船長が気圧されたように隣に立つ人物を指す。「お前はいったい」

 レムリアの身分証をその眼の前に突き付ける。知る人ぞ知る金と宝石で飾られた王族の身分証だ。船長の目がぐりんと回った。船長に耳打ちされると船主の目もぐりんと回った。

「この船を買いたい。船員も込みでだ」

「ここはギリシアだぞ。乗組員は自由雇用契約だ」船主が抗議した。

「全員一年雇用保証。賃金は三倍。前払い」俺は言った。

「それが全部でどれだけ大きな金になるのか理解しているのかね?」

 言葉をつっかえながら船主がかろうじて言った。

 俺は背後に合図した。金貨の詰まった大箱が運ばれてくると、船主の前に重々しい地響きを立てて置かれる。山のような金貨を見てそこにいた向こう側の人間全員が目を剥いた。

「これで足りるか?」

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